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 誰かの悲鳴が聞こえたような気がした。
 覆っていた膜が急に取り払われたような気分で、唐突に目を覚ました。でも、反射的に起き上がってすぐは、自分が何処にいるのか、どうしてここにいるのか、何故こんなところにいるのか、分からなかった。
十回ほど息を繰返して、漸く、何があったかを思い出した。
 急に起きたせいか、薬の副作用だろうか。ぼうっとする頭を振りながら、ベッドから這い出た。
 周囲は暗く、夜になっていた。何時ごろなのか。
 ベッド脇に揃えてあった靴を履き、窓に近付く。
 小さな裏庭と路地しか見えない見晴らしの悪い筈の風景は、暗さも相まって何も見えない。が、なんとなく何かが動いている気配を感じる。目を凝らして見ていると、どうやら、人がいるらしい。不明瞭ながら話し声が聞こえた。男の声だ。
 何を言っているか分からなかったが、路地で立ち話をしていた。……こんな暗闇で?
 話し声が途切れると、硬い石畳を走り去っていく足音が響いた。
 なんだろう?
 何が起きているのか。

 ――次に目が覚めた時には、ぜんぶ終っているよ。

 眠りに落ちる僅かな間に聞いた、ヒルズさんの言葉を思い出す。
 そうだ。ルーディ!
 ぜんぶ終っている、とは、きっと、全部、だ。
 ルーディの事も含めて、全部。
 ランデルバイア軍が到着したのか!? そして、今、夜襲が仕掛けられているんだ!
 いや、だが、それにしては静かだ。城から距離があるにしろ、それなりに音が響いてくる筈。それに、ホルト君の話では馬で三日の位置にいると聞いた。ひょっとして、そんなに長い間、私は眠っていたのか? ひょっとして、何もかも終ってしまったというのか!?
 なにもせず。
 なにも出来ないままに。
 堪らず、部屋の外へ飛び出す。と、
「何処へ行く」
「……カリエスさん」
 私の部屋の扉脇に置かれた椅子から立ち上がったその人を見上げた。
 薄暗い廊下では、得体の知れない大きな影になって見える。それが、怖く感じた。
「部屋に戻りなさい」
 私が出ないように見張りをしていたらしい。
「なにが起きているのですか。今はいつなんですか。私が眠らされてから、どれぐらい経っているんですか」
 溜息が答えた。
「部屋に戻りなさい。質問には、夜が明けたら答えよう」
「今、教えて下さい。ランデルバイア軍は、到着したのですか。城はどうなっているのですか」
 沈黙があった。
「カリエスさん!」
「……今、行っても、君に出来る事は何もない」
 そうかもしれない。でも、
「ルーディはどうなったのですか!? 無事なんですかっ!? 美香ちゃんはっ!?」
「戻りなさい」
 また、だ。
 怒りが湧いた。重い怒り。どろり、と溶け出すような。
「また、私を除け者にするんですね。何も知らせず、何も分からなくして、それで、結果だけを押し付けようっていうんですか。それで、私が納得すると思っているんですか。そんなんで、私がほいほいそうですかって受入れると思ってんですか。バカにしないで下さい!」
「そんなつもりはない」
「だったら、なんだって言うんですかっ!」
「危険だからに決まっているだろう。ろくに剣も扱えない君を戦いの真ん中に連れ出して、みすみす殺されるような真似は出来ない」
「勝手に巻込むだけ巻込んでおいて、それはないでしょう!? あそこには私の大事な友達がいるんです! 実の家族より大事な、妹みたいな娘なんです! 剣なんか触った事もないし、私以上に人を傷つけたりできない優しい娘なんです! その危険な場所にその娘を置いて、黙って見てろって言うんですかっ!」
「君の友人は助けるよう伝えてある」
「そんなの分かったもんじゃない!」
 私は叫んでいた。
