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 ファーデルシア王城陥落から一週間。
 二十八才プラス一週間。
 外は、時々、雨が降ったりもしているようだったが、関係なかった。私は相変わらず、部屋のベッドに繋がれたままだ。雨が降ろうが晴れようが、トイレ以外には部屋から出られない身では、なんの意味もなかった。
 それに、私の中ではずっと雨が降っていたから。土砂降りの雨を抱えて、私は一日の大部分を寝て過している。最低限の身支度をするだけで、寝たり起きたり、病人のような暮らしをしている。
 現実、数日間は微熱を出したりもした。原因はストレスの蓄積によるものか、閉所性発熱かは分からなかったが、何をしようにも怠いには違いなかった。
 日課らしいものと言えば、美香ちゃんが見付かったかどうかウェンゼルさんに訊くことぐらいだが、未だ違う返答を聞く事はない。
 外界とは遮断されたその部屋で、殆ど何も話す事なく、毎日、二人きりで時を過している。
 不思議とそんな生活が退屈とは思わなかった。嫌とも感じなかった。ウェンゼルさんがどう思っているかは分からないが、彼も愚痴めいたことはいっさい口にしていない。そして、私も訊かなかった。
 そんな時、アストリアスさんが部屋を訪ねて来た。
「ガルバイシア卿!」
 扉が開いた時、ウェンゼルさんが驚きの声をあげた。
 アストリアスさんはベッドの上にいる私を見て、険しい表情を浮かべた。
「これは一体、どういう事だね」
 アストリアスさんはウェンゼルさんに言った。
「私達にまでキャスの居所を隠し、その上、鎖まで……! 殿下は一体、何をお考えか!? すぐに彼女を解放したまえ」
 珍しくも、怒っていた。というか、怒ったところ初めて見た……なんだ、知らなかったのか。道理で誰も来ないわけだ。
「殿下のお許しがなければ出来ません」
 ウェンゼルさんは、硬い表情できっぱりと答えた。
「では、今すぐ鍵を渡したまえ。これは、命令だ」
「誰にも渡すなとの命令も受けております。たとえ貴方のご命令でも従えません」
「惨い真似をしていると思わないのかね」
「彼女の安全の為です」
「鎖で繋いで、何が安全か! 奴隷か囚人扱いではないか!」
「今の彼女では、血の臭いや死臭が残る城内でまともに歩き回る事すらかなわないでしょう。誰も気付かないところで倒れられても困るだけです」
 ……ああ、そういう意味もあるのか。
 それには、アストリアスさんも理解できたところがあるようだ。
「それにしても……これは行き過ぎというものだろう」
「私から見ても、一週間前の彼女は普通の状態ではありませんでした。今は大分、落ち着いたようですが、それでも通常とは程遠い。体調も良いとは言えない。長距離の移動はまず無理でしょう。ですが、また逃げた上で何をするか分かりません。自傷さえ有り得る。その為に取られた措置です」
「尋常な状態ではなかったとは、カリエスも言っていたが」
 アストリアスさんは、眉をしかめた表情で私を見た。
「キャス、一言、お悔やみを言わせて貰うよ。そして、私からも君の友人を助けられなかった事を謝罪する。……すまなかった」
 そうして、一つ溜息を吐いて言った。
「しかし、せめて、医師には診せるべきだろう。私から進言しよう」
 そんなに悪くはないと思うが……
 アストリアスさんはゆっくりと私に近付くと、見上げた頬の片方を掌で包んで撫でた。
「辛いだろうが、気を落しすぎない様に。これからは元気になる事だけを考えて、ゆっくりで良いから身体を治しなさい。皆、君の事を心配しているよ」
 それには、なんとも答えられなかった。
 俯く私からアストリアスさんは手を放すと、部屋を出ていった。
 ウェンゼルさんが、深々と溜息を吐いた。
「貴方に本当に必要なのは、そういうものではないと思うのですが……残念です」
 そう呟くと、私の方を見て、寂しそうな笑みを見せた。

 その次の日、エスクラシオ殿下が部屋へやってきた。後ろにはアストリアスさんとランディさんがついていた。
 約一週間振りに殿下の顔を見たが、それよりもずっと久し振りなような気がした。変わらない男前っぷり。でも、少し雰囲気が前と違っているように感じた。何処が違うんだ?
