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 移動を続けて六日目に、漸く国境の山脈に差し掛かった。
 細い山道なので、一列に並んで通る分、歩みも遅くなる。それでも一日で山を越える予定だ。
 以前は馬車に乗って通った道を、今度は馬上で経験してみる事にした。
「無理するんじゃないよ。ゆっくり行けば良いから」
 と、言ってくれたランディさんが私の直ぐ前を先行し、後ろにはカリエスさんがついてくれている。
 でも。
 こぉおえぇようっ!
 甘くみていた。ただでさえ馬の上というのは高さがあるのに、それに乗って手すりもなんにもない崖っぷちを歩くなんざあ、マジ寿命が縮む。バンジージャンプなんてもんじゃねえ。おそらく、ラスベガスのビル屋上の遊園地にも匹敵するだろうスリルだ。……いや、行った事はないけれどさ、多分。
 グルニエラはなんともない様子で歩いているが、このお嬢さんも、落石ひとつで驚いて暴れる可能性がある。そうなれば、脚を踏み外す事もあるだろう。そして、私は崖下へ真っ逆さまだ。
 今更、自分の身がどうなろうと構わないとは思っているが、生理的恐怖は、そう簡単になくせるものではない。風景を眺める余裕もなく、おっかなびっくりで、出来るだけ崖側に寄るように手綱をとって歩を進めさせる。
 お陰で、途中休憩所になる古びた神殿のあるところまでは無事に辿りつけたが、すっかりと疲れきってしまっていた。グルニエラには悪いが、ここから馬車に乗り換えさせて貰う事にする。
 以前は五人だけだったので広々としていた場所が、今日は多くの騎士やら兵士でごった返していた。それぞれ馬を休めたり荷の積み直しなどで、脚の踏み場もない状態だ。
 私は、やはり休憩を取る為に馬車を下りたレティと一緒に、神殿の中に避難する事にした。ケリーさんは、馬車の中で昼寝中との事で、そっとしておく事にした。
 神殿の中は相変わらず湿っぽくて薄暗かったが、それでも、外にいるよりは、むさ苦しい男達がいない分だけまだマシだった。
「グレリオくんは」
 レティに訊ねると、馬の世話をしていると言う。
「馬が好きだね、彼は」
「ええ、馬に乗りたいが為に騎士になったようなものだって言うくらいですから。騎士になれないんだったら、牧童か馬丁になりたかったんですって」
 そう言って笑った。
「そらまた極端な。でも、レティとしては心配だね。危険も多いし」
「ええ。でも、仕方ないですね。騎士が尊敬できる立派な務めである事は分かっていますし、ディオ殿下の下でしたら、まだ安心していられますもの」
「そっか。レティのお父さんも、お兄さんも騎士だものね」
「ええ」
 でも、この先も、戦で命を落さないよう願うしかない。待つだけしか出来ない身は歯がゆく、辛いものなのだろうな。
 レティも今は幸せではあるけれど、同時に、より大きな不安を抱えた事も分かっているのだろう。
 薄暗い神殿内の祭壇に近付き、灰色に薄汚れた神の像に向かって祈った。
 と、その時、像の影が揺れて動くのが見えた。より濃い色の影が像の後ろから現れ出でた。
「レティ!」
 私は走って、レティの前に立ち塞がった。
 薄暗い中、踝まで隠れる黒い外套姿の顔ははっきりと判別しづらいものだったが、男である事に間違いない。しかし、この雰囲気は、何処かで会ったような気がする。
 しかし、何故、こんな所に隠れていたのか?
 どうせ、ろくでもない理由に決まっている。その証拠に、黙したままの男の外套の中に忍び込ませた片手が動き、両刃の剣が抜き出された。
 背中にしがみついたレティが、小さな悲鳴をあげた。
 男は、ゆっくりと前に出てきた。
 私達はその分、後退する。
 段差はあるが、その間、約三メートルほど。一歩、大きく踏み出されれば、間違いなく斬られる距離だろう。
「レティ、逃げて」
 小声で告げる。
 でも、と躊躇う声が答える。
「いいから……目的は、私なんだよね?」
 声を大きくして男に確認する。が、返答はなかった。でも、間違いはないだろう。レティに狙われる理由などない。
 緊迫した空気の中、じりじりと後退しながら、男が近付くよりも早く、レティが外へ逃げられるよう入り口に近付く。
 身体が硬直し、心臓が口から飛び出そうなぐらいに早く、大きく鳴り響いている。グスカの戦場で殺されかかった時の事を思い出させる。
 でも、あの時は一人だった。逃げるのも、殺されても、私ひとりですんだ。……畜生、ルーディだけでなく、レティまで殺させて堪るものか!
 私のせいで。私の為に。
 あんな思いは二度としたくない。
 レティだけは、絶対に助ける。
 そう心の中で固く決心する。
 目の前で、軽い足音をさせて、男が祭壇から下りた。
 間合いが、いっそう縮まったように感じる。肩を掴むレティの手が、硬さを増した。竦んで逃げられないか。それなら、それでもいい。
 おそらく、一瞬で、事は終ってしまうだろう。男は、何かの切っ掛けがあれば、直ぐに襲いかかって来るに違いない。叫んで助けを呼ぶ事も危険だ。何も知らず、誰かが入って来てもアウト。
 だから、せめて、私がやられている間にでも、誰かがレティを助けてくれたら良いと思う。
 神殿の真ん中まで来た時、高い位置につけられた窓から射し込む薄い光が、男の顔を照らした。
「貴方……美香ちゃんの」
 思い出した。美香ちゃんに会った時、護衛についていた白装束の騎士だ。
「……敵討ちってわけ」
「そうではない」
 私の言葉に、初めて男が口を開いた。艶のある、豊かな声量の声が響いた。
「主たる聖なる巫女を守れなかった時点で、聖騎士たる我が務めは果たせず終った。しかし、あの時、おまえを討ち取ってさえいれば起きよう筈もなく、巫女はまだ御存命であったろう。その無念を今、ここで晴らさせて貰う。引いては、祖国を蹂躙させられても尚、戦わずして生き残った騎士としての誇りだけでも守らん」
 はあっ?
 最初、何が言いたいのか、分からなかった。でも、言わんとしている事が理解できた時、開いた口がふさがらなくなった。




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