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 城内に入ると、この城独特の匂いというものに気付いた。
 グスカの王城とも、ファーデルシアの王城とも違う匂いだ。古くて、乾いた枯葉を思い出させるような匂いだ。最初は違和感を感じたが、見覚えがある景色にすぐに嗅覚も馴染んだ。
 殿下達の出迎えの準備の為か、忙しそうに動き回っている人の数も多く、慌ただしい。私達を気に留める者もいない様子だ。
「アストラーダ殿下に御挨拶しておきたいんですが」
 ウェンゼルさんをつけてくれる程、随分と心配をかけたみたいだから、ただいま、の挨拶ぐらいすべきかもしれないと思った。でも、ランディさんは、
「今日はやめておいた方がいい。殿下もお忙しいだろうしね。落ち着いてからの方が良い」
 ……そうなのか。まあ、立場上、特別行事としてやらなきゃいけない事はあるのかもしれない。
 私は頷いてそのまま階段を上り、部屋へ直行した。
 そして、見慣れた扉の前に立った時、懐かしいというよりも得も言われぬ……なんというか、嫌な感じがした。
 見た目は以前と変わらない扉であるのに、なにか違っているような気がした。ランディさんが扉を開けようとするの止めたくなったぐらいだ。
 そして、その予感は当った。本当に、ろくでもない事に限っては、よく当るものだ。
 ……てか、なんだよ、これ。私の机は? 本棚は? いや、元々、私のじゃないけれどな。ここのもんだけれどな。でも、いや、一応、部屋の使用者が不在の間にこういう勝手は許されるもんなのか? これも家主の権利ってやつか?
 部屋の内装が、まったく違うものに変わっていた。あまりの変わりように、部屋を間違えたかと思った。 ランディさんも、おや、と訝しげな声をあげて、動きを止めた。でも、
「お帰りなさいませ」
 変わらないゲルダさんの出迎えに、間違えてはいないという事が分かった。その間にも、引ったくられるようにメイドさんに荷物が奪われていった。
「随分と様変わりしたね」
「女王陛下よりのお言いつけにより、模様替えを。以前は急な事で手が回らなかった分を、この機会にとおっしゃられて」
 ランディさんの言葉に、ゲルダさんは答えた。
 ……はあ、女王陛下が。
 道理で、と思いもする。
 部屋は女性好みの仕様に変わっていた。
 仕事机も本棚も、以前の古くて武骨なものではなく、一回り華奢なエレガントなラインを持つ物に変えられ、食事などをしていたテーブルも、一回り大きい、飴色の明るいものに変わっている。置いてあったカウチは変わらないようだが、一人掛け様の大きなゆったりとした椅子がひとつ増えていた。そして、刺繍を施されたクッションの数が増えて、床には複雑な模様を描いた絨毯が敷かれ、カーテンも濃い緑から薄い小豆色に変わったようだ。あとは、ええと、壁に飾ってあるタペストリーの柄やらも違っている。兎に角、上品ながら華やかさが増していた。……いや、良い御趣味で。
 というかなぁ。部屋に一歩入って、なんとなく借りてきた猫というのは、こんな気持ちなのかな、と思った。自分の身の丈に合っていないというか、良すぎて居心地が悪いというか、勿体ないというか。一晩だけ泊まるホテルのスイートルームならば、「素敵」、の一言で済むのだが、そこで暮せと言われても、「え?」、と思う感じだ。ぶっちゃけ、庶民感覚の貧乏性が頭を擡げている状態。……馴染まない。
「ええと、殿下はこの事は御存知なんでしょうか」
 元々、ここは、使われていなかったとは言え、殿下の私室だ。勝手にいじって怒りはしないのか? てか、また直ぐに出て行く事になるだろうから、無駄だったんじゃないかと思う。
 恐る恐る、ゲルダさんに訊ねてみた。すると、私を見て、僅かに眉がひそめられるのが分かった。
「それは私共は存じ上げません。女王陛下の御指示に従ったまでですから」
 それよりも、と言う。
「直ぐに湯浴みの支度を致します。暫くお待ちを」
 途端、背筋が引っ張られたような感じがした。
 ロッテンマイヤーさん御降臨。
 初めて、戻ってきたんだ、って気になった。このうむを言わさぬ独特のイントネーションに、懐かしささえ覚えた。
 ぱちん、と指を鳴らす勢いで、それまで控えていたメイドさん達が動きはじめたのも、相変わらずなのか。いや、前よりも勢いが増したと感じるのは気のせいなのか。
 ランディさんが、ゲルダさんに一通の封書を手渡した。
「ゲルダ夫人、ガルバイシア卿よりこれを預かってきました。彼女は戦地にて体調を崩したせいで、食事の内容等にも影響がありましたので、そのリストです。また、彼女の主治医としては、新任のケリー医師が担当する事になりましたので、何かあれば彼に相談するようにとの事です。ケリー医師は、既に城内の診療施設の方に入っておられます」
「承知致しました。その様に致します」
「あと、彼女は一連の式典などに出席する必要もないので、暫くの間はゆっくりと部屋で休養を取らせるようにと。侯爵が戻られてからも追って指示があるでしょうが、それまでは、殿下と主治医以外の方の面会も控えさせるようにとの事です」
「承知致しました」
 なんとまあ、アストリアスさんも痒い所にまで手が届くというか、随分と気遣ってくれるものだ。
「また、ケリー医師がこの部屋に診察を兼ねて顔を見せにも来るでしょうが、初めは私かダルバイン卿のどちかが付き添う事になります。それ以外では誰も通さないように。その他に何かあれば、私も警備上の事も含めて頻繁に様子を見に寄らせて頂きますので、その時に言っていただければ取り計らいもしましょう」
「畏まりました」
 おいおい、なんか厳重すぎやしないか?
「では、キャス、後の事はゲルダ夫人に任せてゆっくりと休むといい」
「はい、有難うございます」
 事務的な口調の挨拶に、事務的に返す。
 では、と去っていく後ろ姿を見送って扉が閉まると同時に、ゲルダさんは宣言するように私に言った。
「しっかりとお世話をさせて頂きますので、どうぞ、ゆっくりとお寛ぎ下さい」
 はい、と素直に頷けないのは、何故なんだろうか。なんだろう、この寒けは。
「まずは湯浴みをして頂いて、傷んだ髪とお肌の手入れをさせて頂きます」
 眼の端が光って見えたのは、気のせいか。
 メイドさん達の笑顔に殺気に近いものを感じるのは、一体、何故なんだ。
 不在の間の数ヶ月の間に、更にパワーアップしたらしいロッテンマイヤーさんと仲間達。おい、楽してたんじゃないのか?

 ……戦場よりも、兵士よりも、別の意味で怖いぞ、君ら。




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