 その殿下はベッドの上に座る私を見下して言った。
「少し気晴らしに付合え」
「殿下、今はまだ」、というウェンゼルさんに、かまわん、の一言。
「その辺を回るだけだ」
 その辺ってどの辺?
 首を傾げていると、ランディさんから外套が渡された。懐かしくもフード付きの私の外套。そして、足についていた枷が外された。
 急に左足だけに、浮いたとも感じるほどの軽さを覚えた。
 おお、これはスポーツ選手や格闘家なんかがやる、強化訓練用の重しの役割でもあったか? 大リーグ養成ギブス。ひょっとして、筋肉鍛えられたか……てなわけないか。
 そんな馬鹿な事を思っている内にも、すぐに違和感はなくなった。
 靴を履こうとしたら、いきなり持ち上げられて肩に担がれた。うおいっ!
「殿下ッ!」
 アストリアスさんが抗議の声をあげた。
 荷物のように半身だけ殿下の背中にぶら下がる状態は、腹筋が殿下の肩に押されて苦しく、声もあげられない。顔に張り付いてくる、背中のマントが鬱陶しい。ばたばたと手を動かして払い除ける。
「どうせ、まともに歩けもしないだろう。地面に足をつけなければ、問題あるまい」
 殿下は答えた。
 いや、そういう問題じゃないだろうが。もっと、扱いようがあると思うが? これじゃあ、荷物と変わらないだろうが。てか、重くね?
 マントに爪を立てて顔を上に逸らしたが、エビぞり状態が長く続くわけもなく、直ぐに力をなくした。
 ……だらぁーん。でも、苦しいっす。
「殿下、キャスが苦しがっています。宜しければ、私が運びますが」
 ランディさんが進言した。
 それには、ふん、と鼻が鳴らされた。
「おまえ達は、すぐにこれを甘やかしたがる」
 いや、あんたの方が変だと思うぞ。つか、なんだよ、これ。人間扱いしてねぇだろうがよ。
「まあ、いい」
 そう言って、一旦、私を下ろした。ああ、苦しかった。でも、直ぐにお姫さま抱っこで抱え直された。
「掴まっていろ」
 そして、そのままズカズカと歩き始めた。
 ウェンゼルさんが慌てて、私の頭に落ちていたフードを被せた。
 私を抱えたまま、殿下は足早に廊下を歩いていく。揺るぎない足取りは、私の重さを感じていないかのようだ。ランディさんもそうだったが、女ひとり抱えてこれだけ平気に歩けるなんて、余程の力があるに違いない。毎日、筋トレを欠かさずやっているのか? 「気分は」
 そう訪ねられた。頷くと、そうか、と一言。
「随分と臭いも収まったからな」
 そういう意味か……気遣ってくれているのだろうが、殿下のは分かりにくい。他の女に同じ扱いをしていたら、怒るのも多いだろう。見た目が良い分、減点も大きいと思う。
 外に出ると、既に馬が三頭、用意されていた。馬の臭いに少し、うっ、となったが、まだ我慢できた。
「ウェンゼル、おまえは城で待て。暫しの休息を取ると良い」
「しかし、」
「これの事なら心配はいらん」
 そう言って、自分の鹿毛の馬の背に私を押し上げた。本当に、手荒い扱いだ。ドレスなので、仕方なく横座りに乗った。それだけで息が切れた。
「直ぐに戻る」
 そう言って自分も乗ると、私を支える様に抱えた。
 同行するのだろう、アストリアスさんとランディさんも馬に跨がった。
「行くぞ。気分が悪くなったら言え」
 馬上から見下したウェンゼルさんは、心配そうな顔つきで私を見上げていた。




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