-40-


 つい、声をあげてしまった。だが、反射的に出てしまった声だ。仕方がない。
 階段を上りきったところで、いきなり血まみれの男が目の前に倒れるのを見れば、そりゃあ驚くだろう。足下に転がったその人の目がやけに生々しく、私を見上げた。まだ、息はあるらしい。
 と、目の前に剣先が突きつけられた。
 ひっ!
 息が止った目の前には、兜の頭頂に黒い尾と黒の襷を身に着けた甲冑姿。ランデルバイアの騎士だ。
「待って、敵じゃありません!」
 びくびくしながら、私は角から身を出して、両手をあげて言った。
 明かり取りから僅かに外光が射し込む半円チューブのような石の廊下で、剣を突きつけたまま騎士は私を確認した。
「その髪の色、白髪の魔女さまでしたか」
 そういった騎士の顔は兜に覆われていて目だけしか見えないが、多分、私の知らない人だ。でも、向こうは私を知っているらしい。
「何故、こんなところに。突然、姿を消されたと聞いていましたが」
 剣が下ろされた。私も両手を下げる。
「そんな事より、黒髪の巫女は見付かりましたか」
 訊ねれば、いいえ、との答えだ。
「向こうからひとつずつ部屋を確認してきましたが、ここにはいないようです」
 では、部屋にはいないのか。
「神殿は?」
「そちらは別の部隊が行っています」
 やはり、か。
「殿下はどちらに」
「殿下は王と王子を追って、城、中央の棟にいらっしゃる筈ですが」
 そうか、当り前に出て来てんだな。
「女性を見かけませんでしたか。明るい茶色の髪で緑の瞳の、ぽっちゃりとした感じのまだ若い」
「ああ、はい。その方もまだ。女性を見たら、手にかける事なく必ず保護しろという命は下っておりますが、未だ女性の姿はひとりも」
 そうか……じゃあ、城の他の人達と一緒に逃げているかも。だったら、まだ、無事な可能性が高い。
 私は返事を聞いて、床に倒れているファーデルシアの兵の胸当を掴んで起こした。べったりと血が手につく感触があった。頚動脈近くを切られている。虫の息だ。まだ若く、三十代そこそこの年齢だろう。のけ反る顔は苦しそうで、開けた口を閉じようともしない。今にも死にそうだ。
 恐怖を感じた。だが、手元にあった剣は蹴飛ばし、遠くへやりながら私は質問した。
「女の子は何処。巫女に呼ばれて、外から連れて来られた。茶色の髪の若い娘」
 返事はない。
「知っているならば言いなさい。神の御許に行きたければ、話しなさい。でないと、貴方の魂は呪われて永劫、地に囚われますよ」
 右手が力なくあがった。
「なに」
 微かに動く唇は、何かを言いたげだ。私は耳元を寄せる。
「に……し」
「西?」
「ろ、う」
「牢? 牢って牢屋の事!? ちょっと! どういう事ッ!?」
 そんな所にルーディが囚われているというのか。さあっ、と急速に頭から血が下がっていく感じがあった。
 重ねて訊ねる私の問いに、返答はなかった。がっくり、と力をなくし、男は事切れていた。かかる重みに堪え兼ねて、私は手を放した。
 鎖帷子が擦れる音をたてて、兵士の死体は床に転がった。
「西の牢ってどこですか」
 唇を噛み締めながら私は振り返り、未だその場に残るランデルバイアの騎士に訊ねた。
「牢の場所は分かりかねますが、西の棟でしたら、別の者達が行っている筈です」
「どっち」
「こちらです」
 騎士の案内で、美香ちゃんの部屋とは反対側へ足を進める。
 右方向という事は、今いるのは北棟なのか。ああ、そんな事よりもルーディが無事でありますように……
 最初に聞いた時の嫌な予感が、またぞろぶり返す。震えが出るのは、石に囲まれた冷え冷えとした空気のせいばかりではないだろう。

 お願いです。どうか、お願いです。私の聞き間違いでありますように。間違いでなくても、ルーディが酷い目に遭わされていませんように。ただ、閉じこめられているだけでありますように。あの娘は、不幸になってはいけない娘です。

 ……ここまで来ても、まだ、私は祈る事しか出来ないのか。いない筈の神に向かって。




 << back  index  next>> 





inserted by FC2 system