-47-


「愚かな」
 エスクラシオ殿下が呟いた。
「神の御恵みを受けそこねた者の呪いに、効力などあろう筈もない」
 呪い自体、存在しない。……あれば良かったのに。そうしたら、今すぐあの男を呪い殺してやるのに。
 現実の私は、この腕を掴む手すら振りほどけないでいる。何も出来ない。
「ランディ、部隊を率いて門前の警戒に当れ。少なからず、登城した者との間で小競り合いが起きるだろう。それを鎮圧せよ。カリエスは、ビルバイアに王城陥落の報を伝えよ」
「はっ」
「はっ」
 一度は近付きかけた足音が、また遠ざかっていった。
「ウェンゼルはどうした」
「巫女の手掛かりを求めて、神殿の方に」
「呼べ」
「はっ」
 殿下は私の腕を放す事なく、淡々と命を下して処理を進めていく。まるで、何もなかったかのようないつもの調子で。おそらく、殿下にとっては些細な出来事であるに違いない。私の事も。ルーディの事も。当然だ。会った事もない娘の死など、気に留めるほどのものでもない。
 そう思った途端、どっ、と無力感に襲われた。前のめりになってうな垂れた。
 殿下の手が僅かに緩められた。「まったく、おまえは」、と溜息が言った。
「自ら炎の中に飛び込もうとする蛾のようだ。皆の気配りを全て無駄にする」
「そんなの、頼んだわけじゃない」
「確かにそうだな」
 乱暴に手が放された。
 自由になって私は力をなくし、床にへたりこんだ。顔を上げる気すらなれない。
「友人の事は気の毒だった。出来るだけ急いだのだが、間に合わなかったか」
 急いだ? こうなる事を予想していたか……分かっていて……
「……どうして」
「なにがだ」
「どうしてあいつが、一瞬で終るような死に方なの。もっと、苦しめてやればいいのに」
「さして苦しみはしないが、恐怖はあろう。それに、王族としては恥だ。罪人と同じ扱いなのだからな」
「恥なんて。死んじゃえば関係ない」
「関係なくはない。王族の死は歴史に残され、あの男は未来永劫、父王殺しとして語られる事になる。そして、罪人として吊るされた事もな。敵国に拷問され殺された憐れな王子とするより、よほど不名誉であるし、忌み嫌われよう」
 父王殺し?
「巫女を差し出した上で投降を促す王に腹を立て、己が剣で刺し貫いた様だ。グスカの話も王の耳に、当然、入ってはいただろう。息子の助命と王家存続を願うつもりであったのだろうが、結局はその息子の手によって望みは潰えた。追詰められた上でとは言え、愚かすぎる行為と言わざるを得ん」
「内通があったの」
「いや。だが、我が方で始末した覚えのないファーデルシア兵の亡骸があったそうだ」
 そうか。
「……酷い話」
「まったくな」
「違う。酷いのはあんたでしょうが」
 私は笑った。
「どこがだ」
「そこまで正義面するところが。あの馬鹿王子が父親を殺さなけりゃどうしてたの?」
「別になにもない。討ち取って、首を門に曝すだけだ」
「王だけ? それとも、王子も?」
「さあな。王子の態度次第ではあった」
「それもどうだか」
「どういう意味だ」
「わざとだったんじゃないの? わざとあの馬鹿を怒らせて、父親を殺させた、とか」
「そこまで外道な真似はしない」
「そう? 激しやすい王子の性格は、端から知ってただろうし。名目上の王に納得する筈もないと分かっていれば、討つしかない。でも、そうすれば国民の心証は悪いし、外交にも影響が出る。ならば、少しでも討つ理由らしきものがあれば、それも緩和される。親殺しはこちらの世界でも大罪だろうし。その男が王にならなかった事に、国民は少しは安心するだろうね。いっそ、その可哀想な王様の為に、盛大な国葬でも催したらどう」
「……血の臭いを嗅ぎすぎて、酔ったか。考えすぎだ」
「酔った? ああ、そうかも」
 というより、もう体臭が血の臭いそのものになったかもしれない。全身には、見えないだけで、鉄錆が浮いている事だろう。
「殿下、お呼びになりましたか。……キャス!」
 その時、入ってきたウェンゼルさんが声をあげた。
「こいつを何処か安全な場所へ連れていけ。鎖にでも繋いで、許すまで部屋から一歩も外に出すな」
「はっ」
「二度と逃げられないようにしろ」
「はっ」
 ウェンゼルさんは私に近付き、腕を取った。
「歩けるかい」
 軽く引っ張られ、鉛の重さに等しい身体でのろのろと立ち上がった。
「こちらへ」
 背を軽く押され、うな垂れたまま歩き始める。ああ、身も心も、すっかり負け犬、いや、負け猫か。猫でも、尻尾を股の間に挟むんだろうか?
「殿下」
 前を通り過ぎる時に声をかけると、なんだ、と低い声の返事があった。
「結果にご満足されていますか」
「……そうだな。あと、巫女さえ見付かれば、言う事はない」
「そうですか」

 私は、一体、なんの為にここまでやってきたのだろうか?
 ……そんなもの、忘れてしまった。




 << back  index  next>> 





inserted by FC2 system