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カリエスさんがブランシェさんと部屋に引っ込んで、ひとり食堂でぼうっとしていると、ホルトくんがまた近付いてきた。
「俺、考えたんだけれどさ、よかったら、俺が養護施設行って、手紙渡してくるなりしてこようか? こどもだったら怪しまれたりしないだろ」
ああ。
「ありがとう。うん、でも、いいよ。やっぱり、危ないし。疑われて、ここにいるのがバレたら大変だし」
普段とは違う事があれば、疑われるきっかけになる。これ以上、みんなを危険なめに遭わせられない。
「今は動かない方がいいんだと思う。それに、戦争が終れば、また会えるでしょ。暫くの間の我慢だから」
「だったら、良いんだけれどさ。でも、なんかあったら言ってくれよな。俺、うまくやるしさ」
「うん、ありがとう。その気持ちだけ貰っておく」
こどもにまで気を遣われちゃあなあ……おとな失格だ。でも、こどもとおとなの境界って何処なんだろうなあ。
そんなどうでも良い事をつらつら考えながら、無為に時間を過した。
午後になって、部屋に引っ込んでいた私をホルトくんが呼びに来た。
「キャス、下に降りて来いよ。吃驚させる事があるんだ」
向けられる笑顔は、いたずらっ子そのものだ。私が驚くことを満々に期待した顔。……何を企んでいるんだ?
「吃驚させるってなに?」
「来れば分かるって」
こどものする事だから、驚くといっても大した事ではないだろう。でも、そこを大袈裟に驚いてやるのも、おとなの務めってやつかもしれない。なんとなく、ホルトくんが、私を慰めようとしてくれているのは分かるから。
でも。
「キャス!」
……本気で吃驚した。
「ミュスカ?」
食堂に入った途端、小さな身体が体当たりをするように抱きついてきた。
「グラントに、サリエも。え、どうしたの。なんでここにいるの?」
皆、養護施設のちびっこ達だ。幼稚園で言う、年少組の三人。
ホルトくんを見れば、してやったりの顔で笑っている。
「お外で遊んでたら、あのお兄ちゃんがいっしょに遊ぼって来たの。お菓子あげるから一緒においでって」
こら。
「知らない人についてっちゃ駄目だって言ったでしょう」
めっ!
と叱れば、ごめんなさい、とミュスカはべそをかいて謝る。その表情に、厳しい顔も保っていられない。
屈んで同じ目線になって、小さい身体を、ぎゅっ、とした。
「元気そうで良かった。ほら、グラントもサリエもおいで」
呼べば、あとの二人も駆け寄ってくる。しがみついてくる身体を、三人纏めて抱いてやる。
「キャスぅ……」
「ほら、泣かないの。久し振りなんだから、良い顔して」
この子達と離れて約三ヶ月半。私にしてみれば目まぐるしくて、あっという間だったような気もするが、この子達にとっては長い歳月だったかもしれない。
「サリエ、少し、背が伸びた? グラントも大きくなったね。ミュスカは相変わらず泣き虫さんかな」
「ぼく、この前測ったら、三センチ高くなってた」
と、金髪の巻き毛のサリエが言えば、「ぼくも二センチ」、とグラントがそばかすの浮いた顔も得意げに答えた。
「そう。他のみんなはどうしている? 元気? ミシェリアさんやルーディの言う事、ちゃんと聞いている?」
「ルーディ、いないの」
ミュスカが答えた。
「え?」
「お城行ったきり、帰ってこないの。ミカ姉ちゃんが呼んでるからって」
鼓動が、ひとつ大きく鳴った。ちびっこ達を抱く手が強ばった。
「いつから、いつからいないの」
「ええと、三日前」
グラントが答えた。
「一人で行ったの?」
そう問えば、サリエが首を横に振った。
「騎士が呼びに来た。馬車に乗って行ったよ」
「ミシェリアさんは? 先生はその時、どうしてた」
「先生は、お出掛けしてた。だから、みんなでお留守番してたの」
ミュスカが答えた。
なんて事だ!