「戦っている最中の人間がまともなわけないじゃないですかっ! 味方だって、何するか分かったもんじゃない! そんな事、あなた方だって分かってるんでしょう!? 弱いってだけで殺そうとする! ましてや女なら、乱暴されたって可笑しくはない! 平気で強姦だってなんだってする! 虫けらみたいに踏潰そうとする! それを面白がって、笑ってするんです! それで終った後に、『それが、戦争だから』、って平気な顔して言うんですよ! 自分は悪くないって、自分も被害者なんだって、戦争を理由に悪事を正当化する! 正義の為に仕方なかったって! 人を傷つけて、殺して、なにが正義ですかっ! 犠牲になった者の気持ちや残された者の気持ちなんかこれっぽっちも考えないで、すんだ事にしてしまう! 人を殺した手で、傷つけた手で、幸せそうな顔で家族に囲まれて、自分のこどもを抱いたりするんです! 自分達がどれだけ酷い事をしたかも忘れて、笑ってたりするんですよ! そんな連中に、任せられる筈がないじゃないですかっ!」
「嬢ちゃん、そんな事を言っちゃ駄目だ」
 いつのまにか、ヒルズさんがそこにいた。二人で見張っていたのか。
「それは、口にしちゃいけない事だよ」
「そうではない、忘れる筈がない」
 遮るようにカリエスさんが答えた。
「忘れた振りですか! それで、内心は自分たちも苦しんでいるんだ、辛いんだって言いたいんですか! そうやってまた、戦争を言い訳にするだけでしょう!?」
「だったら、どうしろというんだ!」
 カリエスさんも怒鳴った。
「自分達のした事を悔いて、死ねとでも言うのか! 大事な家族を置いて、誰だかわからない死んだ者の為に死ねとでも言うのかっ! 黙って殺されていろとでも言うのかっ!」
「違いますよっ! だったら、最初からしなけりゃいいじゃないですかっ! 止めりゃあいいんですよっ、こんな事! こんなくだらない理由で戦ったりせずに、大人しく自分の国に引っ込んで、大人しく暮してりゃあいいんですよ! くだらない権力闘争やって、暇を潰してりゃあいいんです!」
「その国が滅ぼされるかもしれんのだぞ! それでも、戦うなというのかっ!」
「だからって、自分達から仕掛ける言い訳にはならないでしょう! 嫌なら手に持った武器を捨てりゃあいいだけの事じゃないですか! 色々、理屈をつけても、本当はそうするのが恥だから、味方に悪いから、罵られるのが嫌だから、軽蔑されるのが嫌なだけなんじゃないんですか!? 大体、『かもしれない』程度の事じゃないですか! 勝手に思い込んだ憶測だけで勝手にびびって、そんなんが人殺しの理由になると思ったら大間違いです! ただの臆病モンの言い訳ですよ、そんなの! それを隠すために勿体ぶって、偉そうな顔したって、やってる事は小心者の、甘ったれの言い訳にしか聞こえません! ふざけんなって言いたくもなります!」
 身体の中に溜っていた何かが私の口から言葉として、次々に吐きだされていた。
「嬢ちゃん、嬢ちゃんが辛いのは分かる。言いたい事も分かるよ、でも、」
 ヒルズさんの言葉も、私には届かない。
「国なんてなくたって、人は生きていける! 神様なんか存在するわけない! いたって、役立たずの無能者と変わらない! 奇跡なんてあるわけがない! 誰かの努力の結果と偶然が重なっただけ! 黒髪の巫女なんて、いたかもしれないけれど、祈る事しか出来ないただの馬鹿な女ってだけ! 大陸の覇者なんて妄想の産物でそんなヤツ、端からいない! いたとしても、大量殺戮を行ったろくでなしだ! その上で築かれた平和なんて紛いものに決まってる! そんなものを崇める必要なんてない! そんなものを信じるなんて、ただの馬鹿野郎だ!」
「……キャス、君には、本当に魔物が取り憑いてしまったのか」
 カリエスさんの声が、僅かに震えを帯びる。
 なんて事を、とヒルズさんが口の中で呟いた。
 怒りと悲しみの混ざった空気が私を叩く。
 ハッ!
