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 次の日から、次の侵攻に向けて城内は慌ただしさを増した。
 エスクラシオ殿下も起きだして、怪我人とは思えない平生の務め振りをみせている。
 そして、私はまた暇になった。でも、城の堀で魚釣りをするわけにもいかず、また、アストリアスさん達の傍で適当に書類整理やらなんやらの手伝いをして、時間を潰している。
「ソメリアの動きが気になるが、どう出るかな」
 独言のようにエスクラシオ殿下が呟くと、アストリアスさんが、さて、と首を傾げた。
「ファーデルシアにこれ以上、取り引き材料があるとは思えませんが……ソメリアがランデルバイアに対して、含むものがあれば別ですが」
 ソメリアはファーデルシアの北東、大陸のほぼ中央に位置し、ランデルバイアから見れば、真下にある大国だ。国土の広さは、大体、ランデルバイアとグスカを足したぐらい。だが、その三分の一が砂漠と荒野で占められる。特産は、宝石とオリーブ。水が宝石と同等かそれ以上の価値を持つ。そのせいかどうかは分からないが、ソメリアのレギアス王は、こと取り引き面に関しては目端が利く人物らしい。別の言い方をすれば、計算高い。
 レギアス王は齢六十近くありながら、未だその支配力に衰えはない。そして、その跡は、数多い兄弟を押し退けて、五番目の娘が引き継ぐ事にほぼ間違いがないそうだ。
 この娘というのが、かなりの女傑で、剣を取らせれば下手な男を凌ぐ強さだと言う。それでいて、父親について、主なる政治的な補佐も行う賢さも備えているというのだから、凄い。聞くだけで、格好良さげだ。
 もし、私がそんな人間だったら、もう少し良い手立てが見付かるだろうか?
「含むものなど、どこの国でも少なからずあるものだ。だが、実際、ファーデルシアに恩を売るに相当するかどうかは疑問だな。しかし、それであっても、早めに終らせるに越した事はないだろう。ソメリアに拒絶されれば、黒髪の巫女の存在を明らかにし、民衆を楯にする可能性がある」
 殿下の答えは、まるで、そこら辺までの使いを済ませるかのような言い方に感じた。

 ビルバイア将軍が率いる先遣隊がその日の内に出立し、私達の出発は、それから二日後の事だった。
 ディディエ王とクラレンス将軍の見送りを受けて、今はグスカとランデルバイアの両国旗を掲げるグスカ王城を後にした。
 私はグルニエラに乗って、殿下のすぐ後をついていく。
 この数日間で戻ってきたのだろう王都の住民達は、沿道に出る事はないにしろ、家々の窓から無言のうちに私達を見送っていた。
「不思議なものだ」
 列の半ばでゆっくりと馬を進める殿下が、隣を守るアストリアスさんに話しかける声が聞こえた。
「こうして敵であった者たちの中をただ静かに進んでいくというのは」
「そうですね」、とアストリアスさんも同意した。
「未だ戸惑いもあるようですが、敵意も感じられないのが不思議に思えます。落ち着けば、また違うのでしょうが」
「そうだな。我々に対する感情も良くなるか悪くなるかは、これから次第となろう。その様子が見れぬのが少し残念ではある」
「また、訪れる機会もございましょう」
「そうだな」
 そんな事よりも、スレイヴさんに別れの挨拶が出来なかった事の方が、私には残念だ。
 スレイヴさん達は騎士の宣誓は見合わせるものの、暫定的にではあるがグスカ軍属として復帰し、治安維持とディディエ王の身辺警護にあたるそうだ。その為に忙しく飛び回っていて、挨拶をする間もなかった。今後、会う機会が得られるかどうかは神のみぞ知る、だろう。
 さようなら。
 マジュラスの門を出る時に、その人に向かって呟いた。

