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 暫くして、ミシェリアさんが戻ってきた。
 私達の訪れにミシェリアさんは驚く事なく、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。そして、戻ってきたレティも含めて、そのまま一緒にお茶をする事にした。ミュスカも私の膝の上に陣取って、そのまま居残っている。
 ミシェリアさんは大神殿に呼ばれ、大聖女達と話して来たところだそうだ。
「エスクラシオ元帥よりお話を頂いて、特に咎めもなく、神殿はこれまで通りの存続を許される事になったそうよ。この先、多少の人員の入替えなどもあるし、教義の内容についても改めて確認される事になるでしょうけれど、大きな変化はないだろうという事で、大聖女さまも安心されていたわ。この施設についても、これまで通りの援助が受けられる事になりましたよ」
「良かったですね」
「ええ、これも貴方のお陰かしら」
「いえ」
 確かに殿下への手紙にはその事も書きはしたけれど、それだけではないだろう。
 私は優しい笑顔の前に、眼を伏せた。
「そう言えば、貴方に返さなければ」
 と、ミシェリアさんはポケットの中から、以前、私に譲ってくれたお守りの石のついた首飾りを取りだした。そう言えば、ミュスカ達に預けたまんまだった事を私も思い出した。
「それは、お返しします」
 差し出された手を押し留めて私は言った。
「どうして?」
「多分、私はそれを持つ資格がないと思いますから」
 元より神を信じていないという事もあるが、それでなくとも、神の守護を得るには程遠い事ばかりをしてきた。そんな物を持つ事も不遜だろう。
「神の加護を得るのに、資格などいりませんよ。迷う者こそ必要とすべきものでしょう」
 ミシェリアさんは、私に言った。
「ただ目を開き、耳を澄まし、手を伸ばしさえすれば、得られるものもありますよ。それを貴方に思い出させてくれる物として持っていてくれると嬉しいわ。そうでなければ、私達の事を忘れずにいてくれる為にも」
「そんな。ミシェリアさん達の事を忘れた事なんてありませんよ」
 私がこの世界で生きていく為の理由だった。
 ここが私の家だった。ここが好きだった。だから、守りたかった。でも、それは今になってしまえば、私が生きてゆく言い訳として、必要なだけだったのかもしれない、と思う。結局は、自分の為だけだったのかもしれない。
 そして、私はまだ生きている。何故か、ルーディを失った今も。
 漠然と生きていられた元の世界。
 だが、何故、ここではそれが出来ないのか。
「それでもね」、とミシェリアさんは言う。
「行きすぎていく時の中では、自然と貴方も私も変わっていくものでしょう。それよりも長く同じ形を留めるものが貴方の傍にあると思えば、私も安心できるわ。こんな些細なものでもね。だから、受け取って頂戴」
 ああ、そういう思いもあるか。
「そういう事でしたら、頂きます」
 掌に落された小さく透明なピンク色の石を見る。
「つけてあげましょう」
 立ち上がったレティに首飾りを渡すと、石は胸元に下げられた。
「ありがとう」
 ミシェリアさんは、口元を綻ばせた。
「貴方にタイロンの神の御加護がありますように。また、お許しがあれば、いつでも顔を見せにいらっしゃい。待っているわ」
「はい。有難うございます。是非」
「帰っちゃうの?」
 腕が引かれてミュスカの金髪が振り向き、見上げた。
 陽も傾いて、そろそろお暇しなければならない時間。
「うん、そろそろ帰らないと怒られるかな」
 そう答えると、首にしがみつかれた。
 あらあら、とレティが含み笑いで呟いた。
「ミュスカ、困らせては駄目よ」
 ミシェリアさんの嗜める声に、温かいミルクの匂いをさせる身体が、ますます強くしがみつく。
 私はその背を、ぽんぽんと軽く叩いた。
「また、その内、会いに来るから。それまで良い子にして待っていて。次、来る時には、お土産持ってくるから楽しみにしていて」
「ほんと?」
「本当」
「次っていつ?」
「いつかな。まだ、分からないや。でも、絶対に会いに来るよ」
 あのね、と耳元に小さな声がある。
「なに?」
「あのね、お土産、絵本がいい。お花の絵がいっぱいのっているやつ」
 思わず笑ってしまった。
「いいよ。奇麗なの選んできてあげる」
 手で包み込むように、柔らかい髪を撫でた。
「だから、それまでセリーヌさんや先生の言う事をちゃんと聞いて、良い子にしていてね」
「……うん」
 ゆっくりと温もりが離れていった。
 両腕で身体を抱えて、床に下ろしてやる。
「ミュスカ、重くなったね。次に会う時には、もっと大きくなってるね。今度、どれだけ大きくなっているか楽しみ」
 甘ったれのこの子も、次に会う時はどんな風に変わっているのだろうな。

