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 ファーデルシアに向けて行軍、三日目。
 明日には国境に到着するという。先遣隊は既にファーデルシア内に侵攻していて、すでに戦いは始まっているようだ。だが、その様子は、ここまでなにひとつ届いては来ない。
 否、単に私の耳に入ってないだけか。
 渓谷に張られた陣の中、私は与えられた天幕の中で待機を命じられている。それまでしていた手伝いも、釣りに出る事も許されない。つまり、軟禁状態。天幕の外では、ウェンゼルさんが看視中。
 ひでぇ! 私がいったい、何をしたっていうんだ!?
 ……何もしていないだろう。多分、彼等なりに私を守ってくれているのが分かるから、だから、文句も言えない。だが、いつもこうして蚊帳の外に放りだされる方としては、これはこれで辛いのだ。自分の事なのに、なにひとつ知らされないというのは。自分の事すらまともに出来ない、ちいさな女の子になった気分だ。まあ、彼等にしてみれば、私は何もできないのと一緒なのだろうけれど。
 仕方ないから、寝心地の悪い寝台でふて寝しているしかない。閉所恐怖症だったら、これだけで拷問だろうな。
 と、すぐ近くの外から話し声が聞こえた。ウェンゼルさんと話す声には聞き覚えがある。
 私は寝台から跳ね起きて、天幕の外に飛び出た。
「キャス、久し振りだな」
「カリエスさん、ご無事で」
 少しだけ微笑んで私を見るその人を見上げた。

 すぐに殿下のいる天幕に呼ばれて、そこでカリエスさんと話した。ランディさんとグレリオくんも呼ばれていて、こんな風に皆に囲まれて過すのは、すごく久し振りに感じた。
「ファーデルシアはどうでしたか」
 ランディさんの問いに、カリエスさんは、うん、と頷いて話し始めた。
「私が城で交渉を行っている時は、不思議なくらいに都の様子も穏やかだった。まるで、グスカとランデルバイアの戦を知らないかのような長閑ささえ感じたな。ファーデルシア王も相変わらずののらりくらりとしたもので、時々、自分が何の話をしているか分からなくなる程だった」
 それには、皆の顔に、さもありなん、と言わんばかりの苦笑が浮かんだ。
 ……ファーデルシア王ってそんな人だったのか。会った事はなかったけれど、もっと野心的な、がつがつした人かと思っていた。
「しかし、結局のところ、巫女の引き渡しは拒絶されたのですよね」
 真剣な表情でグレリオ君が問えば、カリエスさんは吐息をついて首肯した。
「最初は、『大事な息子の嫁になる者を渡すわけにはいかない』と言ってしらばくれていたが、最終的には、『大事な孫』に変わっていたな」
「妊娠は間違いないという事ですか」
 或いは勘違いか、とも期待していたが、その一縷の望みも頷きひとつで消された。
「美香ちゃんに……黒髪の巫女に会えたのですか」
 その問いには、いや、と短く否定される。
「影すら拝めなかった」
「では、どうやって手紙を渡したのですか」
「ひとりの女性が間を取り持ってくれたんだ。キャス、君の知り合いだと言って、君の行方を訊ねてきた」
 まさか。
「ルーディと名乗っていたが、心当たりはあるかい」
 頭を殴られたような気がした。
「……友人です。私が世話になっていた施設にいた」
「やはり、そうか」
 心臓がバクバク音をたてた。そうか、美香ちゃんが、ひとりで我慢できるわけがなかった。多少は気心が知れたルーディを傍に呼びたがるのは、充分に有り得る話だ。
「ルーディが、何故、城に?」
 ちびっこ達の世話があるだろうに、どうして。
「うん、偶に来て、巫女の話し相手になっているそうだ」
「では、常に傍にいるというわけではないのですね」
「ああ、そのようだ」
 安堵の息が洩れた。常に傍にいるとなれば、巻込まれて危険なめにあう可能性が高い。それでも危険がないわけではないが、まだ安全だろう。
「君が生きていると知って、とても喜んでいた」
「元気でしたか」
「ああ。皆、元気でいると君に伝えてくれと。君に会いたいと言っていたよ」
「……よかった」
 鼻の奥が、つん、とした。急に、今まで遠く離れて見えなかったものが、手に届くほどすぐ近くに感じた。
「それで、これを君に渡してくれと。悪いが、中身を確認させてもらった」
 皆の前で、一通の手紙が手渡された。上品な白い封筒は、封蝋が捺されていたが、既にそれは破られていて、中身がすぐに取り出せる状態だった。私は、数枚に渡る便箋の中身を、ざっ、と確認した。
 美香ちゃんからだった。『高原かすみ様』、と丸っこい日本語の文字で書かれてある。霞という漢字は書けなかったのだな。
「それを読め」
 それまで黙っていた殿下が、私に命じた。
「巫女はなんと言ってきている」
 ……そういう事か。
 皆を集めたのは、アフターフォローも万全というわけか。
「嫌です」
 私は殿下を睨んで答えた。
「これは、私個人に宛てて書かれたものです」
「読め」
 青い瞳が射る強さで私を見た。
「キャス」
 脇に立つアストリアスさんが、宥める表情で私に言った。
「我々は黒髪の巫女の意志がどうであるか確かめなければならない。君になら分かるだろう」
 分かるさ。
「もし、美香ちゃんが自分の意志に反して拘束されていたとしたら、どうするつもりですか。逆に、ファーデルシアから離れる意志がなければ、どうするつもりなんですか」
「おまえには関係のない話だ」
 切り捨てるかのような殿下の返事。
 また、だ。
 どうして、この人のこういう言い方を聞く度に、口の中が不味くなるのか。
「関係あります。私か彼女のどちらかしか生きられないのでしょう。それが、この内容で決定される。そういう事でしょう。嫌ですよ、そんなの。読みたくないです。読みません」
「その小賢しさ、時には仕舞ってはおけぬものか」
 舌打ちをするような声があった。
「なにも無理に読まさせる必要はないのではないですか」
 ランディさんが口を挟んだ。
「巫女が子を宿している事も、ファーデルシアから我々の撤退を望んでいる事も、そのルーディという娘から確認済みなのでしょう。そして、王と王子の意志も」
 ……そうなのか。知っていて、私に留めを刺ささせる、ただ念押しするだけの為なのか。
 既に答えは決まっている。それなのに、なんて酷い。
 アストリアスさんが、尚も私に言い聞かせる。
「キャス、私達も君にこんな事はさせたくない。しかし、その文字を読めるのは君だけなんだよ」
「分かっています。でも、私はこんな風に、自分の口で決定を下したくはありません。嫌です」
 分かっている。彼等が私をできるだけ傷つけないように気を配っている事は知っている。軟禁も、戦況を聞かせないのも、みんなその為だ。もし、彼等に文字が読めたならば、私に渡す前に読んでいただろう。
 でも……こればかりは、嫌だ。分かっていても、口にしたくない。
 手紙を持つ手に自然と力が入る。
 息が詰まるような時間を経て、それでも手紙を読もうとしない私を見て取った殿下が呟くように、「頑固者めが」、と言って捨てた。
「もう良い。下がれ」
 その一言に、私は逃げ出すように、殿下達のいる天幕を後にした。

 分かっている。
 分かっていた。
 生き残るのは……私だ。




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