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 それでも。
 犬猫のようにわっしわっしと全身を洗われて、伸びた髪の手入れやら、爪の手入れやらされている間の彼女達の様子を見ている内、この三ヶ月の出来事が彼女達になんら影響を与えるものではなかったのだろう事に、安心のようなものを感じた。
 私にとっては酷い経験の連続だったが、それがすべての人々に伝染するものではない。大部分の人間にとっては、関係のない話だ。当り前に。
 そう考えながら石鹸の匂いに包まれていたら、張り詰めていた緊張も少しずつ緩むのを感じた。
 ……終ったんだ。何もかも。
 されるがままに好きにさせておいたら、全部、どうでも良い事の様に思えた。
 まあ、流されるところまで流されてやるさ。この先、どうなろうと知ったこっちゃねえ。
 とか、思っていたら。
 気がついたら、光沢のある薄いグレーのシンプルなデザインのドレスを着させられていた。装飾も少ないスタンダードなものだが、ラインがとても綺麗で、上等な布地を使ったものだという事が一目で分かった。……胸やら腰やらに詰め物が必要だったけれど。しかし、似合うか似合わないかは別にして、ドレス単体で見れば、とても綺麗だ。こういうのは好き。自分で着るよりも、トルソーに着せて飾っておきたいぐらいだ。
 着替えの最中、ちらり、とワードローブの中身が見えたのだが、ドレスの数が半端なく増えていた。色とりどりのそれは、着せ替え人形の商品広告にも使えそうだ。リカちゃんも、バービーちゃんも真っ青だぜ。……本当に、一体、どういうつもりなのだろうな、女王陛下は。
 まあ、でも、こんなのも良いだろうさ。もう、本当に、どうでも良い。
 私が関与すべき事柄なんて、もう残ってはいないのだろうから。
 数時間に渡ってあれこれと世話を焼かれた後、私は窓際に置かれた椅子に座って、ぼんやりと外を眺めた。
 ここからの眺めは以前と変わりない。どこまでも続く空が広がって見える。遠くまで。
 まるで映画の背景のような美しい眺めを臨んでいると、つい先ほどまで自分がその中にいたのが不思議に感じる程だ。
 その同じ蒼穹の下、私が通ってきた同じ道を辿って、黒い列が近付いて来るのが見える。
 ……ああ、英雄の御帰還だ。
 国にふたつの勝利をもたらした英雄。まだ、豆粒程の大きさでしかないけれど、あの点のひとつは、確実にその人だ。
 と、神殿の鐘が大きく鳴り響いた。
 時を告げるものとは違い、何回も繰り返し鳴り響いて止む気配はない。
 それに答えるように、街の鐘も鳴り始める。
 音の違う鐘の音色が幾重にも重なって、天にも届けと言わんばかりに聞こえる。さぞかし、神様も煩く、迷惑に思うに違いない。
 それでも、こういう出迎えの仕方は彼に相応しく、帰郷を果たした彼等にとって喜びをもたらすものだろう。
 その証拠に、眼下に見える街並みの間から、出迎えようという大勢の人々が一斉に動き始めている。見る間に道が色を変え、それそのものが蠢いているかのように見えてくる。
 声は聞こえずとも、ざわつく空気を感じる。雲が沸き立つような勢いが、ここにいても伝わってくるかのようだ。
 部屋に控えるメイドさん達からも、そわそわとした雰囲気を感じた。
 ……見に行きたいのかな。ひょっとすると、彼女達に関係ある人が混ざっているのかもしれない。
「ゲルダさん」
「なんでございましょう」
「良ければ、皆さんお出迎えに行って貰ってかまいませんよ。私の方で特に用事はありませんから」
 私の言葉に、メイドさん達の間から、言葉には出ない歓声が聞こえたような気がした。
「ですが、務め以外の理由で主の傍を離れるわけには参りません」
「ええ。でも、そんなに長い時間でもないでしょう。長く離れていた分、一目、無事を確かめたい人もいるでしょうし、ここにいても落ち着かないでしょう。気を済ませて落ち着いてからの方が、仕事にも集中できるでしょうし」
 経験できる歓びがあるならば、ひとつでも多く味わっておいた方が良いだろう。
 そうですか、とゲルダさんは頷いた。
「では、私以外の者を下げさせて頂いてもよろしゅう御座いますか」
「どうぞ。戻る時間はお任せします」
「畏まりました」
 そして、ゲルダさんが短い言葉で夕食の支度時までには戻るようにメイドさん達に伝えて、部屋から下がるよう伝えた。それを受けて、皆、私に一礼をして、静々と退出をしていった。それでも、なんとなく、廊下を暫くいったところで走り始め、階段を転がるように駆け降りる彼女達の姿が思い浮かんだ。
「ゲルダさんは良かったのですか」
 街の門のすぐ傍まで近付いた列を眺めながら、それとなく問うと、はい、と相変わらず堅苦しいままの返事があった。
「出迎えられる方はおられないんですか」
 それには、少し間があって、はい、と返事があった。
「先の隊にて戻ってきておりますので」
 ああ、そうか。
「どなたが」
「甥です。妹夫婦の子で」
「そうですか……御無事に戻られて良かったです」
 出迎えようにも戦死した者も少なからずいる。そういう人の家族は、勝利を喜ぶどころではないのだろうな。
 国は勝利を祝い、生き残った兵士の家族は生還を祝う。しかし、待っていた者と二度と見える事がないと知った者の涙も、その底にひっそりと流れているのだろう。結局、戦に勝とうが敗けようが、泣く者は確実に存在する。
「申し上げるのが遅くなりましたが」、と唐突にゲルダさんが言った。
「無事の御帰還、お喜び申し上げます。また、我が軍の勝利に大きく貢献され、それにより我が甥だけでなく、多くの兵士を無事に家族の許へと帰して頂けた事、私よりも御礼申し上げます」
 ええと……そんな改まって言われると、どう答えたら良いのか分からない。
「……有難う御座います」
 みだりに礼を言うな、と言われた人ではあるけれど、それ以外に言葉が思い浮かばない。
 ゲルダさんはそれには何も言わず、いつものようにしゃんと背筋を伸ばして、表情も変える事なくそこに立っていた。でも、少しだけ私を見る視線が和らいだような気がした。
 都の門を潜った帰還兵達を迎える歓声が、鳴り響く鐘の音に交じって、私の耳にも届けられた。

 悲しみはあっても、そこには間違いなく喜びも存在しているのだ。
 そのどちらかだけで、すべてを語るべきではない。
 ……その時、そう思った。




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