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 時を告げる大神殿の鐘の音が、響き渡る。
 その音が、既に聞きなれたものではなくて、懐かしく感じる音に変わっていた。

 次の日、ルーディ達に会いに行けるかと思ったが、駄目だ、と言われた。思いの外、養護施設自体の警備が厳しいらしい。兵や騎士が、交代で見張っているのだそうだ。
「なんで、養護施設が」
「分からない」
 私の問いにカリエスさんが渋い表情で答えた。
「可能性として考えられるのは、君からの手紙が見付かったのかもしれない。君の友達が仲介した事がばれたとしたら、有り得る話だ」
 あ……そうだ。そう言えば、あの手紙にも王子に話したらしい事が書いてあったじゃないか。
「だって、カリエスさんは、もう、ここにはいない事になっているじゃないですか」
「だが、再び接触する可能性を考えての事だろう」
 ……ルーディ達は関係ないのに。
 カリエスさんが溜息を吐いた。
「すまん。こういう事になるならば、読んだら処分するよう伝えておくんだった」
「いえ、私が手紙にそう書いて置けばよかったんです。迂闊でした」
 萎れる私の前に、とん、と目の前のテーブルにお茶の入ったカップが置かれた。
「元気だしなよ、魔女さま。戦が終れば、また直ぐに会えるようになるからさ」
 と、明るい声でホルトくんが声をかけてくれた。
 ホルトくんは、ここの宿の御主人――カウンターにいたヒルズさんのお孫さんで、十二才だそうだ。こうして宿の手伝いをしながら仕事を覚えている最中らしい。日本だったら、中学生になるかならないかの年でえらいものだ。
「ありがとう。ホルトくん、私の事はキャスでいいよ」
「でも、魔女さまが、グスカからガーネリアを取り戻してくれたんだろ。俺、まだちっせかったから覚えてないけれど、俺の父ちゃんや母ちゃんもあそこに眠ってんだ。だから、ずっと行きたいと思ってた。でも、これまでは無理だったからさ。俺、もう少し大きくなったら、爺ちゃん連れて行くよ。爺ちゃんは、『もう年だから』って言うけれどさ、俺が負ぶってけばいいだろ。そんでもって、爺ちゃんのいつも話している草原を見せてやるんだ」
 そう言って、太陽のような笑顔を私に向ける。
 十年前の戦に巻込まれて、ホルトくんの両親は亡くなったそうだ。ヒルズさんは、まだ幼いホルトくんだけを連れて、ここまで逃げてきたのだ、とカリエスさんから聞いた。でも、ヒルズさんもホルトくんも、そんな過去を思わせない明るさを見せている。
「うん、早くそうできるといいね」
 私は答える。
「でも、あそこの土地は、ガーネリアの人達がみんなで協力して取り戻したんだよ。私はそれを手伝っただけだから、大した事はしてないの。だから、キャスって呼んで。さま付きで呼ばれるの、ちょっと恥ずかしいし」
「そうなんだ。じゃあ、これからはそう呼ぶよ」
「うん、お願い」
「でも、ガーネリアを取り戻してくれてありがとう、キャス」
 そう笑って、ホルトくんは仕事に戻っていった。
 ……ほんと、偉いなあ、君。精神は、もう、いっちょ前の大人じゃないか。
 それとも、経験と環境が彼等を早く大人にするのか。
「ガーネリアの土地はこれからどうなるんですか?」
 私の問いにカリエスさんは、うん、と頷き、
「まだ、決まった事ではないが、おそらく第二王子であるローディリアさまをガーネリア王として据え、国として復興させる事になると思う。そうする事になんの不都合もないだろうからな」
「ああ、王妃さまの血をひいているから」
「うん、まあ、まだ四つと幼くていらっしゃるから名目上の王であるし、国として独立してからも、政《まつりごと》についてはランデルバイアの方針に従うものにはなるだろうが」
「実質、ランデルバイアってわけですか。グスカと似たような感じですね。でも、それではランデルバイアの損になるんじゃないんですか。それだけ犠牲も払っているんだし」
「いや、所領が広がったところで良い事ばかりではない。グスカであった頃も、それなりにやりはしたのだろうが、結局は土地を荒らしただけに過ぎなかった。その風土にあった政策や整備も必要だろう。そういう意味で、あそこの土地を良く知る者達に任せ、収益をあげた方が効率的だ。国名を冠する事は、人民にその意識を高める事にもなる。払った犠牲に対しての元は、長期的に消却して貰えば良い。それでなくとも、周辺国の揉め事が減るだけで、ランデルバイアとしては、随分と楽になる。出兵するにもそれなりに資金が必要だからな。あと、他の諸国との外交政策の影響も含めると、悪い事ばかりじゃない」
「ああ、なるほど。地方分権ってわけですか。露骨な侵略策よりは、周辺国の警戒も弱まるでしょうし」
 ふうん。その上で上納金やらを納めさせるってわけか。そうなるまでの資金面での遣り繰りが大変そうだけれど、なんとかなるからやってんだろうな。まあ、グスカから没収する財産も少なからずあるだろうし。
「じゃあ、ランデルバイアは王国から帝国になるわけですね」
