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 男は、未だ剣を手にしていたが、振るおうとする様子はない。
 なんせ、剣自体がかなり重いから、振るとなると自然とアクションも大きくなる。日本刀みたく、居合抜きの様な芸当は、まず出来ないだろう。だから、素人の私にも、その時は直ぐに分かるというものだ。
「ほら、分かりますか。黒いでしょう」
 私は男のすぐ傍に立って、その顔を見上げた。
 薄い水色の瞳が私を見下した。鋭い三白眼。眉間の高いごつごつとした鼻に、薄い唇。色黒の肌の南方系らしい顔立ちだ。肩まで垂らした金髪のロン毛の片側の一房だけが、細い三つ編みに編まれていた。
 ……えれぇ、濃い顔だな。少なくとも、タイプじゃないぞう。
「まさか……」
 男は絶句していた。
「死んだ美香ちゃんと私は、同じ国の生まれです。そういう人種なんですよ。私達にとっちゃあ、当り前の色なんです。ところが、この世界に来たら、神様の遣いだ巫女だ魔女だって言われて、えらい迷惑してんですよ。別に来たくて来たわけでもないのに。特別なんの芸も持たないし、忘年会の余興をどうしようかって困るぐらいだってのに大袈裟に騒ぎ立てられて、どうしろってんですか。鼻血も出やしない」
 私はフードを被り直した。
「見た目が良くたって、頭が良いとは限らないし、善人とは限らない。それと一緒です。私達も体毛や目が黒いってだけで、中身はごく平凡な人間なんですよ。あんた達となんら変わりない。出来ない事の方が多いんです。そんなつまらん他人の為に自分の命捨てたり、殺し合ったりするのって馬鹿馬鹿しいとは思いませんか。そのくらいだったら、自分の好きな人の為に命かける方がよっぽどマシでしょう。私があんたなら、そう考えますね」
 ふん! ほれ、どうだ。なんとか反論してみろ、この野郎!
「では……黒髪の巫女は二人いた、という事なのか?」
 男は呆然と、独言のように言った。
「違います。黒髪の巫女を名乗ったのは、美香ちゃんだけ。私はごく普通の一般人です」
 てめえの目は飾り物か? 髪の色からして、既に黒髪と違うだろうが。
 だが、私の言葉は男の耳には入っていなかったようだ。そのまま勝手にべらべらと独りで語り始めた。
「では、この戦は、二人の内、どちらが正当なる巫女であるか決めんが為にタイロンの神がお与えになった試練だったとでも言うのか? それに気付かずして私は、ミカを己が主とし、仕えていたというのか!? いや、しかし、考えてみれば、ミカは優しくあったが巫女として何か物足りないと感じていたのは事実」
 おい、コラ。人の話、聞けや。
「だからぁ、巫女じゃないって言ってるでしょうが」
「ひょっとして、私はとんでもない過ちを犯すところだったのか。本来主とすべき巫女をこの手にかけるところだったのか!?」
 ……うぜぇな、この男。違うっつってんだろうが!
「ああ、なんという軽率! なんという悲劇! 神の気まぐれな悪戯か、それとも、魔王エクロスの企てであったか!? しかし、寸でのところとは言え愚行を犯す事なく真の主に巡り合った事こそ、神のお導きであろう! 浅慮なる我をお見捨てになられなかった神のお慈悲。これこそ、我が運命! なんという歓び! これよりはこの方を主とし、一生、お守りしていく事を誓いま、」

 ぎゅう。

 私は男の足を思いっきり踏んだ。踏んで、踏躙った。踵を当てて、ぐいぐい体重をかけて踏んだ。抉るようにして、踏むべし、踏むべし、踏むべしっ!
「なにをなさる、巫女様! いたった、た、た!」
「目を覚ませ、大ボケ野郎」
 ぎゅうっと踏んで、最後にもう一度、地面に押し付けるように踏んでから、足を離して言った。
「もう一度、言います。私は巫女なんかじゃないです」
「しかし、その瞳の色は、」
「黙れ」
「しかし、巫女」
「やかましいっ!」
 今度は、向こう脛めがけて、力一杯に蹴った。
「っ!」
 剣を取り落とした男は、声もなく弁慶の泣き所を両手で押さえて片足で跳ねた。
「今度、呼んだら、股間蹴飛ばして、二度と使い物にならなくしてやる!」
 久々に、ムカつく。腹が立つ。次から次へと、身体の奥からムカムカとした感情が湧いて出てくる。煮え滾るマグマか。懐かしいぐらいに、久々の感覚だ……ああ、なんだ、この凶暴な怒りは。この男を今すぐ地上から抹殺しなきゃいけないような気がしてくる。いや、抹殺したい。
「元より、聖騎士となった時より、女人と今後いっさい交わる事はないと誓いを立ててございます」
 脛を押さえながら、跪いた男はぬけぬけと言いやがる。
 つまり、アレか。修行僧か。少林寺か。
 だが、平然と抜かすその態度にも腹が立った。幸いにも履いていた、フラットな靴の片方を脱いで手に持ち、見下す位置にある金髪の頭頂部を、思いっきりそれでひっ叩いた。
 会心の一撃。
 なめし革の柔らかいそれは、ヒットした途端、すぱあん、と良い音を響かせた。
 きゃっ、と後ろでレティが怯えの声をあげた。
「ウサギちゃん!」
 ランディさんが飛び出してきて、男を遮るように立ちはだかっては、もう一度振り上げた手を押さえられた。
「落ち着いて!」
「こいつ、ムカつく!」
 もう一発、殴りたい。殴らせろ!
「なんだかよく分かんないけれど、滅茶苦茶、ムカつく!」
 どうどう、と馬を宥めるようにランディさんが言うのにも腹が立った。
「ほら、そんなに怒らないで、落ち着いて。大丈夫だから」
「巫女……何故、斯様な真似を……」
 まだ言うかぁっ! 蹴ってやる! 踏んでやるっ!
 と、足をあげた先から、ランディさんに押されて、届かなかった。畜生っ! 放しやがれ!
 じたばたともがく中、「そのくらいにしておけ」、と低い声がかかった。




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