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 土は土に。灰は灰に。塵は塵に。

 一応は仏教徒の私から、何故、こんな言葉が出てくるのかよく分からない。でも、彼女を前にしたら、それが自然と出てきた。
 ルーディと私が呼んでいた彼女に、既に息はなかった。
 亡くなってどれだけ経っているのか。随分、経っているのだと思う。死後硬直は解けかけていたから。
 ルーディからはいつも温かいミルクのような匂いがしていたが、目の前のそれからは他の死者と変わらない臭いが漂っていた。
 強く殴られたのだろう痣と、血のついた頬に触れると、柔らかくはあったけれど、弾力はなかった。そして、冷たかった。
 目は閉じていた。下ろす作業をした騎士が閉じさせてくれたのかもしれない。半開きになった唇から、舌がだらりと伸びて出ていた。
 それもあって、最初は、ルーディとは分からなかった。私の知っているルーディは笑顔が当り前だったから。よく似た、違う人だと思った。でも、そばかすの浮いた顔を見ていると、やはり、ルーディの面影があった。
 指先で舌を口の中に無理矢理、押し込んで、顎を閉じてやると、寝顔にそっくりで、間違いない事が分かった。
 仰向けに寝かされたから分からなかったが、破れた服から、背中に酷く鞭で殴られたのだろう痕がついているに違いなかった。剥き出しの腕にもそれらしき傷が数えきれないほどついて、赤黒く爛れていた。
 前面にはそんなに損傷はなかったが、肩から胸元にかけて一筋の黒い線がついていた。周囲の服の端が焦げているところを見ると、火箸を当てられたかしたのだろう。多分、背中や腕の傷の中にも、混ざっているに違いない。
 両手を胸のところで組合わせてやる時に、両肩が脱臼していて、爪がぜんぶ剥がされているのに気がついた。
 私はルーディの乱れた髪を手で撫でて梳かしつけた。一緒に暮していた時、私はよく彼女の髪を梳っていた。明るい茶色の髪だけは前と変わらず、細くてとても豊かだった。
 凄く、痛かっただろう。
 辛かっただろう。
 苦しかっただろう。
 ただ、私からの手紙を美香ちゃんに渡しただけで、何故、彼女がこんなめに遭うのか。遭わなければならなかったのか。
 カリエスさんの居所を吐かせようとしたか。或いは、裏切り者と罵られたか。その両方かもしれない。ただ、八つ当たりの道具として、暴力をぶつける相手にされたのかもしれない。
 彼女をこんなめに遭わせた者の気持ちなんて分からないし、分かりたくもない。
 ただ、途中、何度もルーディは死を願っただろう、と想像するほど損傷が酷かった。生きていたとしても、傷は残っただろうし、不具になっていたか、精神的に病みもしただろう。死んで、漸く、楽になれたのかもしれなかった。
「ウサギちゃん……」
 床に横たわる亡骸の傍らに膝をつく私の肩に、手が置かれた。
 感触はあったけれど、私はそれにどうしたら良いのか分からなかった。
「ウサギちゃん、キャス」
 身体が揺さぶられている。
 そのせいで指先にルーディの髪が絡んで、乱れてしまった。
「キャス、こっち向いて。キャス!」
 あ。
 目の前にランディさんの顔があった。首を捻られ、無理矢理、強い力で向けさせられていた。頬の片方が、包んでいた掌で軽く叩かれた。
「キャス、私を見て」
 見てるよ。見てる。真剣な表情のエメラルドグリーンの目が、私を真直ぐに見ている。
「キャス!」
 ええと……
 口を開けてみるが、なんと答えたものか。声が出なかった。気がつけば、瞼も閉じられない。なんだか、ずっと動かさなかったから、筋肉が硬直してしまったみたいだ。
 ゆっくりと抱き締められた。
「可哀想に……可哀想に、こんなに傷ついて……すまない、守れなくて……君の大事な友達を助けられなくて」
 なんの事だか分からない。
 私、大丈夫だよ。どこも怪我していないし。泣いてもいないし。ちょっと、ぼうっとしているけれど、痛くて辛い思いをしたのは、ルーディで私じゃないし。ルーディだって、もう痛くないし。大丈夫。だけど、髪が……
「許してくれ……私を、私達を……」
 許すもなにもランディさん達のせいじゃないし。それよりも、他の人達が見てるから、って、あれ、皆、こっち見ようとしていない。俯いたり、あっちの方見たり……あれ……寒い。凄く、寒い。歯の根が合わない。
 私の口の中で、かちかちと歯が鳴った。ランディさんと身体は密着している筈なのに、ちっとも暖くなかった。
「外に出よう。こんな所にいちゃいけない。立てるかい」
 でも、ルーディ置いていけない。ルーディが寂しがるから……あれ、そんな筈ないじゃない。ルーディはもう死んじゃっているんだから。寂しいもなにも……変だな、私。なに考えているんだろう?
 抱き締められてランディさんに寄りかかったまま、立ち上がった。途端、膝が抜けた。ランディさんの腕がなければ、転んでいただろう。
 身体が浮き上がった。お姫さま抱っこをされていた。下にルーディが見えた。手を伸ばした。だが、届かなかった。
「彼女の事なら心配ないよ。ちゃんと丁寧に扱うからね」
 そう言われた。そうして、そのまま連れ出された。伸ばす手からルーディはどんどん遠ざかって、壁の向こうに見えなくなった。
「城内はどうなっている」
「中央を除き、ほぼ制圧したかと思われます」
 ランディさんの問いに、別の騎士が答えた。
「第二陣の到着は」
「もう間もなくかと」
「ふたり、護衛についてきてくれ。グレリオ、後を任せていいか」
「はい」
「彼女を丁重に扱ってやってくれ」
「勿論です」
 グレリオくんが、眉根を寄せた表情で私を見ていた。彼に似合わない表情。でも、この顔は前にも一度、見たことがある。
「おおい、出してくれよう、なあ、頼むよう」
 また、あの男だ。牢の中の。
「うるさい。静かにしていろ」
 騎士のひとりが叱りつけた。
「大丈夫だよ」、とランディさんが私に囁くように言った。
「出してくれ」、と同情を促す憐れさを含んだ声が続いた。
「助けてくれよう。じゃないと、またあいつが来るよう。王子が来て、酷く鞭で殴るんだ。あんなに悲鳴をあげて、助けてって泣き叫んでるのにさあ。俺も殺されちまうよう」
 瞬間、全身の毛穴が開き、産毛から髪の毛からがすべて逆立つ感じがした。かっ、と身体の芯が燃え上がるような熱を感じた。
 何かを言うより前に、ランディさんが急ぎ足でその場から私を連れ出した。




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