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 今や私の座右の銘は、『棚からぼたもち』だ。
 『濡れ手に粟』というのも悪くはないが、これにはそれなりに創意工夫をしようという努力の影が見える。現実逃避を決め込んでいる状態としては、それすらもウザイ。
 努力? 根性? なにそれ、美味しいの?
 でも、きっと私のそういうやる気のなさは既に見抜かれていて、もどかしがっている人も複数いるらしい。ちったあやる気がある振りしておいた方が、人間関係を悪くしない為にも良いのかもしれない。しかし、それもサービス精神でしかなく、サービス精神は……面倒臭いなぁ。
 いや、惰性は大事だよ、エンストを起こさない為にも。ニュートンの慣性の法則なんてのもあるしさ。
 だが、咽喉の奥に小骨が刺さったような感覚を常に感じているのは、認めたくないが認めるしかない。こういうところが、気が小さいというのか、私が今一つ、大物になれない理由なんだろう。
 ……ああ、お茶漬けが食べたい。

 でも、そんな私とは反比例して、メイドさん達の気合いは充分だ。
 帰国して一週間が経った。それでも、彼女達のやる気に冷めたところは感じられない。
 以前にも増して、私に対する手入れが入念になった。髪やら爪やら。多分、出掛けている間に傷んだせいもあるんだろうが、それにしても怒っているようにも感じるのは、なんでだろう? ムキになっているとも感じる。……まあ、いいけれどさ。彼女達の努力のお陰で、私はとても快適だ。
 あれだけ鬱陶しかった髪も、先端の傷んだ部分は切り揃えられた。中途半端な長さも、髪留めやピンを使って綺麗に纏められている。キューティクルなんて欠片も残っていないんじゃないかってぐらいに傷みきった髪質も、元に戻りつつある。
 こういうところは、素直に嬉しい。
 髪だけではなく、爪も磨かれ、薄く色づいて健康的に見える。
 肌もカサカサしていたのが、ちょっとだけマシになった気もするし、化粧のせいか貧乏臭さも抜けて、なんとなく荒んでいた部分が削がれた気もする。
 そして、毎日のように違うドレスを着ている。
 部屋の中にいるのだから、毎日、着飾る必要などない筈なのだが、体面やらもあるのだろう。出されるものをそのまま着ている。申し訳ない気もするが、折角、用意して貰ったドレスを着ないでいるのも悪いし、勿体ない。それに、綺麗にしていると、自分が女だった事を思い出して、ちょっとだけ嬉しくなったりもする。
 この先こんな事もないかもしれないから、今の内に愉しんでおこうってな気分で、私も大人しくされるがままになっている。
「とても良くお似合いですわ」
「有難う、サリー」
 褒め言葉に応えて礼を言うのは、問題ないらしい。
 そして、今頃になって、漸くメイドさん達の名前も覚えられた。
 大体、五人が常に私の身の回りの世話をしてくれているのだが、私専属でついてくれているのは、サリーとロイスの二人。あとの三人、クルシェッタとテッサリーナとイルマは、元々エスクラシオ殿下の部屋付きのメイドさんだが、殿下は日中は部屋にいない事が多いし、殿下の身の回りの事は男性の侍従がついているので、普段から私の方と兼任で手伝いに来てくれているらしい。あと、手が足りない時はもう一人、マリアも手伝いに加わる。そして、私の部屋専任として彼女達に監督指示を出すのがゲルダさんの役目で、メインでお世話になっているわけだ。
 実は、メイドさんと呼ぶ彼女達は、れっきとした貴族の御令嬢だ。とは言え、貴族にも色々とあるらしい。
 彼女達の実家は、王城――このラシエマンシィに出入りを許されていない、地方に小さな領地を与えられるだけの下流貴族に属するんだそうだ。ラシエマンシィに出入り出来るのは、貴族の中でも陛下のお許しを得た、ごく一部の上流貴族と言われる者達だけに限られる。
 彼女達は親戚や知己を頼り、行儀見習いを兼ねて奉公にやってきている。
 とは言え、目的の半分以上は結婚相手を見付ける為。上手くすれば、玉の輿。それでなくても、上流貴族のお妾、或いは、相応の身分を持つ騎士や、将来有望そうな兵士達の中から相手を見付けようという腹がある。実家の家名をあげる為にも。……なんとも大変そうだ。
 でも、王宮に奉公に来られるだけでも運やタイミングがあるし、ましてや、本来、直接、お目通りすらかなわない筈の殿下にお仕えできるという事は、大変な名誉であるそうな。
 そして、彼女達を管理するゲルダさんは、肩書きとしては、女官と呼ばれる。
 数は多くはないが、女性管理職は城内にそれなりにいて、女王陛下が統括なされている。
 彼女達は、代々、王城に仕える家系に生まれた者で、こどもの頃から親からの教育を受けて、職務を引き継ぐ者が大半だそうだ。所謂、世襲制ってやつ。稀に、必要に応じて、『出来る』メイドさんが出世するケースもあるそうな。
 メイドさんは、揃いの紺のシンプルなメイド服を着用。部屋ごとに分かれて、ひとつの部屋で寝食を共にしているそうだ。
 ゲルダさんら女官は、一人一人に部屋を割り当てられ、着るドレスは自前。でも、立場として、地味なものを選んで着ているみたいだ。多分、給料もそれなりに違うのだろうな。
 戻ってきてから、ゲルダさんやメイドさん達は、合間にそんな事をぼつぼつと教えてくれるようになった。
 ……へえ、そりゃ分かったけれど、だから、なんなんだ。貴族でもない私がこうしているのは、いいの?
 そんな疑問も湧くが、ま、いいや。今のところは、飼い猫だし。
「きっと殿下もご覧になれば、お気に召されるでしょう。殿下のお好みの色目なんですよ」
 ロイヤルブルーのドレスの裾を直しながら、ロイスが言う。
 ……君ら、まだそんな事を言っているのか。ま、夢見がちな乙女だと仕方ないのかなあ。
「でも、お仕事や行事で暫くはお忙しいでしょうから」
 やんわりと、何もない限りは様子を見に来る事もないんじゃないのか、と暗に示唆してやる。
 と、サリーが、小さく嘆息した。
「お忙しいのは分かっておりますが、日に一度ぐらいはお顔をお見せ下されば良いのに、と思ってしまいますわ」
 まあ、君らも頑張っているからな。仕事の成果を見てもらいもしたいか。
「仕方ないですよ」
 慰めに少し笑って見せる。
「落ち着きもしたら、その内、一度ぐらいは様子を見に来る事もあるでしょう」
「……姫さまはお優しくていらっしゃる。どうしてそこまで物分かりが良くていらっしゃるのか、私には不思議に感じる時がありますわ」
 サリーが溜息を吐くように応えた。ロイスも同意するように頷く。
 『姫さま』、と彼女達は私をそう呼ぶ。
 呼ばれる方としてはこっ恥ずかしくもあるが、カスミと発音できない以上、立場的にキャスと呼び捨てにさせるわけにもいかないし、タカハラの姓を呼ぶのも彼女達には抵抗があるらしい。魔女は論外。なので、好きに呼ばせておく事にした。
「そう?」
 そんな物分かりも良くないぞ。
「ええ。私でしたら、とても寂しくて泣いてしまいます」
 そんな大袈裟な。
 でも、ロイスは真面目くさった表情で、
「御婚約も間近だと言われている方に、如何にもつれない仕打ちと感じてしまうでしょう」
 え。
「婚約?」
 誰と誰が?
 あら、とサリーが私を見て言った。
「時期を選んで、ディオクレシアス殿下にお輿入れなさると伺っておりますが」
「誰が?」
「誰って……姫さまがご正室にあがられるのでしょう」
 違うのか、と小首が傾げられる。

