-34-


「ウェンゼルさんは、今日は?」
 と、訊ねると、今日は別の仕事でついてきていない、との事。
「戦の後始末で接見やら会合やらが続いて、やっと、一段落ついて時間が取れるようになったよ。こうやってお茶の時間が持てたのも久し振りだ」
 テーブル席に並べられた持参してきたお菓子を前に、お茶を啜りながらアストラーダ殿下はぼやくと、労る様な眼差しを私に向けた。
「君も戦場では辛い思いをしたようだね。ウェンゼルから聞いたよ」
 ……ああ、そうか。
「あの、随分とお気遣い頂き、有難うございました。ウェンゼルさんにはずっとお世話になりっぱなしで、本当に感謝してもしきれないくらいです。私を守る様にして下さった殿下にも」
「いいんだよ、そんな事はね。君がこうして戻ってきてくれた事で、すべて帳消しだ」
 それより、とにっこりと笑う。
「それより、今日、持ってきたのは、君がいない間、菓子職人達に研究させて作らせたものなんだよ。好きなだけお食べ。戦場には、こんなものはなかっただろうしね」
 敢えて暗い話題を避ける気遣いは、この人らしい相変わらずの優しさだ。対面していても、自然と笑顔になってしまう。
「頂きます。嬉しいです。冗談抜きに甘い物には餓えていました」
 飯も不味い上に、甘い物と言えば、キャンディかフルーツぐらいしかなかった。でなけりゃ、砂糖そのまんま。
 早速、カッティングしたフルーツと生クリームをふんだんに使ったケーキを一口。
 フルーツは桃のようだ。表面にゼリーでコーティングしてある他にも、ふわふわのスポンジケーキの間に生クリームと一緒に挟んである。酸味と甘味のバランスもほど良い上品なケーキ。思わず頬が緩む。
「すごく美味しい。すっごく美味しいです」
「それは良かった」
 桃も生クリームも、久し振りの味だ。夢中になってほおばる。
「こっちも美味しいよ。生地にアーモンドが練り込んであってね。レモン風味のクリームを使ってある」
「ああ、本当に美味しそう。つい、食べ過ぎちゃいそうです」
「ああ、どんどん食べるといい。一回り以上太らせてみせるって約束だったろ」
「ええっ、あれ約束だったんですか」
「そうだよ。なんの為に持ってきたと思っているんだい。さあ、頑張って食べて。私を嘘吐きにさせない為にね」
 冗談めかせて言う軽やかさは、他の人が持ち得ないものだ。暖い季節の木漏れ日の中、葉擦れの音を耳にしているかの様な心地よさがある。まるで、唄っているかのようにも聞こえる。
 穏やかさがこの人の傍にはある。少なくとも私の前では、そうあろうとしてくれている。
 ……こんな時間は、久し振り。忘れていたものを思い出した気分になる。
 でも。
「殿下は私についての噂を耳にされていますか」
 私はタイミングを見計らって、話を切り出した。
 おそらくアストラーダ殿下ならば、未だ私の知らない事実も詳しく教えてくれる筈だから。この機会は逃せない。
 そうだね、と微苦笑を浮かべて肯定する答えがあった。
「どんな内容でしょうか」
「色々だよ。沢山ありすぎて、直ぐには答えきれないほどだね」
「内容としては、どうですか。良いものか、悪いものか」
「どっちもあるね。女神を賛えるかの如くのものもあれば、思わず耳を塞ぎたくなるものまで」
 やっぱりか。揺り返しが始まっているんだな。
「中には面白いのもあったよ。動物と話せるらしいとか、長時間、陽に当ると干からびてしまうらしい、というのもあった。あとは、猫が人間に化けているんだとかね」
 ……なんだよ、それ。ゾンビか、バンパイアか、化け猫か? 既に人間じゃねえな。どっから来たんだ、そんな話。つか、そんなんを殿下の嫁にって、いいのか?
「ただ、私の個人的意見を言えば、どれも的外れなものばかりだよ。まあ、君を直接知らない者ばかりが言う事だから、当り前なのだけれど」
「参考までにお聞かせ願いたいんですけれど、こういう場合、殿下だったらどうするべきだと思いますか。エスクラシオ殿下は放置しておく事にしたみたいなんですが」
 それには、そうだね、と唇に指を当てて考える表情をみせた。