 皆に別れの挨拶をして、名残惜しくも手を振って帰途に着いた。
「可愛い子達でしたね」
 馬車の中でレティが言った。
「貴方がこども好きとは知りませんでした」
 と、ウェンゼルさんも言う。
「違うよ」、と私は答えた。
「あそこの子達が私にとって特別なだけ。あの子達は、この世界に来てなんにも分からない私を、無条件に受入れてくれたから。不思議に思うくらい、目の色の事も髪の色の事も、なにも関係なかった。なんて言うか、家族みたいだったの。死んだルーディも含めて」
「そうでしたの」、とレティが俯いた。
「家を離れては、寂しいですね」
「うん。どうしてだろうね。元々、暮していた家はそんなでもなかったんだけれど、あそこを離れるのは寂しく感じるよ」
「でも、そう言っても、本当のご家族も恋しくてらっしゃるのでしょう」
「うん、どうかな。そう恋しいって感じでもない。あっちの世界は恋しくも思うけれど。やり残した事や友達がいたから」
 でも、とレティが戸惑いを見せた。
「以前からお聞きしたかったのですが、」
 横からウェンゼルさんが、躊躇う様に問いかけてきた。
「ご家族と仲が良くなかった、とはお聞きしたのですが、それほどに仲が悪かったのですか」
「ああ、まあ、」
 なんと答えたものやら。
「悪いってもんでもないよ。なんて説明したら良いかな……悪くなるほど仲が良くなかったって言うのか。あまり関係がなかったの」
「そうなんですか?」
 レティは不思議そうだ。
 うん、と私は頷いた。
「喧嘩する余地もなかったって言うのか。ひとり姉がいたんだけれどね、同い年の」
「双子だったんですか?」
「うん。顔とかそっくりって程じゃないけれど、まあ、それなりに似た。でも、性格とかは正反対で、出来の良い姉でね。勉強も出来るし、素直に人の言う事を聞く人で……要領がいいって言うのかな。間違った事はしない人だった。何事にも前向きで、善良で、確実な方向を選んで、決められた事はきちんとこなして、なにより余計な事はしない人だった。良い子って呼ばれる人だったの。その点、私はいい加減なところもあって、出来そうにない事をしようとする性質で……親にしてみれば手がかかる方だったかな」
 計算高い、とさえ思えた姉。甘え上手で、嫌な事はそう思わせる事なく他人に押し付ける小狡さもある、そこら辺に当り前にいる女だった。
 ……自分の事を話すのは苦手だ。あまり良い話でもないし。でも、まあ、いいか。
「だから、私はいつも姉と比べられていて、でも、言う事は聞かなくて。そんなにやんちゃしたわけでもないんだけれど、普通のつもりしてたんだけれど、見た目が似ている姉が良い子過ぎたから、比較すると、どうしてだって思うところもあったかもね。その内、親も何も言わなくなった。……私がなに考えているのか分からないって感じで、匙を投げたの。大きな問題を起こすってわけでもなかったから。まあ、放っておかれたっていうか、姉がいるから良いか、って思ったのかもしれないね。だから、私も好きにしてたって感じかな」
 そんな、とレティが哀しそうに呟いた。
「途中、両親が離婚して、父親だけになったから、余計になんだろうけれど」
 保守的な父。父も仕事や自分の事で手一杯で、こどもの事にまで手が回らなかったのだろう、とも思う。
「でも、きっと、御両親はキャスの事も心配していたと思います。ただ、どうしたら良いのか分からなかっただけですよ」
 まるで、姉が言いそうな言葉だ。でも、籠められている気持ちが違う。
「そうかもね」
 私も答える。
「でも、実際、私も元から薄情だったみたいで、本当にどうでも良かったの。姉と比較されるのは鬱陶しかったし、放っておかれる様になってからは、楽だと思ったぐらいで。だから、多分、あっちの世界で、皆、もう死んでいると思うんだけれど、そんなに悲しいって思わなかった。事故って事もあるんだけれど、仕方がないって、すぐに諦められた。ルーディ達ほど好きじゃなかったって、今は思える」
 姉の真似をしてみようとした事もあったが、結局は無駄だった。もし、私でなく、姉がこの世界に来ていたら、多分、もっと早くから馴染めただろうし、もう少し上手くやれていたかもしれない、とも思う。
 おそらく、この世界に来るまで、私は人の感情というものを想像は出来ても、知らなかったのだ。恨んだり、好きになったり、分かった振りをしてごっこ遊びの中で生きてきた。向こうの世界では、それで生きていられた。けれど、この世界のなんてダイレクトな事。直球ストレートの豪速球を、何発もまともに食らっている感じだ。
「でも……人を好きになるって、しんどいね」
 怖がったり、怒ったり、悲しんだり、恨んだり、呪ったり。すごく疲れる。感情制御は上手くできる方だと思ってたんだけれどなあ……単に、本気じゃなかっただけなんだな。
 こんな気持ちも、いつか変わるのだろうか。
 この先、私には一体、何が残るというのか。
 ……胸の内にぽっかりと穴が空いたようだ。

 これから何をよすがに生きていけば良いんだろうな。




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