-41-


 石の廊下を真直ぐ進んで左に折れた先、正面まっすぐに伸びる廊下と右へ向かう廊下に分かれていた。
「右に入った先が西棟になります」、と前を歩く騎士の声を聞いて、私は立ち止まった。
「有難う。ここまででいいです。任に戻って下さい」
「ですが、まだファーデルシアの兵が残っています。おひとりでは危険です」
「大丈夫ですよ、用心しますから。貴方は戻って捜索を続けて下さい」
 騎士と一緒にいる方が目立って危険だろう。それに、私が足手纏いにもなるだろう。私ひとりだったら、まだ誤魔化しようもある。
「しかし、貴方に何かあれば」
「大丈夫です」
 うぜぇ。苛々させんな。
「私を誰だと思ってるんですか」
「……そうですね。貴方なら大丈夫だ。それに、貴方がここにおられるならば、我が軍の勝利に間違いはない」
 どこから出てくるんだ、その根拠のない自信は。ハッタリに乗り過ぎだろう。いや……カリエスさんの言っていた事は本当らしい。ついに、飼い猫から座敷童にまで昇格だ。でも、私自身が求める恩恵は、いまだ得られない。
「しかし、どうか、お気を付けて。おそらく、牢は地下にあると思われます」
「有難う。あなたも。決して命を粗末にしないで下さい。まずは生きて帰る事を第一に考えて下さい。御武運を」
「お言葉有り難く。ここで貴方に会えたのは、どんな幸運にも勝ります」
 ああ、そりゃあ、良かったな。そういや、幸運を呼ぶウサギの前脚って話もあったな。
「では」
 私は名前も知らない騎士を置いて、右の廊下を早足で進んだ。下に下りる階段を探す。
 西棟は意外にも静かだった。というよりも、もう殆ど制圧された状態なのだろう。床の至る所に、兵や騎士の死体が横たわっていた。どちらの国の者かは判別しきれない。骸となった者には、国の違いなど意味を為さない。
 なのに、なんの為に戦って、殺し合っているのか。人の死顔のなんと作り物めいている事。転がる肉塊は臭気を放ちはじめ、後は朽ちるのを待つばかりだ。
 ああ、でも、なんて光景だ。何故、私はこんな所にいるんだ? ただ、毎日、働いて、平穏無事に日々の生活をする普通の人間であった筈なのに、何故、誰とも分からない死体に囲まれているんだ。
 冷たい空気の中にあっても、口の中が錆びた味でいっぱいになる。
 思わず、袖で鼻と口を覆った。身体中に臭いが染みついてしまったようにも感じた。
 嫌な臭いだ。生理的な嫌悪を誘発する。
 壁にかけられていたファーデルシアの国旗は引き裂かれ、踏躙られて床に落ちている。壁に飛散する血の痕と、真っ二つに折られた槍の穂先が、石の隙間に挟まって突き立っている。
 北に比べて、激しい争いが行われたのだろう形跡が、あちこちに残っていた。命を尊ぶ精神など、ここには欠片もない。
 ここまでの経緯を素人なりに考えてみれば、この夜襲は、赤穂浪士さながらだったのではないかと想像する。少数精鋭による奇襲作戦だ。
 ホルトくんの言っていた砦攻めは、おそらく陽動。或いは、まだ戦までの準備期間があると油断させる為のものだったのだろう。ファーデルシアの目が砦に向けられている間、エスクラシオ殿下が率いる騎士のみで構成された部隊は、別行動でこの王城を目指した。いや、或いはここでも時間差を使ったかもしれない。少人数でなんらかの方法で密かに城に入り込んで門を開け、中隊程度の人数が一気になだれ込む。
 これも想像でしかないが、私の通ってきた森を抜ける道を使って来たのだろう。
 道としては狭いが、大型兵器を持たないぶん素早く移動できるし、普段から訓練を受けている少人数ならば、団体行動としても可能と考えられる。
 なんてやつ!
 道の存在を知らせたのは、きっと、カリエスさんだ。
『ほう、こんな所に抜けるのか』
 街に着いた時の言葉を思い出せば、カリエスさんもあの道の存在は知らなかったように思える。だが、途中までもうひとり誰かがいて、道の存在を知った段階で殿下達にそれを知らせにいったと考えれば、この早い行動日時と辻褄が合う。
 ブランシェさんが使いの途中で会ったという斥候部隊も、おそらく、あの森の道の途中で、という事だろう。街のどの辺に出るかなど、詳しい情報を伝えに行ったに違いない。
 そして、作戦行動が行われた。
 そうとも知らず、ファーデルシアの兵は警戒はしていただろうが、全員が寝ずの番という事はなかった。来るべき時に向けて殆どがまだ休んでいて、大した人数は起きていなかったのだろう。だから、容易かった筈だ。ひょっとすると、ファーデルシア兵の殆どは、今も部屋に閉じこめられているのかもしれない。
 畜生! 悔しい!
 エスクラシオ殿下の行動に間違いはない。だから、私もこうして城の中に入れた。早く来て、と私も願っていた。だが……何故か、上手く利用されたような悔しさを感じる。まるで、すべてを見越していたかのような合理性に腹が立つ。わざと私を出ていかせようとしたのではないか、と勘ぐってしまうくらいに。そして、この事をまったく知らされていなかった事にもムカついた。
 私がいなかったら、出ていかなかったら、未だにのろのろと行軍していたくせに!
 ……こどもっぽい怒りだとは分かっている。でも、悔しい。
 だが、そんな事よりも、今はルーディだ。
 ルーディが無事でいてさえくれれば、この怒りも収まるだろう。
 早く、元気な姿に会いたい。
 私は、階段を探して廊下を進んだ。




 << back  index  next>> 





inserted by FC2 system