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「向こうから敬遠するように仕向けられれば良いのだろうけれどね」
 ランディさんが言った。
 その、とケリーさんが自分の後頭部を撫でながら問う。
「私はまだよく知らないのだが、皆が彼女に対して抱いている興味というのは、どれぐらいのものなんだい」
「少なくとも、一部の兵士達の間では、ディオ殿下や将軍の方々と並ぶほどの信頼を集めています。耳ざとい貴族ならば、放ってはおけない程度には。吟遊詩人が耳にすれば、詩に残したがるでしょうね」
 ウェンゼルさんが答えた。
「吟遊詩人……それは分かるが、ああ、と、どれぐらいかな」
 ケリーさんには、それでも分からない様だ。というか、私もよく分からない。吟遊詩人なんて言葉は聞いた事があっても、見たこともない。が、適当に答える。
「ええと、悪い方向に動けば、チャールズ・マンソンレベルって事です」
 ランディさんとウェンゼルさんは首を傾げたが、ケリーさんには得心がいった様だ。下手な説明よりもこの方が、アメリカ人にはピンときやすいだろう。
「伝説級というわけか」
「最悪、魔女狩りの標的にされかねません」
「ますますカルトじみた話だ。まったく、こういう所が馴染めないね。基礎教育の裾野をもっと広げるべきだよ。もっと、論理的な思考が出来るように教育すべきだと思うね」
「仕方ないですよ。科学なんてものが存在していないも同然なんですから。広範囲に事実を行き渡らせる為のメディアもないですし。尾ひれ背びれがついた噂が本気にされる世界です。地方毎に隔たりがある点では、カルト教団と変わらないでしょう。でなければ、テロ組織とか」
 自分で言っておきながら憂鬱になった。思わず、溜息も出る。
「しかし、それはつまり、彼等にとって脅威にも成りえる存在だからこそ、余計に興味を持たれているという事にならないかい? であれば、君が彼等にとって無害であると信じさせれば、少しは治まるのではないのかな」
 ……ああ、そういう考え方もあるか。
 同じ世界の価値観を共有するケリーさんの意見は、とても現実的で参考になる。医者だけあって、冷静な判断を下せるところも。
 確かに、とランディさんが頷いた。
「キャスの場合、瞳の色の事もあって、これまで他者との接触をできるだけ避けるようにしてきました。ごく一部の者を除いては、彼女に関する話の殆どは憶測でしかありません。それで、余計に好奇の眼を集めている事もあるかもしれません」
「しかし、ここで彼女を人前に出すのは危険すぎます。瞳の色が黒いと他国にでも知られれば、我が国はまた直ぐに戦になります。今度は攻め込まれる形で。それでなくとも、現時点でも、他国に彼女の存在が噂となって流れれば、脅威を与える事になりかねないでしょう。考えるならば、現在の噂を打ち消す方向で対策をたてるべきなのでは」
 ウェンゼルさんの意見も、実に尤もなものだ。しかし、問題は、どういう方法を取るべきか、だ。下手すれば、火に油を注ぐ事にもなりかねない。
「今、貴族の間で流れている主な噂の内容って、具体的にどんなものなんですか。やはり、ランディさんのお母様が言われていたようなものなんでしょうか」
 私の問いに、ランディさんは少しだけ困ったような表情を浮かべた。
「そうだね。まあ、大体、あれと似たり寄ったりというところかな」
 ……ふうん、やっぱり、とんでもない魔女って事か。なんでこんな事になったかなぁ。というか、誰が言い出したんだ、ってレキさんか。あれ? そういや、あの人、どうしてんだろ?
「そう言えば、傭兵のレキさんがどうなったか分かりますか」
「傭兵? さあ、知らないな。傭兵だと、もう離れたかもしれないね。その人がどうかしたのかい」
「いえ、別に。今、ふ、と思い出したものですから」
「調べれば、直ぐに分かると思うけれど」
「ああ、別に良いですよ。大して知り合いでもないですし」
「……いや、それはまずいですね」
 私の答えに、今度はウェンゼルさんが眉をひそめて言った。
「迂闊にも彼の存在を忘れていましたよ。彼を通じて他国に噂が流れるかもしれない。カラカスの時に関りましたから、改めて口止めをしておく必要があります。直ぐに居場所を突き止めましょう。未だ城内にいれば良いのですが」
 その言葉にランディさんも直ぐに応じて、二人は私に引き続き大人しくしているよう言い置いてから、揃って部屋を出て行った。
「やれやれ、慌ただしい」
 ケリーさんだけがひとり残って、注ぎ足されたお茶を啜った。
「しかし、話に聞いていただけだったが、帰る早々にこれでは確かに大変だ。君も気が休まらないだろう」
「はあ。でも、私はここで座っている事しか出来ませんし。皆さんに任せるしかありません」
「そうかもしれないが、私はその点についても、君はもっと、自分の権利を主張すべきなのだと私は思うね」
 ……権利かあ。
「でも、権利を主張したところで、立場的に受入れられない事が多い事も分かりますし」
「それでも主張しない限りは、なにもかも相手の言うなりになってしまう。それでは、奴隷と同じだ。少なくとも、すべてがかなわないにしても、話し合いでお互いの妥協点を見出す事は可能だし、そうすべきではないのかい」
 お説ごもっとも。
「それにしたって、正直なところ、私には何を主張したら良いのか分からないんです。本当だったら殺されていてもおかしくないのに、この通りドレスを着て、何から何まで面倒をみて貰って、贅沢とも言える生活をさせて貰っています」
「だが、ひとりの人間として選択する自由は失われている。違うかい?」
 ああ、まあ、そりゃあね。
「朝起きて、食事をして、自分の仕事をして、誰かを愛し愛され、そして眠る。そういった人としての基本的な選択の自由が全て失われている事によって、君は自ら死を選びもしたのではないのかい」
 ケリーさんは熱心とも感じる言葉と表情で、私に問いかけた。
「君自身は、なにを望む」
 私は……
「与えられる物を享受する事だけが、君の望みか。この先、何の計画もなく何の目標もなく、それで、君は君の人生を生きている事になるのか」
 私の?
「君はまだ若い。寿命を生きるにしても、あと半世紀は残っている。難しい立場にあっても、その時間を出来るだけ有効に使うべきだ。ここは私達の故郷とはかけ離れた環境ではあるが、そういう意味に於ては、どこであっても同じだ。そうする為の主張は必要だよ 。私もあのエスクラシオ殿下とは少し話しただけだが、まるっきり話の通じない相手ではないと思う。正当な主張であれば、彼も考えてくれるだろう」
 あいたたたた……耳に痛い。説教にしても、的を射すぎている。やる気の余っている人は、こういうところが容赦ないな。寿命や人生なんて言葉、すっかりと忘れていた。

 ――言いたい事があれば、声に出して言え。それならば、多少は耳を貸してやらんでもない。

 ふいに、ぶっきらぼうな低い声が脳裏に響いた。
 ええと、確か、意識朦朧状態の時に言われた様な……ああ、そうか。あの人、私の言葉を聞こうとしてくれていたんだ。
 ケリーさんは言った。
「急ぐ必要はないが、じっくりとその辺の事を考える事を薦めるよ。他ならぬ君自身の為に」
「……はい、ありがとうございます」
 与えられた課題は、私の胸の奥に振り子となって下げられた。
 心臓が脈うつ度、チクタクと時を刻むように揺れる。
 その振動のお陰で、頭までぐらぐらだ。あと半世紀も生きなきゃならないなんて、気が遠くなりそうだ。

 ……分かっているんだけれど、痛い。




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