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「逆に問うが、君は殿下の事をどう思っているんだい?」
「……どうって」
 そんな事をいきなり訊かれても困る。
「私が見たところ、嫌っている様には感じないのだが」
「……嫌いじゃないですよ。でも、結婚となると話にならない事は、アストリアスさんにも分かっているでしょう。私の瞳の色が明らかにされれば、それこそ、殿下に王位簒奪の意志があると受け取られるし、他国からも攻められます。有り得ない話です」
 そう答えれば、ふむ、とお髭を撫でる手が止まった。
「君の言う通りだね」
 だろうよ。
「だが、君が殿下のお傍を離れる理由にはならないだろう」
「話、聞きましたか」
「うん、君が誓約の破棄を望み、殿下も承知なされたと。でも、もし、それがコランティーヌ様との事を危惧して出たものであれば、必要ない事だ。それを伝えたくてね」
 ……そういう事か。あくまでも引き留めるんだな。何故、そこまで危険を冒したがるのか。
 アストリアスさんとは、いつも見えない綱引きをしてばかりだ。
「……それだけではないです」
「では、何故だい。戦で辛い思いをしたのは分かるが、二度とあんな事は起きないだろう。私達がさせないよ。約束しよう」
「いえ、そうじゃないです。それもありますけれど」
「ならば、どうしてだい」
 なんと説明すれば良いんだろう。
 誓約に拘り続けるあの人が嫌なのだと。なにがなんでも誓いを守り通そうとする殿下を見ていると胸が痛むから、とそんな説明、分かって貰えるのだろうか。……どう説明しても理解して貰えないと思う。おそらく、騎士のひとりとして、誓約の遵守を当然と受け止めているだろうこの人には。
「キャス」
 宥めるような声が呼ぶ。
「面倒臭いんです。これ以上、難しい事を考えるのも、嫌な事を考えるのも」
「それは、また……随分と、投げ遣りだね」
「慣れない事をしすぎましたから」
 私は肩を竦めてみせた。
「いい加減、ごちゃごちゃするのにも疲れました。だから、退場したい、ってそれだけです」
「しかし、それだけで、人生を棒に振るのかい。全てを捨てると?」
「この数ヶ月で、百年ぐらい生きた気分です。だから、もう良いです。それに、元からいる筈のない人間ですから、その方がすっきりもするでしょう」
「キャス」、とアストリアスさんの眉が顰められた。
「そういう言い方はやめなさい。君は自分を大事にしなさすぎる。悪い癖だ」
「でも、本当の事です」
 深い溜息が答えた。
「私には、君が殿下の傍にいる事を怖がっている様にも感じるよ。だが、その理由が分からない」
 それは……
「私の瞳の色が黒いから。私が傍にいる事は殿下の為にならないと思うから。だからです。いつか誰かが私の事に気がついて、殿下を……みんなを困った立場に追い込む事にもなるでしょう。そして、私の存在を知りもしない、なんの関係もないこの国の人々が、理不尽に傷つく事になります。そうして、私自身も、また同じ事を繰返すでしょう」
「そうと決まったわけじゃないよ」
「分かっています。でも、そうなる危険性は充分にあります。現実、そうなった時になってからでは遅いんです。戦を目の当たりにして、特にそう思います」
 私は私の意見を翻す事は出来ない。でなければ、美香ちゃんに言った言葉がすべて嘘になってしまう。そんな都合の良い真似は出来ない。彼女が死んでしまった今では、余計に。
「だから、今のうちにお傍を離れると?」
 アストリアスさんは、私の顔をまじまじと見つめ、そして、首を横に振った。
「君は本当に頑固だ。呆れるほどに」
「……すみません」
「殿下のお傍を離れるとなると、どういう事になるかも分かっていて、言っているのだね」
「はい」
「長年、孤独に耐える事になるかもしれないんだよ。或いは、死ぬまで。鎖に繋がれ、二度と外を歩く事も出来なくなるかもしれない」
「覚悟は出来ています」
「君の瞳の色を変える事は出来ない。或いは、眼を潰される事になっても?」
 ……そこまでするのか。いや、だからこそ、陛下なのだろう。
 嘗て、エスクラシオ殿下が陛下の事を、『王に相応しい方だ』、と言ったのは、そういう理由からだ。 アストリアスさんが、これまで私に再三言ってきた事は、陛下ならば、そう選択する可能性があるからだろう。美香ちゃんが、『氷の王』と呼ばれていると言っていたが、それも本当の事だろう。
 だが、国を治める者には、そういう面もあってしかるべきだろう。私はそう思う。
「はい」
「一生、暗闇の中で、誰と話す事もなく君は生きていく? 私達には、今更、君にそんな真似は出来ない。そうなった場合、君の事を何も知らない誰かに託す事になる。でも、そんな事もさせたくないのだよ。君に対し、どんな扱いをするか分からない輩に、君を任せるなんて事はしたくない」
「でも、死ぬ事も許されないのであれば、仕方ありません」
「考え直す余地はないのかい」
「他にどうしろと?」

 ……こわいよう。

 でも、そう分かっていても、私の中で泣いている子がいる。怯えながら泣いている声が聞こえる。死という逃避先を失った今、泣く事しか出来ないでいる。

 寂しいのは嫌。
 痛いのは嫌。
 苦しいのは嫌。
 ……こわいよう。

 そう言って、ずっと泣いている。
 それに私は耳を塞ぐ。耳を塞ぎ続けてきた。そして、これからもそうする。
 紫の瞳が、真直ぐ私を見て言った。
「助けを。殿下に一言、助けてくれと言いさえすれば、殿下は直ぐにそうする為に動かれるだろう。君はこれまで通り、殿下の庇護下にて守られる事になる」
「言わなければ?」
「このまま陛下の御裁可に委ねられる事になるだろう。決定が下されば、何者でも覆す事はできない」
 まるで脅しだ。
 手を伸ばしかけている私がいる。けれど……駄目だ。やっぱり出来ない。
「助けを求めた所で、根本的な解決にもならないでしょう」
 結局、どちらを選んでも、苦しみが待っている。
 肉体と精神の両方に於て直接の苦痛を得るか、肉体的には痛みどころか恵まれた待遇を得ながらも、その分、より大きな精神的苦痛を抱え込むか。自分の為に泣くか、他人の為に泣くか、そのどちらか。
 だったら、私は自分の為に泣く方を選ぼう。
 偽善よりも、自虐を選ぶ。その方が私らしい。
 溜息を吐かれた。
「本当に、君の説得に成功した試しがない。私達から君を奪う者が、誰でもなく君自身であるのだから、どうにも手が出せない。敵であれば、剣の一振りで払えるものを」
「私、アストリアスさん達には、とても感謝しています」
 そう言えば、「分かっているよ」、と寂しそうな微笑みが返ってきた。
「ただ、君の前では己の力不足に気付かされて、いたたまれなくなる。君に救われておきながら、か弱き君一人を救う事が出来ない己自身に、苛立ちもする」
「多分、それは、アストリアスさんが救うべき人間が私ではないって事だけですよ、きっと。ここの世界流に言えば、神様がそう決めたんです。だから、そんなに気にしないで下さい」
 私の慰めは、殆ど役に立たないみたいだ。優しいその人の表情を変える事は出来なかった。
「もし、そうだとするならば、君を救う者とは一体、誰なんだろうね」
「さあ、誰でしょうか……」
 そんな人、いるんだろうか。
「でも、私は魔女ですから」

 魔女が救われる噺なんて……あったかなあ。




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