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 幾分、体力が戻ってきた頃、大神殿を見に行きたいという私の我儘に、ウェンゼルさんは許可を取ってくれた。
 馬車を用意してくれて、それに乗って行った。
「うわあ、こうして近くで見ると立派ですねぇ」
「そうですね。ランデルバイアでもこれほどの規模のものは見かけませんね」
 神殿の正面に立ち見上げる私の横で、ウェンゼルさんは答えた。
「ここも、アストラーダ殿下の管理下に置かれる事になるんですよね」
「そうですね。ただ、猊下御自身が出向かれる事は滅多にないかと思いますよ。代理の司祭の方と巫女を数名派遣されて、あとは書類上の手続きだけですませる事になるかと思います」
「じゃあ、運営自体はさして変化はないって事になりますね。でも、同じ宗教でも、国ごとや地方によって、微妙に教義の内容が違ってたりしないんですか。それで派閥があったり、とか」
「ああ、確かにそういう面はあるみたいですね」
「それによる対立とかはないんでしょうか」
「さあ、そこまでは私も詳しくはありませんが、あるかもしれませんね。ですが、猊下が示す教義が正統とされる事に間違いはないかと思われます」
「ああ、なるほど」
 バチカンみたいな存在となるのか。アストラーダ殿下は法王様? まあ、『猊下』だし。でも、すげぇな……でも、そう考えると、帝国領を増やすって事は、教義や宗派の統一にも繋がっていくんだなぁ。そういや、確かキリスト教も、ローマ帝国の支配を強める為に利用されて、今の形になったんだっけ。グノーシス派は、その時、排斥されたんだった。でも、仏教みたいにまったく違う宗教であれば抵抗も強いだろうけれど、多少の解釈の違いだけならば、紛争もなく論争程度で治まるのかもしれないな。
「ところで、ここは既に調べたんですよね」
 美香ちゃんの捜索で。
「ええ、真っ先に調べた筈です。男子禁制の場所もありますから抵抗はあったみたいですが、そこもくまなく」
「そうですか」
 私は歩を進めて、中に入った。
 中央を突き上げて吹き抜ける高い天井。声が神様に届くように、とかそういう意識でこういう造りになるんだろうか。古くは感じるが、祭壇の装飾も、今まで見てきたどの神殿よりも豪華で手間のかかった彫刻が施されている。
 威厳と権威を示す荘厳さ。少々、デコラティブで鼻につく感もあるが、それが人の手で造られたものである事に不思議さえ感じる。
 木曜日の午後。
 礼拝もないこの時間は、堂内の人の数もまばらだ。熱心な信者なのか、それとも、強い願い事でもあるのか、祈る人々の姿が数人見えるばかり。
 私はゆっくりと祭壇に向けて足を運んだ。すぐ後ろを、ウェンゼルさんが足音静かについてくる。
 入り口から祭壇までの間、何もないスペースがかなりの広さであって、その向こうに木製のベンチ式の席が中央に通路を挟んで、左右に各十二台ずつが並んでいた。その前の方の席にひとり座り、祈る女性がいた。褪せた色の金髪を後ろで団子状にひとつに纏め、薄いグレーの質素なドレスを身に着けている。
 私はその人に、そっ、と近付くと、隣に座った。
 木曜日のこの時間。この場所を訪れる習慣は、未だ変わっていなかった。
 両手を前で組み、目を閉じて熱心に神に祈りを捧げるその人の横顔を見る。……少し、皴の数が増えた気がする。やはり、この短い時間にあった事は、彼女にも深い傷を負わせている事を感じさせた。
「ウェンゼルさん、彼女と少しの間、ふたりきりで話したいのですが」
 小声で言うとウェンゼルさんは頷いて、声は届かないだろう離れた席に移動していった。
 祈っていた目が開かれ、紫の瞳が私を見た。
「……キャス」
「ミシェリアさん、お久しぶりです」
 私は、微かに笑みを浮かべた。


「施設に来てくれれば良いのに。こども達も会いたがっているわ」、とのミシェリアさんの言葉に、私は被りを振った。
「こども達がいるとゆっくり話もできないでしょう。今日はミシェリアさんと話したかったので……ルーディの為に祈っていたのですか」
 問えば、ええ、と静かに頷いた。
 私も目を伏せる。
「私なんかと関った為に……ごめんなさい。助けようとしたんですが、間に合わなくて……」
「キャス、自分を責めては駄目よ。あの娘もそんな事を望んではいないでしょう」
 紋切り型の言葉であっても、極限まで哀しみを押さえ込んだ声が言った。
「でも、私も彼女と会いたかったんです。笑顔のあの娘の顔を見たかった」
「そうね……そうね。あの娘も貴方に会いたがっていましたよ。貴方が生きていると知って、喜んでいました」
「本当に……ルーディに、皆にもう一度、会いたいと思っていました。一緒にいられなくても、せめて、もう一度だけで良いから、会いたかったんです。でも、それも叶いませんでした」
 とても残念です、と口の中で答える。
 言葉のなんて虚しい事。どう言っても言い表せない気持ちが残る。
「そうね。でも、きっとこれも神の思し召しなのでしょう。あの娘はあの娘の務めを果たし、神に召されていった。そう信じましょう。せめて私達は、あの娘の魂が神の身許で安らかであらん事を祈り、生きている者としての務めを果たすだけです」
「……ルーディを覚えている事、ですか」
 私は祭壇に飾られた、タイロン神の像を見た。
 両腕を広げ、天を仰ぐようなその姿は、抱え込もうとしているのか、それとも、与えようとしているのか。他の像に比べて完成度は高いが、面白みのないただの彫刻に見える。カリスマ性は感じられない。
「ミシェリアさん、私、考えたんです」
 私は言った。
「なにを考えたの」
「この馬鹿げた戦を終らせる為にどうしたら良いかって」
 私はミシェリアさんの顔を見た。
「ミシェリアさん、美香ちゃんは、今、何処にいますか」
 目の前の表情が強ばった。




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