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 大神殿に到着して、ウェンゼルさんには昨日と同じベンチで待って貰う事にした。
「ええと、一時間……半刻ほどで戻れるかと思います」
「そうですか。では、ここでお待ちしています」
「すみません、我儘言って。お願いします」
「それと、屋内ですが、外套のフードは被っていて下さい。巫女の事もあります。神殿内で貴方の瞳の色が知られれば、また面倒が起きるかもしれませんので、隠すように」
「ああ、そうですね。そうします」
 私はフードを被り直すと、既に待っていたミシェリアさんの所へ行った。
「お待たせしたようで、すみません」
「いいえ、では、行きましょうか」
 穏やかな笑みにも、少しだけ緊張を感じた。
「一応、神殿の奥を見せて貰う事にしてありますので、そのように」
 ウェンゼルさんには聞こえないように小声で言えば、
「大丈夫ですよ。その辺は私達も考えています。さ、こちらよ」
 と、ミシェリアさんも頷き、祭壇の左にあるドアに向かって、ゆっくりと歩き始めた。
 私はその横に並んで、歩調を合わせる。
 開けた扉の向こうに続く細い通路に入り、ドアを閉めたところで私は訊ねた。
「それで、美香ちゃんは。私が会いに来た事についてはなにか」
 それには、ええ、と溜息交じりの声が答えた。
「複雑そうだったわ。無理もないけれど。貴方は、ミカにとっては、王子の仇となる国に属しているんですもの」
 ……仇か。それは、お互い様だな。
 だが、勝利者側にいる私が、加害者の立場を強くしている事は間違いないだろう。
「ずっと、同じ場所に隠れていたのですか」
「いいえ、お城が占拠された後は、あちこちと移動して。ミカの身体には良くないと分かっているのだけれど、仕方ないわね」
「……そうですか」
 通路を過ぎ、中庭に面した廻廊に出る。
 流れる雲に、空は斑になっている。灰色の雲間にある太陽が芝生の地面を明るく照らしたり、陰らせたりしている。雨こそ降ってはいないが、少々荒れ模様の天気だ。
「聖職者の方々が美香ちゃんを守ってきたのですか」
「ええ。グスカ陥落の報を受けて、ジェシュリア王子が託されたの」
「ミシェリアさんもその時に?」
「ええ、ミカが心細がっていたから」
 そうか、そのタイミングで美香ちゃんの名を使って、ルーディを城に呼んだのか。
「では、いずれはファーデルシアの復興を、皆さん願ってらっしゃるんですか」
「さあ、それはどうかしら。無事に生まれればそういう話も出るかもしれませんけれど、今の内はミカを守る事を第一にしているわ」
「ミシェリアさんも?」
「勿論よ。黒髪であろうとなかろうと、大事な命ですもの。殺されると分かっていて差し出す真似など出来ないわ」
「それは、聖職にあった者として」
「いいえ。ひとりの人間としてですよ。あなたもよ、キャス。あなたがミカと同じ立場でも、同じようにするでしょう」
 淀みなく答えるミシェリアさんからは、強い意志を感じた。怖いほどだ。それは、ルーディを失ったせいもあるのだろうか? 目の前にある命を、これ以上ひとつも取り零さないようにしようとしているようだ。
「ミシェリアさん」
「なあに」
「私は、ミシェリアさんにはこの件から手を引いて欲しいです。こども達の為にも。あの子達こそ、ミシェリアさんが必要ですから」
 ふ、と足が止まった。
「キャス、貴方、もしかしてミカを、」
 殺すつもりなのか、と言葉にならない問いには首を横に振る。
「いいえ。私も、これ以上、人が死ぬのを見たくはありません。でも、美香ちゃんが私の提案を拒否した場合、事はミシェリアさんの手に余るでしょう。或いは、こども達に害が及ぶかもしれません。そうならない為にも手を引いて欲しいです。美香ちゃんを見捨てるようで心苦しいかもしれませんが、現実問題、この状況下では人の命も平等というわけにはいきません。どうか優先順位をつけて下さい」
 関ってしまったからには、誰も無傷というわけにはいかないのだ。戦はそういうものだと、私は身をもって知った。正義や理想など声高に語ったところで、意味を持たない。言い訳にすらならない。まったく馬鹿げた行為だとしか言えない。
 ……でも、起きてしまった事を嘆いたところで、それもまた意味がない。
「キャス、あれから貴方に何があったのかしら」
 再び歩み始めたミシェリアさんから問われる。普通に、なにげない様子で。
「色々な事がありました。一度に話し尽くせないほど沢山の事があって、沢山のものを目にしました」
「そう……」
 ミシェリアさんはそれ以上なにも喋らず、私も黙って後をついていった。

 廻廊を抜けて庭を突っ切った後、塀の外に通じる鉄の小さな通用口の向こう、目と鼻の先に美香ちゃんの潜伏先はあった。聖職者の誰かの家なのだろうか。こじんまりとした、私がグスカで潜伏していたような、目立ったところのない普通の家だ。
 ミシェリアさんが玄関扉のノッカーを鳴らすと、鍵が開く音がして扉が開いた。
 中から三十過ぎだろう女性が姿を見せて、短い言葉で中に入るよう促した。
 この人も巫女か何かだろうか。普通の街で見かけるような地味なドレスを身に着けていたが、立ち居振舞いに品の良さがある。だが、それ以上に緊張を帯びているのを感じた。
 案内されて、家の奥にあるリビングに通される。すると、そこに長椅子に腰掛ける美香ちゃんがいた。
「……高原さん」
 今にも泣きだしそうな顔が言った。
 懐かしい日本語の響き。
 久し振りに会う彼女は、パステルピンクの質素ではあるが年頃の娘らしいドレス姿で、巫女用のドレスよりも似合っていた。だが、あの時のような元気はなく、浮ついたところもない。見た目の肉付きはそうも変わっていないようだが、げっそりと窶れた雰囲気を感じさせた。
「久し振り」
 私は答えた。
「高原さん、私……」
 日本語で喋ろうとする美香ちゃんを私は遮った。
「美香ちゃん、こっちの言葉で喋ろう。ミシェリアさんや、他の人達にも私達が何を喋っているか分かるように。いいね」
 私の提案に、美香ちゃんは素直に頷いた。
 いきなり罵られなくて良かった。憎しみを感じる以上に、精神的に参っているせいか。
 部屋には美香ちゃんの他にも、ミシェリアさんと案内をしてくれた女性。そして、もうふたり、恰幅の良い体形の中年男性と初老の女性がいた。
 皆、神殿関係者だろうか。看視兼、見届け役といったところか。話の内容によっては、ミカちゃんの援護に回るだろう。
 そして、それとは別に、肩すぎまである長い金髪の若い男がひとり。騎士姿ではなく、白い布をルーズに巻き付けたような、ローマ時代にあるトーガの様な服を身につけ、腰には剣を下げている。しっかりとした骨格を持つ、美香ちゃん専属の護衛だろう。他にも何処かに潜んでいるのだろうか。
 男は鋭い三白眼で私を睨め付けるも、なにも言わず美香ちゃんの傍らに立っていた。
 まるで、『ロード・オブ・ザ・リング』の映画の中に入り込んでしまった様な気分になりながら、私は自己紹介をした。
「初めまして。カスミ・タカハラです。時間もないので、このままミカちゃんと話させて貰っていいですか」
 すると、皆、黙って頷いた。
 取り敢えず、会話の主導権は私が握らせて貰う。私は美香ちゃんの前にある椅子に座ると、話しかけた。




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