丁度、子供たちの為にミルクとクッキーを持ってきてくれたホルトくんに訊ねる。
「ホルトくん、カリエスさんは」
「旦那なら、部屋にいる筈だよ」
「悪いけれど、呼んできてくれる。直ぐに来てって」
「ああ、うん」
ホルトくんは少し驚いた様子で頷くと、すぐに食堂を出ていった。
……まずは、落ち着こう。落ち着かなきゃ。
子供達を椅子に座らせて、ミルクとクッキーを与えた。
「それで、今、施設には先生……ミシェリアさんだけがいるのね」
私の真似をした、いただきます、の声とともに早速、クッキーを口にしたちびっこ達は、それぞれに頷いた。何も分からない様子で。
こども達はそれで良い。だが、ミシェリアさんは大変だろう。それに、不安だろうし、ルーディの事をさぞかし心配しているに違いない。何事にも動じない、冷静さと落ち着きをもった人ではあるけれど、それでも、女性ひとりでこども達を守ることに、今は精一杯の筈だ。
「キャス」、と声があってカリエスさんが入ってきた。
「何かあったのか。その子達は」
「施設の子達です。ホルトくんが連れてきてくれました」
途端、真直ぐの眉が顰められた。
「危険な真似を……」
「怒らんでやってくれ。元は私が提案した事でさあ。こどもなら大丈夫だろうってね」
一緒に入ってきたヒルズさんが、のんびりとした口調で言った。
「この子達から足がついたらどうする」
「いざとなりゃあ、また逃げりゃいいだけの話さ。それに、そう長い期間でもあるまい」
気軽に言ってのけるヒルズさんを前に、カリエスさんは、半分怒った様子で吐息を吐いた。
「まあ、いい。それで、なにかあったのか」
私は頷いた。
「ルーディが、三日前に城に連れていかれてまだ戻っていないそうです」
できるだけ声を抑えたつもりだったが、少し上ずってしまった。
「こども達だけを置いて出掛けるなんて事、普段じゃ絶対に有り得ません。脅されたかしたんだと思います」
「人質に取られたか……」
厭な間があった。
「……なんですか」
問う言葉には、いや、と短く否定される。
「巫女とは旧知の者だ。酷い真似はされまい。だが、城攻めの時に巻込まれる怖れがある。その事は殿下にも伝えよう。女性に危害を加える事はないが、念の為に」
「そんな待ってられませんよ。直ぐにでも助けないと」
「少し落ち着きなさい。君らしくもない」
カリエスさんは言うと、私の肩に手を置いた。
「城にどうやって潜入するのか。城の何処にいるのか。そういう事がまるで分からない状況で、どうやって助けるつもりだ。普段の君ならば、真っ先にそれを考えるだろう」
「でも、ルーディが! もう三日も経っているんですよ!」
何故、最悪の事態が真っ先に私の頭の中に浮かぶのか。もっと、鈍ければ良いのに。
「だから、冷静になれ、と言っている。無闇に突っ込んでいって、君こそ連中の餌食になるつもりか。君が人質に取られれば、我々にとっては、最も重い枷となる。それでどれだけの犠牲を払う事になるか、見当もつかないくらいだ。そうならない為にも、相応の計画と準備が必要だ。分かるね」
だって!
ここで、もし、ルーディに何かあれば、私の今までやってきた事はなんだったのか。
「焦らず、ここは我々に任せなさい。君の友人が無事に助け出せるよう全力を尽くそう。殿下もそれに異存はない筈だ。どうか、我々を信頼してくれ」
頷かなければいけない。だが、何故か、素直に頷けなかった。
胸がざわつく。表皮はぴりぴりと、静電気を帯びているかのようだ。
カリエスさんは、無理に私に返事を要求はしなかった。
「まずは、この子達を帰そう。遅くなれば、君の友人に心配をかける事にもなるしな」
すると、ヒルズさんが、
「ああ、それなら私が送っていこう。孫が連れ出したと謝りついでに、様子をみてきてやるよ。ひょっとすると、嬢ちゃんの友人てのも帰されてきているかもしれないしな」
と、言って私に安心させるような微笑みを向けた。
「なに、心配ないさ。きっと、今頃、無事でいるさ」
であれば、良いのだけれど。ただ、本当に美香ちゃんが引き留めているだけなら、安全だろう。でも、そうじゃなかったら? また、美香ちゃんの知らないところで行われているとしたら?
私が怖れるのはその事だ。
もし、ルーディに傷ひとつでもつけてみろ。そん時は、ただじゃおかない。
……でも、その時、私はどうなってしまうのだろう? どうするというのか?