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「美香ちゃん、お互い、大変だったね」
「高原さん、もお、私どうしたら良いのかわかんない……ジェシーがなんであんな風に殺されなきゃいけなかったの? ジェシーは一生懸命に国を守ろうとしていただけなんだよ? お兄さんが死んじゃって、大事な妹もソメリアに無理矢理、お嫁に行かされて。必死にひとりで皆の為に良くしようって思ってたんだよ? なのに、酷いよ、あんなの! お父さん殺したって、そんなの嘘だよ! だって、お父さんも私に赤ちゃんが出来た時だって、ちょー喜んでくれて、ちょー優しい人だったんだよ。戦争になる前はジェシーとも仲良くって、私にいつも可愛いって言ってくれて、歌を褒めてくれて。ほんとに、良いお父さんって感じの人だったのに……なのに、絶対、殺したりなんかしない!」
 感極まって泣きだした美香ちゃんを前に、私は溜息を吐いた。
「美香ちゃん、今は貴方の愚痴を聞いている時間はないの。冷たいようだけれど、私も早く戻らないと、抜け出した事がバレる可能性があるから。だから、私の質問に答えてくれる?」
 俯いて泣く頭が、上下した。
「美香ちゃんは、この先どうしたいの」
「どうって……」
「何を犠牲にしても、この世界で生きていく覚悟はあるかってこと」
「なにそれ……そんなん決まってんじゃん。生きていたいよ。死にたくない」
「何があっても、何を捨てても?」
「生きていたい。贅沢なんかしなくたっていい。何もなくたっていいから、この子と一緒に生きていたい」
「美香ちゃん、それは出来ないの」
 私は言った。
「貴方が生き続けていく為には、そのお腹の子は諦めて貰うしかない」
 何もない空間から、ガラスがひび割れるような幻聴を聞いた。
 そこにいた私以外の全員が、絶句した。
「そもそもこの戦は、私達が原因で起きたんだよ。美香ちゃんも、流石に今は分かっているよね。本当は貴方がランデルバイアに引き渡されて、それで戦争もなく終る筈だった。でも、ファーデルシアは拒否して、私が代わりに差し出された。本当は、私もそこで殺される筈だった。でも、私はこの先、女として誰かを好きになったりこどもを産む事を諦める事と、今回の戦で犠牲者の数を減らす為の策を考える事を条件に、生き永らえる事が出来たの。ランデルバイアとしては現状維持を目的としている。だから、伝説の黒髪の巫女という存在は必要ないし、大陸の覇者の存在も許されない。だから、」
「そんなの変だよ!」
 突然、美香ちゃんが叫んだ。
「高原さん、変だよ! おかしいよ! どうしてそんな酷い事が言えるの!? この子は皆を幸せにする為に産まれてくるんだよ! それを堕ろせって事!?」
「そうだよ、その子は産まれてきちゃいけない子なの。大陸の覇者になる為には、また戦が起きるのは当り前で、そうしたら、今回よりももっと多くの人が死ぬ。殺される。泣く人も一杯いる。不幸な人を大勢作った上での平和に、なんの意味があるっていうの」
「そんな事、この子はしない! 愛されて、望まれて産まれて来る子が、そんな事する筈ない! 優しい子に育てるもの! 私が、絶対、そんな事させない!」
「美香ちゃんや王子、貴方達の周囲にいる人達がどんなに望んでいたとしても、みんながそう思っているわけじゃない。貴方やその子にはそんな意志がなくとも、周囲にいる人達がその子の外見を利用して戦争を起こそうとするかもしれない。悪戯に民衆を煽り立てて、革命を起こそうとするかもしれない。その子がそうでなくとも、その子の子供は? いずれはそういう者が出る可能性は高い」
「そんな事ない! 高原さんには分からないんだ! このお腹の中に命が宿っているんだよ? それ自体、凄い事なんだよ。奇跡って言ってもいい。私には分かるもの。今、それを感じているの。この子は神様やみんなに愛されて育つの。絶対、酷い事しないし、人を殺したりなんかしない! 高原さんこそ、どうかしてる! どうして悪い方ばかりに考えるの? そんなの間違ってるよ!」
「そんな事あるよ。もっと、現実的に考えてみて。世の中、良い人ばかりじゃないんだよ。悪人だっている。そうじゃなくても、自分の欲望の為だったらなんでもする人がいる。私達がいたところとそういうところは、全然、変わらないの。でも、価値観はまったく違う。事実、ジェシュリア王子も、その子が大きくなったら、まずはランデルバイアを滅ぼすだろうって言った。そして、ファーデルシア王家の者として大陸を治めるだろうって。死ぬ直前に言った事だから、その言葉に根拠はないんだけれど、それでもファーデルシアの復興を望むテロリストにとっては、その子は旗印として相応しいし、利用価値は高い」
「嘘、嘘! ジェシーがそんな事、言う筈がない! ジェシーは優しかったもの! みんなそれは知っている! 強くて、私なんかよりずっと頭が良くて、なんでも出来て! 誰にでも親切だった! そんな事言う筈がない!」
「嘘じゃないよ。私に向かってそう言ったんだから」
「聞き間違えたんだよ! そうに決まってる! でなけりゃ、高原さんは騙されてるんだ! 悪魔みたいなランデルバイアの死神に!」
 取り乱した美香ちゃんは、おもむろに口を押さえると、立ち上がって急いで部屋を出ていった。案内をしてきた女性がすぐにその後を追った。
 ……つわりか。本当は、こんな話をする事も母体にはよくないのだろうな。
 待つ間、失礼、とひとこと言い置いて、斜向かいの椅子に座る中年男性から問いかけがあった。
「お訊ねしたいのだが、貴方は死ぬ以前のジェシュリア王子に会って話されたのですかな」
 勿体ぶった言い方は、それなりの地位にいる男性なのだろう。
「はい」
「それは絞首刑に処される時に?」
「いいえ、その前。連れていかれる前に玉座のある広間で」
「では、王子が王を殺したところをご覧になったのですか」
「いいえ。私が行った時には、王は既に亡くなっていました。玉座に座ったまま、剣で刺し貫かれていたところを見ただけです」
「それならば、王子が王を殺したというのはデマである可能性もある、という事ですか」
「まあ、そうですね。私はエスクラシオ元帥から、そうであったと聞いただけですから。或いは、誰も見ていないかもしれません」
「では、ランデルバイアが王を殺し、無実の王子に罪を被せたかもしれないという事ですな」
「さあ、それはなんとも言えませんね。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。どちらにしろ、証拠はありません。ただ、元帥は、そこまで外道な真似はしない、とはおっしゃっておられましたが」
「ほう」
 私を値踏みするかのように、目が細められた。……狸オヤジっぽいな。扇子を持たせたら似合いそうだ。
「私としても最初からその場にいたわけではないですから、真実がどうであったかは知りません。貴方が何をお聞きになりたいかは分かりませんが、私が真実を話したところで、貴方の都合の良いように解釈されるでしょうから、意味のない事です」
「なかなか手厳しいですな」
「お互い様でしょう。ただ、私に言える事は、王子がまったくの無実ではなかったという事です」
「その根拠は」
「なんの罪もない女性を、私の友人を嬲り殺したから」
 護衛に立つ男から、はっ、と息を呑む音が聞こえた。
 その隣に立つミシェリアさんが、強ばった表情で私を見た。
 丁度、戻ってきた美香ちゃんも、付き添いの女性に支えられながら、信じられないといった表情で私を見ていた。その顔色は、つわりの影響ばかりとは言えないだろう。




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