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 ランディさんは切先を下ろし、「参った」、と自由になった剣を引き上げながら、聖騎士は言った。
 二人とも荒い息を吐きながら自分の剣を鞘に戻し、前に出てきた殿下の所までゆっくりと進み出た。
「どうだった」
 殿下の問いにランディさんは、
「確かに噂に聞くだけはあります。実戦慣れしていない分だけこちらに利がありましたが、重さに関しては申し分がありません。早さも並みの騎士にひけを取るものではないでしょう。護衛としては申し分ないかと」
「そうか。ギリアム・ルイードはどうだ」
「はっ、刃を合わせて、幾度となく己の未熟さに気付かされました。聖地にて知る事のなかった技の数々に改めて世の広さを知り、より研鑽が必要と感じ入りました」
「ふむ、しかし、ランディは我が国でも指折りの剣の巧者で知られる者だ。敗北を見るよりも、その者相手に善戦した事を良しとすべきだろう。もし、おまえが望むならば、その身、このディオクレシアス・ユリウス・イオ・エスクラシオが預かろう。我が剣士達の間で剣の道に研鑽するもよし、また司祭の下で修養を深めるもよし。また、その中で市井のあり方を知る切っ掛けにもなろう」
 えーっ……
「そうする事によって、あれが何故、嫌うか理解できるようにもなろう。己に何が不足かを知り、あれも慣れる事があれば、傍近くにて仕える事も許されるようになるかもしれぬ」
「それは真で御座いますか」
 なんだよ、その張り切った声は。
「一度は巫女の為にあろうと誓った身ではありましたが、その務めを全うすること叶わず、また、斯様な失態を犯した身では聖地に帰る事も許されるものではなく、命を投げ出す覚悟でここまでやって参りました。が、いま一度、許されるのであれば、真の主となるべき方の為にこの身と命、使いとう御座います」
「うん、しかし、それは己次第ともなろう。また、仕えるべき者もあれと限らぬかも知れぬ。未だ知れぬ内は、見識を広めるも肝要。励むが良い」
「はっ、深き御恩情、有り難く。その御恩にも必ず報いるよう努めさせて頂きます」
 うー……
 自然と唸り声が口からついて出てくる。
 アストリアスさんが、苦笑した。
「君が嫌う内は、彼を傍に近付ける事はしないよ。しかし、これも我々にとっては良い傾向であるに違いないのだよ」
「良い傾向?」
「彼を通じて聖地との繋がりを持つ事ができる。表立っては互いに不可侵の立場を保つにしても、今後、なんらかの交渉を通じて、新たな関係を結ぶ事も出来るだろう。また、彼を迎え入れる事で、信仰を尊重するという我が国の姿勢を、対外的に示す事も出来る。なにせ、聖騎士を抱える王家というのは、滅多にあるものではないからね」
 ……なんだ。結局は、そっちの得になったってだけの事じゃないか。ちぇーっ。なんか面白くないぞ。
「キャス?」
 私は不貞腐れたまま、神殿の外に出た。すると、あれだけいた兵士の数が減っている事に気付く。
「キャス」
 と、呼びかけて来たのは、カリエスさんだ。今迄、どこにいたのか。
「無事に片付いたようだな。良かった。殿下は」
「まだ、中です」
「彼はどうなった。まさか、死んだのではないだろうな」
「無事ですよ。なんか、一緒に来る事になったみたいです」
 すると、ほう、とカリエスさんはどこか面白そうに言って微笑んだ。
「それは良かった」
「なにが良いんですか」
 ムッ、としながら問うと、「そう怒るな」、と苦笑交じりに窘められる。
「聖騎士を亡き者にしたとあっては、巫女を討つ以上に聖地との関係を悪化させる事にもなりかねない。それを防げたというのは良い事だ」
「聖地ってそんなに重要なんですか」
「そうだな。重要と言えば重要だ。民によっては、王の言葉よりも聖地の司祭の言葉に重きを置くものもいるからな。それでなくとも、関係を悪化させれば民の印象は悪くなる。また、直接には関係なくとも他の聖地からの心証も悪くしかねない。そうなれば、他国との関係にも影響を及ぼすだろう」
 なんだそれ。だから、宗教って嫌いなんだよ。
「そうですか。ところで、他の兵士の人達は、先に行ったんですか」
「ああ、殿下の御指示に従ってな。山の上で野営するわけにいかないから」
 そっか。あの男のお陰で出発も遅れたしな。
「先に馬車に戻っていると良い。レティ達が待っている。私は殿下に報告してくるから」
 うん。そうする。
 私は、残る人達の間に待つ馬車に向かう。
 ふ、と足を止め、空を見上げた。
 澄みきった青い空が、頭上に広がっていた。
「空が高いな」
 ぼうっと見上げていると、隣に立った、それと同じ色の瞳を持つ人が言った。
「この分だと下山するまで天気はもつだろう」
「……あの人、連れていくんですか」
「放りだすわけにもいくまい。それに、放りだしたところで、ついてくるだろう。命ある限りは、どうあってもおまえに従う気でいるぞ」
 むうっ、ストーカー禁止法はないのか? 今すぐ、制定しろよ。
 く、と殿下の咽喉が鳴った。
「チャリオットも度々、ネズミを捕っては見せに来たり、どこぞで色々な物を拾ってきては玩具にして遊んでいたが、おまえも行く先々で珍しいものを拾う」
「好きでそうしているわけじゃないです」
「だろうな。聖騎士などなかなか関りをもてる相手ではない。拾いものに関しては、チャリオットを上回りもする」
「人をゴミ拾いみたいに言わないで下さい」
「褒めているのだ。おまえがいるだけで、思わぬ良きものが我が手の内に転がり込むようだ」
 ……座敷童転じて、招き猫かよ。
「買い被りです。実際、それを利用しようと決めているのは殿下じゃないですか」
「そうだな。おまえ自身の益には遠かろうものではあろうし。だが、いずれ、それがおまえにとっても良き道が開ける事になるやもしれぬ。少なくとも、そうしようとは考えてはいる」
 一応、恩に感じてはいるって事か?
「直ぐには無理でも、暫し待て」
 そう言って、離れていった。
 暫しってどれぐらいだよ。おみくじ並みにはっきりしないな。
「ウサギちゃん」
 ランディさんが傍に寄ってきて言った。
「大丈夫だったかい。怖かっただろう。直ぐに助けに入りたかったのだけれど、相手との間合いがなかったから手出し出来なくてね。ご免ね。それに、レティを庇ってくれて有難う」
 ストレートな謝罪と感謝の言葉は、私の中の毒気を少し抜いてくれる。
「……いえ。ランディさんこそ、大丈夫だったんですか」
「ああ、私はね。あちらの腕もなかなかのものだったから、傷ひとつないよ」
「そうですか。あの人は?」
「今、ウェンゼルに連れられて、医師の手当を受けさせている。殿下につけられたものが、瘤になっているし」
「ああ」
 それには、少し笑った。でも、ランディさんは眉をひそめた。
「でも、君も剣をもった相手をあんな風に殴ったりして、無茶な事をする。その場で斬り殺されていたかもしれないんだよ。毎度の事ながら、傍で見ている方はハラハラし通しだ」
「だって、メチャメチャ腹が立ったんです。あんな風に、面子や誇りばかり大事にして命を軽んじる言い方して」
 ああ、そうか。言い方は違っていたけれど、ケツ顎王子と同じ価値観なのか。だから、ムカついたのか。
「それは分かるけれど、君の事も大事なんだ。心配なんだよ。少しは私達の気にもなって欲しい」
「ああ、えっと、ごめんなさい」
「うん。あと、何があっても、私は君の味方だよ。必要とあらば、いつでも楯にも剣にもなるつもりだ。だから、キャス、なにかあれば頼って欲しい。ひとりで悩んだり、なにか決める前に一言、相談して欲しい。辛い事があれば、なんでも聞くから。分かったね」
「……はい」
 見上げるエメラルドグリーンの瞳に、異性に対する独特の色を感じる。これがいつからあるのかはっきりとはしないが、気持ちはどうあれ、これに応える事は私には出来ない。ランディさんもそれを分かっているが、どうしようもないのだろう。
 こういう場合、お互いに知らない振りをするしかない。
「良い子だ」
 こども扱いするように、私の頭の上で掌が二回跳ねる。
 ごめんね。
 心の中で謝った。
 ……なんか、いつまで経っても上手くいかないのは変わらない。