「大丈夫かい」
 行軍途中、馬を傍に寄せてきたランディさんに問われる。なんだか、随分と久し振りに顔を見たような気がする。ここのところ、顔を合わせても、ろくに話もしていなかったせいか。
「大丈夫です」
「そう、無理するんじゃないよ」
「はい。有難う御座います」
 そう答えたのに、ランディさんの眉がひそめられた。
「悩み事があるんじゃないのかい」
「いえ、別にないですけれど」
「そう……なら良いけれど、何かあれば、遠慮せずに話してくれて良いから。出来るだけ力になるよ」
「有難う御座います」
 悩みと言うほどの事はない、単に気が進まない程度の事だ。時々、突き上げられる様な気持ちがあるけれど、なんて事はない。すぐに収まる。
「それより、腕の具合は大丈夫ですか」
 私がやった無茶の巻き沿いになって、ランディさんは負傷した。それから日にちは経っているが、それからも連戦が続き、傷の治りが遅いみたいだった。
「ああ、有難う。うん、殆ど治ったよ。もう大丈夫」
 確かに、そう答える表情は平生と変わらない風に見える。
「ああ、それで、ウサギちゃんに伝言があるんだ」
「伝言?」
「うん、ちょっとね」、とランディさんは前を行くエスクラシオ殿下へ視線を動かした。
「後で話すよ。休憩の時にでも」
「ああ、はい」
 殿下に聞かれてはまずい内容なんだろうか。それとも、誰から? スレイヴさん?
 ランディさんは首を傾げる私に、ちら、とした笑みを送ると、そのまま前方に馬を進めていった。
 それを見送って私は溜息を吐く。
 実を言えば、グスカ陥落後、面倒臭い空気を感じてはいる。素知らぬ振りをしているが、どうやら、私の身柄を巡って、あちこちで綱引きが行われている気配を感じる。
 これが、なかなかに鬱陶しい。
 多分、と私の勝手な推測でしかないのだが、エスクラシオ殿下とアストリアスさんが、他の人達を微妙に私から遠ざけようとしているようだ。
 特にランディさん。そして、スレイヴさん。つまり、私に好意を示してくれる人達だ。他にも、レキさんは思いきり私と接触しようのない部隊へ放り込まれたみたいだし、グレリオくんでさえ、滅多に顔を合わさない所にいる。ただ、ウェンゼルさんだけが私の護衛の専任としてついていてくれているが、彼にしても、出来るだけ私と距離を置くようにしているみたいだ。
 それ以外でも、ちょっとした事であっても――食事や書類を手渡すにしても、他の騎士さんや兵士さんとの接触しないようにされている。すべて、アストリアスさんやウェンゼルさん伝手。
 これまでにも増して神経質なほどに、私は他者から遠ざけられている。いや、男性から隔離されている。まるで、檻の中に閉じこめられたかのように。
 その理由は、今更、言わずもがな。
 戦時という特殊な環境であるから、余計なのだろう。男ばかりの中で女ひとり混じっているとなれば、いつ餌食になってもおかしくはない、という事だ。
 それは分かる。分かるが、エスクラシオ殿下とアストリアスさんの間でも、微妙に綱引きが行われている気がする。なんとなくだけれど。
 以前、アストリアスさんは私に、女である部分を肯定しながら生きる術を模索すべき、のような事を言っていた。それは、完全否定する殿下とは違うもので、綱引きは、おそらくそこに起因しているのではないかと思う。
 ……面倒臭いなあ。そりゃあ、私もちょっとはもぞもぞしたりもするけれど、でも、他の人を不幸にしてまで、我を通そうという気もない。美香ちゃんのように。
 彼女も妊娠する前にすべての事情を知っていたら、また違う結論を出したのだろうか。それとも、やはり、気持ちに流されてしまっていただろうか。
 しかし、美香ちゃんの言う事だって分かる。無神論者で求道者でもない私たちが死を受入れるには、あまりにも不条理すぎる理由なのだから。しかも、あの年齢の女の子は、こと恋愛感情に振り回されやすくもあるだろう。私にしても、たかが、外見ひとつで、何故、国をあげた戦になるのか。何故、自分にとっては当り前の幸せが多数の不幸の上に成り立つ事になるのか、そっちの方が分からない。
 それらを考えるだけで、また、暗澹たる気持ちになる。
 でも、愛で飯は食えないが、人の命を奪うことは出来るのだなあ……
 では、私は? 私の行為は、なにによるものなんだろう?
 ……今となっては疑問だ。

 行軍の小休止の合間、ランディさんが私の所へ来た。
「伝言って誰からですか」
 問えば、ランディさんは私の傍らから離れないウェンゼルさんを見て苦笑いを浮かべた。ウェンゼルさんは、すました顔でそれを無視していた。
「サバーバンドくんとギャスパーくんから。君に近付く事も出来ないから、私から伝えてくれと」
「え、だって、」
 擦れ違った時もなにも言わなかった。気付いていなかった?
「彼等の立場も、まだ微妙なところにあるからね。一緒にいるところを仲間に見られれば、揉め事の種にもなりかねないし、面と向かって言いづらくもあったんだろう」
「ああ……そうですね」
 その意志はなかったにしても、裏切り者と言われても仕方のないところが彼等にはある。彼等も被害者だという事を分かって貰うには、時間が必要だろう。
 俯く私にランディさんは言った。
「君に感謝を、と。あの時はあんな風に言ってしまったけれど、命懸けで中佐や皆を助けてくれた事を感謝すると。そして、落ち着いたら、また、あの夜みたいに皆で同じ食卓を囲もう、と言っていたよ。今度こそは身を偽る事なく、ありのままに」
 ああ。
「そうですね、愉しかったですね、あの時は」
 小さな家のテーブルで、敵も味方もなくただはしゃいで、笑って過した事を思い出す。少なくとも、あの場にいた私達には、真実が存在していたと思う。
 うん、とランディさんが頷いて、私の頭の上で手を軽く弾ませた。
「だから、無事の再会を祈る、と。ウェンゼル、君にも」
 そうですか、とウェンゼルさんが答えた。
「有難う御座います」
 私はランディさんに、頭を下げた。
 許して貰えなくて当り前。許される必要はない。そう思っていた。
 それでも、貰えた一言に気持ちがすこし楽になったのを感じる。
 でも、それとは別に、揺らぐ心もあった。ほら、こんなに私の覚悟は脆い。すぐにも折れてしまいそうだ。
「ウサギちゃん、あまり思い詰めるんじゃないよ」
 ランディさんが言った。
「君にとっては辛い事だと思う。けれど、こうなる結果を選択したのはファーデルシアであり、黒髪の巫女だ。君がそれに責任を感じる必要はないんだよ」
「……はい」
 責任を感じているのとは、少し違う。でも、頷く。
 ランディさんが、私を慰めようとしてくれているのは分かるから。そのくらいの応え方ぐらいしか、私にはできないから。
 人間、もっとシンプルに生きられないものだろうか?

 ……雨、降らないかなあ。




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