-22-


 次の日、本隊より先に、私達は砦を出発した。
 案の定、羽目を外しすぎた兵士達からは二日酔い患者が続出で、医師達は朝っぱらから忙しい思いをしているらしい。ケリーさんも、出る直前までそれを手伝っていたようだ。
「皆、無事に帰ってこられて、気の緩みもあるのだろう。まあ、次の砦まで陽がある内に着けば良いから、急ぐものでもないしね」
 と、ランディさんは笑う。
 今日は天気も良いので、私もグルニエラに乗って道中を愉しんでいる。
 風渡る野山の田園風景の中、山羊達の群れが道を横断するのをのんびり待ったり、生まれたばかりなのだろう雛鳥たちが、親鳥について草叢を走るのを見つけて和んだり。
 途中、ピクニック気分で、木陰でお茶を飲みながら休憩をした。
 草を食む馬達は、故郷の地で心なしかゆったりとして見える。ただ、グルニエラ一頭だけが、嬉しそうにそこら中を走り回っている。……ほんと、元気なやつだ。
 ランディさん達は、草原でお昼寝。
 ケリーさんは、そこら辺に生えている野草を探して、採っている。
 馬番をしているグレリオくんは、レティとお喋り。というか、いちゃついている。
 もう二人とも、すっかりデレデレ状態だ。周囲にピンクの靄がかすんで見える。あ、なんか花弁やらハートマークまで散って見えるのは、幻覚か? ……目の毒だな。
 春深し。
 二人の姿に微笑ましくも、寂しさも去来する。
 まるで、楽園にいるかの様な穏やかさ。つい、この間まで戦場にいたのが、嘘の様だ。
 風の流れるに沿って、見渡す草原が色を変えて波立つ様を眺める。
 ひとり草叢に立っていると、爽快感と同時に己の身の拠り所のなさを感じる。
 私はどうしたいのだろう?
 縛られたいのか、縛られたくないのか。
 自由に何処へでも行きたいのか、それとも、何処かに根を下ろしたいのか。
 この広い世界に私を放りだした空は、何も答えてはくれない。
 流れる雲のはやさ。
 どこまでも広い青に途方に暮れる。
 手を伸ばしても届かない。何も掴めない。
 でも、手を引っ込めたところで、何かが降り落ちてくるわけでもない。
 ……全てが変わりつつある中で、結局、私自身は何も変わってはいないのだ。

 それからひとりで所在なく、その辺をぶらぶらとしていたら、ウェンゼルさんが呼びに来て再び出発した。
 以前に訪れた時は気にもしなかったが、考えてみれば、ランディさんも邸周辺の土地を治めている領主さまの筈だ。でも、普段よりラシエマンシィの勤めもある為、不在がちだ。一体、どうしてんだろう?
 とか思っていたら、それとは関係なく、ランディさんから、「今日は母が本邸の方にいるから」、と少し言いにくそうな言葉があった。
 ……あ、そうか。お母さんは生きてんだな。
 お父さんは十年前のグスカ戦で命を落としたという話は聞いていたが、お母さんの事はなにも聞いていなかった。
「普段、領地の管理とかは、お母様がしてらっしゃるんですか」
「そうだね、殆どは信用できる者に任せてはいるけれど、決定すべき事柄は母が指示を出す事も多いかな。出来るだけ私の方でするようにはしているんだけれど、どうしても離れて暮している分、早く応じる事も出来なかったりするから」
 それより、と私に言う。
「顔を見せるかと思うけれど、なんというか、言いたい事を隠しておけない性質で。少し癖のある人だから、気に障る事を言うかもしれないけれど、あまり気にしないでくれると有り難いね」
「ひょっとして、レティまでファーデルシアに来た事に気を悪くされているんですか」
「それはどうか分からないけれど……グスカに対して気持ちを隠せないでいるから。それについても、今はどう思っているかは分からないけれど」
 ああ、そうか。夫の仇だしな。今回、勝利したとは言え、結果に不満を持っているかもしれないって事か。
「分かりました」
 戦自体が終っても、人の気持ちはずっと後まで引き摺る。色々な形で。
 その気持ちは、私も今は実感としてよく分かる。
 ランディさんの邸に着いて、その人には直ぐに会う事になった。
 息子の無事な帰還に喜び、玄関まで出迎えに出てきたのは、普通の母親の感覚としては当然の事だろう。
「母上、ただいま戻りました」
「ああ、ランディ、よく無事に戻って来てくれました。我が軍の勝利と無事にお務めを果たせた事、喜ばしき限りです。子爵家の名に恥じない働きが出来た貴方は私の誇りですよ。天のお父様もさぞかし喜ばれている事でしょう」
「有難うございます、母上」
「レティ、貴方も無事で良かったわ。叔父上方が一緒で危険が少ないとは言え、若い娘が共も連れず遠出するなど無茶ですよ」
「ごめんなさい、お母様。でも、皆さんにとてもよくして頂いて、何事もなくいられましたわ。道中は楽しかったぐらい。叔父上が母上によろしく、とおっしゃられておりました」
 ランディさんとレティのお母さんは、二人を見ていると分かるように、とても奇麗な人だった。おそらく四十代後半の年齢だと思われるが、レティと並んでいても少し年の離れた姉妹のようにも見える。ランディさんの白金の髪は、母親譲りだったんだな。
「さあ、皆さんもお疲れになった事でしょう。どうぞ、中に入ってゆっくりとお寛ぎ下さいな」
 にこやかな笑顔を見ている分には、ランディさんの危惧するような事は感じられなかった。
 しかし、夕食時の未亡人の持ち出す話題は、当り前のように今回の戦を中心とするもので、その口からその言葉は飛び出した。




 << back  index  next>> 





inserted by FC2 system