「そう思うならそれでもいいです。上等です。タイロンだかなんだか知りませんが、大勢の人間が意味もなく死んでいくのを当り前にする馬鹿馬鹿しい存在が神だというならば、私は魔物でかまいません。どうせ、魔女と呼ばれる身です。火炙りにでもなんでもすればいい。でも、それが当り前に行われるっていうんだったら……こんな世界、全部なくなってしまえばいい!」
「キャス!」
「私、ルーディを助けに行きます。その為に、今まで生きてきたんです」
「我々が、そんなに信用できないか」
「……たった三ヶ月前に私を殺そうとしていた相手を、今また、こうして薬を盛る相手をどうやって信用しろって言うんですか」
 その表情ははっきり分からなくても、目の前に立ちはだかる感情ははっきりと伝わってきた。
「悲しいよ、キャス。こんな寂しい気持ちになったのは、初めてだ。君にそんな風に思われているとは」
 吐く溜息に、涙が滲むのを感じる。
「君を守りたいという気持ちに偽りはない。君を友人だと思い、仲間だと思っていた。でも、君にとっては違ったんだな」
「それは気のせいですよ、カリエスさん」
 私は答えた。
「あなた方は、いつも私の黒い目の色を通して、後ろにいる神様を見ていた。私を見ようとはしていなかったじゃないですか。結局は、私を守るっていいながら自分達の信じる神を守っていただけなんです」
 酷い言葉。自分が刃になったような気分。
 でも、それが真実。
 常に感じていた。はっきりと言葉にされなくても、彼等の眼差しから。態度から。言動から。ふ、とした瞬間、いつも私は自分が異分子である事に気付かされ続けてきた。
 本当の事を言って、なにが悪い。今更、人を傷つけたって、痛む良心なんて残っちゃいない。気が触れたと言われるならば、多分、そうだろう。この世界同様、私だけまともではいられない。……ああ、なんだか、バラバラだ。身体も心も。自分が変なのは分っているけれど、どうしようもない。どうする気もない。くらくらする。
「ひとつ教えてくれ」
 脇を行きすぎる時、カリエスさんから質問された。
「どうして君の友人は、友人になれたんだ。君にそこまで思わせるようになったんだ」
「簡単です。彼女達は目の色も関係なく、悪いところもひっくるめた私自身を見てくれて、一人の人間として私を好きになってくれた。そして、私も彼女達の事が好きになったからです」
 ルーディはランデルバイアへ引き渡される私の為に泣いてくれた。髪の色が違うだけで美香ちゃんばかり大事にされてずるい、と言って泣いてくれた。
 ちびっこ達は、ただ純粋に懐いてくれた。母親代わりであっても、神様なんて関係なかった。
 ミシェリアさんははっきりとした事は言わなかったけれど、黒髪の巫女の伝説を私達に教えようとはしなかった。元神殿に務めた巫女であった人だし、教えてくれていても不思議はなかったのに。逆に話さなかった事の方が不自然だろう。でも、多分、そうする事で、私達が自分を特別な存在だと意識させないように、気を遣ってくれていたんだと思う。多分、周囲の人にもその事をよく言い含めてくれてたんだと思う。だから、なんの騒ぎも起きなかったし、誰も私達を特別扱いしなかった。そうやって守ってくれた。……王子に美香ちゃんが見付けられるまでは。
 彼女達の前で、私は自由でいられた。精神的に。
 生れて初めて、自分のペースで歩む事を許してくれた人達だった。私に自分の考えも、何も押し付けようとはしなかった。でも、放置する事なく見守ってくれていた。それがとても嬉しかった。
 それだけだ。
 だから、彼女達を守りたい。
 それだけの話だ。

 カリエスさんを追い越して、ヒルズさんの前を行き過ぎて、階段を下りた。
 宿の扉を開け、外に出た。
 私を止める人は誰もいなかった。




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