「そこまで大袈裟ではないが、実質的にはそういう見方になるかな」
「では、ファーデルシアはどうなりますか」
「それについては、まだなんとも言えないな。陛下も色々と協議はなされたようだが」
 と、そこへ男の人がひとり、私達のいる食堂に入ってきた。
「早かったな」
 カリエスさんがその人に話しかけた。
「ああ、運良く途中で斥候部隊の連中と行き合って、俺だけ先行して戻って来た」
 斥候?
 男の人はおよそ、カリエスさんと同年代頃。褪せた色の金髪に紫の瞳をした、普通の感じの人だった。でも、白いシャツに、脛を出すまで裾を捲り上げた濃い緑色のズボンに身を包んだ身体つきはスリムで、陸上競技のアスリートのような身軽さを感じた。
 その人は私達のところまで来ると、私に向かってにっこりとした笑顔で、手を差しだしてきた。
「あんたが白髪の魔女さんかい。どんな婆さんかと思いきや、思っていたよりずっと若いなあ。初めまして。俺は、ブランシェだ」
 私はその手を握り、握手した。
「初めまして」
「それで、伝えてくれたか」
 カリエスさんの確認に、「バッチリ」、とブランシェさんは笑って答えた。
「早ければ、三日。遅くても一週間以内かな。まだ、分かんねぇけど」
 それは、ランデルバイア軍の話か。三日というのは、殿下に伝わるまでの時間だろうか。
「塞がれていた道は突破できたんですか?」
 思わず訊ねてみれば、ブランシェさんはテーブルの空いていた椅子のひとつに座って、私を見た。
「歌う集団のやつらの事か? そいつは、昨日か一昨日かに片付いたって聞いた」
「どうやって」
 まさか、力技で蹴散らかしたとか?
 それには、ブランシェさんは、くくっ、と咽喉を鳴らした。
「いや、それがさ。聞いて思わず笑っちまう話で。連中の前で歌ったんだとさ、同じ歌を」
「は?」
「歌ったのはひとりだそうなんだが、なんとかって将軍」
「ビルバイア将軍?」
「そう、そのビルバイア将軍がひとり連中の前に出て、同じ歌を披露したそうだぜ、道のド真ん中で」
 うっわあ、すげぇ、奇策! ガラスも割るって人間型超音波破壊兵器に、アメイジング・グレースを歌わせたか。
「それで、どうなったんですか」
 それが、と笑い声交じりにブランシェさんは答えた。
「凄かったらしいぜ。百人ばかりいたらしいんだが、たったひとりでそいつら全部よりでかい声で歌ったもんだから、連中、呆気に取られたっていうか耳を塞ぐしかなくて、それ以上、歌う気をなくしちまったんだと。で、歌う将軍を先頭にそこを通り抜けたらしい」
「へえ、凄いですね。百人の合唱を上回るなんて」
 本当に凄いぞ、ケツ顎二号!
「ああ、将軍が歌っている最中、歌声がそこら中にこだましたそうだが、軍はすこし離れた位置まで退いていたにも関らず、暴れる馬を押さえるのに大変だったそうだ。牧羊地帯だったから、近くの牧場の羊だか牛だかが厩舎ぶち破って逃げ出したって話も聞いたぜ」
「……怖かったんですね」
「そりゃあ、怯えるだろう。動物は耳も良いしな。ランデルバイアの連中はみんな耳栓してたから良かったが、そうじゃない連中は、暫くの間、ふらふらしてたって言うし」
 うわあ、三半規管までイカレたか。どんな馬鹿でかい声だよ。てか、新伝説誕生だな、そりゃあ。ビルバイア伝説。形を変えて、お伽噺にも残りそうだ。
「でも、誰が出したんでしょうね、そんな案」
 すると、カリエスさんが含み笑いで答えた。
「殿下だ」
「ええっ、そんな手も使うんですか!?」
 意外だ。そんな小洒落た策、思い付くタイプには見えないけれど。
「ああ、ビルバイア将軍に歌を覚えるように指示していたからな。だが、決してその時までは口に出して歌うな、と注文も付けていた。それが、見事に当ったようだな」
 すげえ。
「それで、こちらに向かって進軍を再開したってわけですか」
 ブランシェさんが頷いた。
「ああ、他については、部屋で聞かせて貰おう」
 カリエスさんがすかさず言った。
 えー、べつにいいじゃんかよう。
 食堂というか、この宿に私達の他に宿泊客はおらず、会話を聞く者はいない。だから、そうする事で排除されるのは、私しかいない。
 不満の顔色が出ていたのだろう。カリエスさんは私にむかって、宥めるように言った。
「君には聞かせられない話も混じっているかもしれないからな」
「なんですか、私が聞いちゃいけない事って」
「色々さ。私個人の情報源とかもあるから」
 ああ、そういうものか。
 私でも分かる事と言えば、カリエスさんが諜報活動らしき仕事に従事しているという事だ。仲間内でも話せない情報とかも持っているに違いない。普段の寡黙さはそれ故か。
「君にも話せる事があれば、後から知らせる」
 はい、と物分かりよく返事しても、どうせ、話して貰えない内容の方が多いんだろうなあ。
 その中には、私の身を案じて、という理由も含まれていたりするんだろう。
 別にいいのに。隠し事される方がストレスが溜ったりもするんだ。

 ……もどかしい。




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