「それも手ではあるだろうね。このまま戦がなく何年も過ぎて、君に関する話が何一つ出て来なければ、その内、皆、忘れるだろう。でも、それは表面上の事だけだろうな。兵士達は、きっと今回の戦の事を長く語り続けるだろうし、その中で君の存在は外せないものだろう。それに、君も一生、ここから出ないというわけにはいかない。何かひとつあれば、皆、君の事を思い出すだろうし、また戦にでもなれば、君を使えと言うだろう。そこで、また手柄を立てれば、同じ事が起きる。ディオがそうするのも分かるけれど、必ずしも君にとっては最善とは思えないね」
 アストラーダ殿下は、その美貌を僅かに曇らせて吐息をついた。
「君のお陰で、今回の戦が大勝利に終った事には間違いがないし、結果についても喜ばしいものではあるけれど、やはり、君を行かせるべきではなかったと、今になって後悔しているよ。ディオから聞いたあの時、もっと強く反対しておけば良かった、とね。君がもっとお調子者であれば、今のこの状況も良いものと感じたかもしれないけれど、そうではないから」
「私がお調子者な性格だったら、殿下とこうしてお茶をする事も出来なかったんじゃないですか」
 そう言うと、「とんでもない」、と口の端に笑みが溢れた。
「少しは苛めたかもしれないけれど」
「苛めっ子ですか」
 私も笑う。
「エスクラシオ殿下が言っていましたよ。殿下は兄弟の中で一番、口が悪いって。鈍いと分からないぐらいの嫌みを言うのが得意だって聞きました」
 それには、軽い笑い声が立った。
「一応は聖職者だし、ディオほど武芸に秀でているわけではないから、時にはそういう武器も必要なのだよ」
「言葉の剣の名人ですか」
「相変わらず、上手い事を言うね」
 ちらり、と悪の司祭長の笑みが覗いて見えた。
「それで、当事者である可愛い魔女さんとしては、この状況をどうしたいのかな」
 こうしてすかさず問い掛けてくるところが、アストラーダ殿下の駆け引きの上手さを感じさせる。
「まあ、どうでもよいと言えばそうなんですが、理想を言えば、出来るだけ速やかに、でも、穏便に下火になってくれれば良いのかな、とは思っています」
 会話の主導権を譲って、私は答えた。
「それは難しいね。早さと穏やかさは、なかなか相容れないものだよ。でも、君ならば可能かもしれないね。少しは計画があるのかい」
「そんなものはないですが、少し考えた事はあります」
 と前置きをして、殿下の訪問以前に考えていた事を話した。
 アストラーダ殿下は私の話の腰を折る事なく黙って耳を傾けた後、「なるほど」、と頷いた。
「その考え方は適確だと思うね。私の見立てでも、殆どは何も意識せずに噂を口にしている者ばかりだ。好奇心とは言うが、その下にある羨望や怖れを自覚していない。だからこそ、一度、流れの傾向が決まってしまうと、容易くそれに流されてしまうだろう。一旦、悪い方向へ流れ始めれば、好意的な意見もすぐに覆されるに違いない。噂とはそういうものだからね。阻止できるものならばそうした方が良いと思うよ。今ならば、まだ間に合うだろう」
「そう思われますか」
「うん、難しいだろうけれどね。ディオの遣り方も間違ってはいないけれど、あの子は戦以外ではそういった面での立ち回りは、あまり上手とは言えないから。良ければ、手を貸すよ」
「そんな事して、いいんですか?」
「勿論。貴重なお茶友達の窮地を見過ごしてはおけないよ。それに、ここで何もしなければ、ウェンゼルの機嫌を損ねる事にもなるだろうし、なにより面白そうだ。傲岸不遜な連中が翻弄される様は、見ていて愉快だろうしね」
 ……本当に大丈夫か?
 にんまりとした笑みを前に、一抹の不安が過る。
「それで、早速だけれど、君の話を聞いていて思ったのだけれどね、」
 この人は、本気で『悪の司祭』の素質があるのかもしれない。本性見たり、とは言わないが、少なくとも純粋な神の使徒とは言えない様だ。
 私は半分、舌を巻きながら、具体的な策を求めてアストラーダ殿下と話し合いを続けた。




 << back  index  next>> 





inserted by FC2 system