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 話しかけてきた女性は、エイリンゼさんと言う名で、三つ向こうの村からやってきたそうだ。元から信心深く、一月半ほど前に、首都ファンブロウの大神殿に参詣にいった時に『アメイジング・グレース』を初めて聴いたと言う。巫女さんたちが歌っていたそうだ。
「大神殿っていうと、街の真ん中に立っているあの大きな建物ですか」
 石造りの街一番の大きな建物だ。行った事はないけれど、遠目から見ても立派な建物だ。見た感じ、ドイツのケルンの聖堂を思わせる。養護施設にいても、いつも鐘の音が聞こえていた。ミシェリアさんも以前はそこにいたそうだ。
 そうです、とエイリンゼさんはにっこり微笑んで頷いた。
「こんな美しい曲があったのか、と涙が止らなくなりました。これこそ神の御言葉であると、天啓を受けたと思いました。それから何度も通い詰めて覚えました」
 ……然様で。
 エイリンゼさんは、どこから見ても普通の村娘といった感じだが、やはり、目付きが普通とはちょっと違っていた。エル・グレコの宗教画を思いださせるような、白目むいて常に斜め上を見上げているような雰囲気だ。常軌を逸しているわけではないが、まあ、半トランス状態とでも言うのか、脳内ホルモン垂れ流し状態とでも言うのか……ちょっと怖い。
「それで、何故、ここに?」
「神の御言葉をみなに伝え、広める為ですわ。特にランデルバイアの方々に。人同士、傷つけあうものではありません。すぐに戦など止めて、神の許しを乞うべきです。慈悲深いタイロンの神は、今ならばきっと御許しになるでしょう」
 まあ、戦争反対は同感だけれど……方向性が違いすぎるな。
「ここにいる方達は、皆さん似た感じで集まってきたんですか」
「ええ、皆、同じようにこの『歓びの歌』を聴いて、呼びかけに応じて集まってきた者ばかりです」
 歓びの歌? そりゃあ、ベートーベンの第九だろうよ。勝手に曲名をつけたか。
「呼びかけって、どなたからか誘われたんですか」
「ええ、神に誘われて」
 ……駄目だ、こりゃ。まあ、誰かが提案して始めて、口コミで聞きつけた他の連中も集まってきたって所だろう。
 私は、神殿内にいる他の人達を眺めた。
 祈りを終えて、それぞれにくつろいだ表情で話し合ったり、また祈ったりして時間を過している。ざっと見た感じ、皆、若い。エイリンゼさんも含めて、おそらくまだ十代後半から二十代前半の年齢だ。
 なるほどね。思い込みの激しそうな年代だ。
 予想通り、『ええじゃないか』の発生に似てはいるけれど、どっちかって言うと六十年代ヒッピーに近い感じか。ラブ・アンド・ピース、サイケデリックが流行したあの時代だ。思想よりもファッションやデザインとして、私には馴染深い。
 映像でちらっとしか見た事ないけれど、ウッドストックコンサートとかあったもんな。あれも伝説になった。ただ、あれはロックが主流で、もっと過激な感じだ。自由と無法を履き違えていた印象がある。だが、まあ、アメイジング・グレースでは、そうそう激しい運動にはならないだろう。封建社会では、この辺が限界か。ドラッグさえ使わなけりゃ。地味だし。……いや、それとも、ひょっとして、全共闘か? フォークソングとかの。うわ、そっちの方が近いか!?
「貴方も私達と一緒に行きませんか。ここで会ったのも神の御導きでしょう。共に、この戦を止めましょう」
 あー、そりゃあ、違う。ぜってぇ違うと思う。そんな事したら、また捕まりに行くようなもんじゃないか。それに、現実問題、普通だったら、そんな方法は通用しないぞ。ランデルバイアが無駄な被害を避けようとしているからなんとかなっているんで、通常であれば、力任せに蹴散らかされておしまいだ。
「ええと、ごめんなさい。私、これから行かなきゃならないところがあるんです」
「行くって、どちらへ」
「あ、と、ファンブロウへ。知り合いがいて、その人達に会いに」
 そう口にしてから、そうだ、と思った。ルーディやミシェリアさん達に会いに行こう。会ってどうなるわけでもないけれど、ちびっこ達や皆の無事な姿が見たい。
「養護施設なんですけれど、とても御世話になった方達で心配なんです。女性とまだ小さい子達ばかりで、こんな状況で、皆、怖がっているだろうし、なにか力になれればと思って。それで、ここまで来たんです」
 まあ、とエイリンゼさんはさも同情した様子で眉尻を落した。
「私も戦を止められるならそうしたいですが、今は、その人達の事が心配で……」
 ちょっと哀しんだ振りをしてみせた。ラブ・アンド・ピースの精神ならば、通用するだろう。非暴力は賛成するところだけれど、今更、群れてどうしようって気にはならんぞ。
「分かりましたわ」、とエイリンゼさんは物分かりよく頷いてくれた。
「貴方には貴方のなすべき試練を神は御与えになっているのね。弱き者を導くも神のご意志。きっと、その方達を導く為に、神はあなたを御遣わしになったのでしょう」
 いや、それも違うと思う。でも、ここは黙っておく。
「頑張って。正しき道を行くものには、必ず、神が光明を授けて下さるに違いありません」
「ええ、そうですね。あなた方にもタイロンの神の御恵みがあらん事を。頑張って下さい」
 頑張って、殿下達をできるだけ長く引き留めておいてくれ。そんでもって、早いところ目が覚めて、うまく更生できると良いな。
 私のそんな心の内も知らず、エイリンゼさんは聖母の微笑みを浮かべて頷いた。
 ……その顔が、胡散臭く感じるんだ。

 そんなこんなで私は、なんとか勧誘からは解放された。意外にあっさりといった方だろう。そうして、私は、その夜は神殿のベンチで、何の関りもない見知らぬ人達と一晩を過した。時々、聞こえるアメイジング・グレースの歌声が鬱陶しかった。うるせぇ! さっさと寝やがれ!
 しかし、なんだか妙な感じだ。木で出来たベンチの寝心地は最悪だったけれど、でも、そんな状態でも、天幕の中よりもずっと居心地良く感じた。
 今頃は、私がいなくなった事に気付いたかなあ……探したりしてんのかな。
 一瞬だけ彼等の事を思いはしたが、すぐに忘れた。
 けっこうどころか、かなり薄情だ、私。
 ……ま、いいさ。




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