 その後、馬車に乗って、待っていたレティに怖がらせた事を謝った。
「大丈夫です。少し、びっくりしただけですから。こうして無事ですし。キャスが庇って下さったお陰です」
 レティは笑って言った。
「それに、スッともしました。本当に、男の人達って時々、馬鹿な事を口走るんですもの」
 見た目よりも、女は肝が据わっていたりもする。私はレティのこういう所が好きだ。
「この世界も悪くはないが、こういう野蛮なところはいつまで経っても慣れないね。まったく、気の荒い者が多い。人の命をなんだと思っているのか、医者の身にもなって欲しいものだね」
 あの男の治療の為に叩き起こされたケリーさんも、欠伸をしながら言う。
「見たまえ、この雄大な自然を。グランドキャニオンにも匹敵する美しさだ。こんな中では人の身などちっぽけなものだと感じる。実に素晴らしい」
「本当に、素晴らしい景色ですわね。誇りだ名誉だと、些細な事の様に感じられます」
 と、レティも応じる。
 動き出した馬車の中で、それから一頻り、レティに解説を入れながら、ケリーさんと元の世界とこの世界の価値観の相違について議論した。どちらが野蛮か、という話にもなったが、結論は出なかった。それでも、同乗している間に意気投合したらしい、ケリーさんとレティとのお喋りは愉しく、私の肩からも自然と力が抜けていく感じがあった。
 レティの様子を見ていると、ケリーさんをまるで父親のように慕っているのが分かった。アルディヴィアに着いたら、レティはケリーさんの仕事を手伝う約束までしていた。
 少しずつ、変化は起きている。
 人と人が触れ合う度、心の動きが変化を呼ぶ。

 ……私には、いつまでそれが許されるのだろうな。

 終りを考えてしまうのが、いつの間にか癖になってしまった。




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