 なんだそりゃああああああっ!!

「……誰がそんな事を?」
「皆がそう申しておりますわ。目覚ましく戦功をあげられた姫さまはディオクレシアス殿下の御寵愛も目出度く、国王陛下や女王陛下の覚えも宜しい上に、お妃様として不足ないと兵士や騎士の方々もお認めになられていると」
 ロイスがにっこりと笑った。

 誰だああああっ、そんな事を言いふらしているヤツぁああああっ!
 どうして、そういう話になる!? 何故だッ!?

 悲鳴をあげそうになった。眩暈がした。
 よりにもよって、殿下の嫁ってあんた。御寵愛って、そんな素振りひとつなかったろうに、どこをどうしたらそんな誤解が生まれるんだよ。そりゃあ、他の兵士に比べりゃ近くにもいたし、かまって貰ったさ。命も助けて貰ったさ。温泉にも連れていって貰ったさ。でも、そりゃあ身の安全確保の為だぞ。オフレコで話す為だぞ。必要なければ、放置状態だったぞ。それともなにか? 鎖で繋がれたり、いきなり肩に担がれたり、馬鹿者呼ばわりされるのを、この世界では御寵愛って言うのかっ!?

「姫さま、大丈夫ですか!」
 よろけたところを、ロイスに支えられてベッドに座った。
「お顔が真っ青ですわ! 直ちにお医者様を呼んで参ります!」
 そう言って、急いで部屋を出ていこうとするサリーを私は呼び止めた。
「ちょっと立ちくらみしただけだから。それよりも、ベルシオン卿を呼んで下さい、直ぐに」
「でも、お加減が悪そうですわ」
「お願い」
「畏まりました」
 訝しげな表情を浮かべながらも、サリーは頷き出ていった。
 それを見送って、私は頭を抱える。
「本当に大丈夫ですか、姫さま。やはり、お医者さまを」
「いいえ、大丈夫。それより、お水、貰える?」
「畏まりました。直ぐに」

 落ち着け、落ち着け……兎に角、今は正確な現状把握が必要だ。
 しかし、ドツボも底なし。
 これも『ぼたもち』と言うのだろうか。
 でも、多分、毒入り。それでなけりゃ、咽喉詰まらせて、窒息死しそうだ。

 ……責任者出てこぉおおいっ!!




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