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「キャス、あれは本当の事なの?」
 そこでミシェリアさんから問いがあった。
「ルーディは、本当にジェシュリア王子に?」
 私は黙って頷いた。
「……そう」
 ミシェリアさんは、視線を地面に落とした。
「……私、ルーディが城に連れていかれたって知って、助けたかったんです。でも、間に合わなかった。一言、謝る事さえ出来なかった。なんにもしてあげられなかった。それが今でも悔しいです」
「私にルーディの事を伝えてくれたランデルバイアの騎士の方は、他に何も言ってはくれなかったし、貴方にも会わせてはくれなかったけれど、とても辛そうに見えたわ。それは、そういうことだったのね」
「体調を崩して……自覚なかったんですけれど、今思えば、あの時の私は普通の状態ではありませんでした。彼等は私を庇ってくれたんです」
 遣り方は乱暴だったが、そうなのだろうと思う。
「貴方も辛い思いをしてきたのね」
「ルーディや、死んでいった他の人達に比べれば、まだマシなのかもしれませんが……でも、辛いです」
「そうね。私もルーディやミカや貴方の事を考えると、辛いわ。そして、とても悲しい」
「そうですね。そう思います。でも、ミシェリアさんには、まだこども達がいます。私達の事は良いですから、あの子達の事を考えてあげて下さい。あの子達にとっては、本当に貴方が必要なんですから」
 沸き上がってくる辛さや悲しさは、どうにか出来るものではない。それぞれで耐えるしか方法はない。でも、今は、それに溺れてばかりいてはいけない。戦時下のこの状況では、そんな事も許してはくれない。
 あの子達が、これ以上、泣いたりしないように。辛い思いをしないように。……あと、私に出来る事と言ったら、それくらいしかない。
「そう言えば、施設の方は大丈夫なんですか。こども達はどうしていますか」
 ふ、と訊ねれば、それには、
「ええ、大丈夫よ。実は、ルーディがいなくなってから、ひょんな事で知り合った方がいて、その方が、こども達の世話をして下さる女性をひとり紹介して下さったのよ」
 ああ、ヒルズさんか。
「そうなんですか」
「ええ、セリーヌさんとおっしゃって、年は貴方と同じか、少し上ぐらいかしら。元はガーネリアの方なのだそうだけれど。ガーネリアの話は知っているかしら」
「ええ、聞いています。十年前にグスカに滅ぼされたって」
「そう……セリーヌさんも、十年前にここまで逃げて来られた方だそうよ。親兄弟も亡くして。だから、こども達の事も良く分かっているみたいで、とても助かっているわ」
「そうですか。こども達も懐いて?」
「そうね。少々、荒っぽいところもあるみたいだけれど、さっぱりした性格みたいだから、男の子達には良いみたいね。ミュスカはちょっと怖がっているみたいだけれど、他の女の子達も少しずつ打ち解けてきていますよ」
「ああ」
 私は怯えているミュスカを想像して、苦笑を洩らした。
「でも、その内、なんとかなりそうですね」
「ええ、そうなって欲しいわ。ルーディの事もあって、こども達も不安は感じているから」
「そうですね。……ルーディの事は、こども達には?」
「まだ話していないの。ミカと一緒にいるって事にしてあるわ。私自身、まだ落ち着いていないし……だから、もし、ミカが貴方と共に行く事になったら、ルーディも一緒に行くと伝えるつもり。あの子達が大きくなって、物が分かるようになるまで伏せておこうと思っているの」
「そうですか。そうですね」
 殆どが戦で親を亡くした子達だ。懐いていたルーディが殺されたと聞けば、こどもの柔らかい心では、精神的な傷を深める事になるかもしれない。……泣く事のない夜を、少しずつでも増やしてあげたい。それは当然、ミシェリアさんの願いでもあるだろう。
「貴方も、帰る前に顔を出せるようであれば、養護施設に来てこども達に会ってあげて」
 そうか、ミュスカ達に会った事は、ミシェリアさんは知らないもんな。
「そうですね。許しが出れば」
 ホールに通じる扉が見えて、アメイジング・グレースを合唱する声が聞こえてきた。
「この曲は、美香ちゃんが?」
 確認の為に訊ねれば、頷きがある。
「あの子が夜中にひとりで歌っているのを皆が聞いてね。城から離れてひとりでいるのが寂しくて、慰めに歌っていたみたい。ジェシュリア王子が、この曲が好きでよく歌ってあげてたんですって。ミカも、皆が歌ってくれた方が王子が喜ぶだろうって教えたそうよ。それが、今や知らない人がいないくらい。あっ、という間に広まったわ」
「……そうですか」
「奇麗な歌。本当は、ジェシュリア王子こそが一番、救いを求めていらしたのかもしれないわね」
 果たして、そうなのだろうか。今となっては、知る術もない。
 そこまで話して、大神殿のホールに着いた。
 別れた時と同じ席で、ウェンゼルさんが待っていた。
「では、ここで」、という私に、ミシェリアさんは首を振った。
「いえ、もう少し。貴方を見送らせて頂戴」
 ミシェリアさんは、私と共にウェンゼルさんに近付くと言った。
「お待たせして申し訳ありません。キャスをお貸し頂いて有難うございました」
 下げられる頭に、ウェンゼルさんは、いいえ、と首を振った。
「ゆっくり話せましたか」
「はい。お陰様で。有難うございました」
 私は頷いた。
「キャスの事、私からも宜しくお願い致します。彼女を守ってあげて下さい」
 ミシェリアさんの言葉に、ウェンゼルさんは、
「必ず。それが我が主君の命であり、望みでもありますから」
 と、略式の騎士の礼で答えた。
「そう、良かった」、とミシェリアさんは微笑んだ。
「キャス、また会えるかどうかは分からないけれど、元気で。そして、許されるのであれば、また会いに来て頂戴」
「はい。ミシェリアさんもお元気で。こども達にも宜しく言っていたと伝えて下さい」
 差し出された皴の浮く、柔らかな手を私は両手で握った。
 伝わる温もりは、その人の心のあり方が伝わってくるようだった。
「さようなら、ミシェリアさん」
 同じ言葉でも、以前とは違う心持ちで、私は別れの挨拶を口にした。
「さようなら、キャス。有難う。貴方に会えて良かったわ」
 私はこの人が好きだった。この人達のいる家が好きだった。この人が、あそこが私の家であると言ってくれた時、どんなに嬉しかった事か。
 でも、その言葉はもう口にはされない。そうではなくなった事を、そう言えない事をミシェリアさんも分かっているから。
「これまで有難う御座いました」
 手を離し、私は私自身とミシェリアさんに決別を伝えた。
 そうしながら、少しでも、ミシェリアさんやちびっこ達が幸せでいてくれれば良いと願う。

 ……神の前で願うには、多分、このくらいが丁度よいのだろうな。

 アメイジング・グレースを聴きながら、そう思った。




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