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 そんな話があって、また十日間。
 私は相変わらず、机に向かって童話を思い出しては、書き出している。現実逃避は絶好調だ。
 昨日は、『長靴を履いた猫』を書いた。『カラバ公爵』の名前がぜんぜん出てこなくて、うんうん考えた揚げ句、やって来たケリーさんに教えて貰って、やっと書けた。
 今日は、『ラプンツェル』。今、考えてみれば、これも凄い噺だ。大の男を一人、髪の毛で支えるんだから、相当、力持ちなお姫さまだ。根こそぎ脱毛しないか? 暇だからって、筋トレでもしていた? ……似たような境遇でも、私はそれはやる気になれないなあ。

 私に関する噂、その一。
 帰国後に倒れて以来、『白髪の魔女』の病状は思わしくなく、ベッドから起き上がる事も出来ないでいる。誰も面会を許されない程に、かなり具合が悪いらしい。
 噂、その二。
 『白髪の魔女』の担当医は、各国を渡り歩いた高名な医師で、陛下の御典医さえ一目置く存在である。原因不明の高熱に、その医師すらも原因が分からず困っている。ただ、他人に移る類の病ではない事だけは判明。
 噂、その三。
 『白髪の魔女』の見舞いに訪れたアストラーダ殿下が、神殿に戻った時の表情が滅多になく深刻なものだった。その後、東棟四階のエスクラシオ殿下の私邸に連なる廊下は封鎖。限られた者だけ通行可。エスクラシオ殿下も『白髪の魔女』に近付かないようにしているらしい。
 噂、その四。
 神殿では、毎日、アストラーダ殿下による特別の祈祷が行われているそうだ。
 噂、その五。
 アストラーダ殿下と『白髪の魔女』の担当医は仲が悪いようだ。神殿に呼ばれた医師が、怒りながら帰っていくのが目撃されている。
 噂、その六。
 『白髪の魔女』の部屋の侍女の一人が、部屋で『何か』を見たらしい。はっきりと口にしないが、怯えた様子をみせている。
 噂、その七。
 東棟の廊下を歩く、金髪の男の後ろ姿が目撃されている。が、突然、その姿は煙のように消えてしまったそうだ。
 噂、その八。
 『白髪の魔女』の病は、縊り殺されたファーデルシアの王子の呪いによるものらしい。

 現在、流れている噂の内容をざっとあげれば、こんなものだ。実際は、これに尾ひれ背びれがついて、とんでもない事になっているそうだ。笑えるぐらいに。
 で。
 ……おい、一人だけ立っていると気になるから、いい加減、座らんかい!
 私はついたテーブル席の椅子から、アストラーダ殿下の脇に立つ、でっかい聖騎士を睨みつけた。
「ギル、君も座って、お茶を頂いたらどうだい」
 というアストラーダ殿下の勧めに、
「いえ、私のような者が同席するなど畏れ多く御座います」
 と畏まって答える。
「座って下さい」
 私が言っても、いえ、と下から見上げるような雰囲気で立った状態を固持する。
 でっかい図体して卑屈っぽい。ますます鬱陶しさが募る。
「いいから座れ。でないと、今すぐ部屋から叩き出すぞ」
 思い切り上から目線で凄んだところ、一瞬、三白眼に怯えの色を見せて、漸く椅子に腰かけた。椅子ひとつ離れて。……どうして、殿下の隣に座らんのだ? 会話するにしたって遠いだろうが!
 おやおや、とアストラーダ殿下が苦笑を浮かべた。
「ギル、身分を重んじる姿勢は間違いないものだけれど、行き過ぎれば、相手によっては非礼とされるよ。特にキャスの前では自重すべきだ」
「はっ、しかし、巫……キャス殿は、」
「また殴られたいんですか」
 黙れ、と笑みを浮かべて言ってやる。
 ……あの時と違って今日はハイヒールだぞ。殴ると痛いぞ。ああ、それより踏んでやろうか? 足の指の骨ぐらいは折れるぞ。バラ鞭、誰か持ってこぉおい! 女王様とお呼びッ!
 現在、新参者のわんこの調教中。なにせ、前の飼い主の影響が染みつきすぎて、さしものアストラーダ殿下も、少々、苦労している模様。
 わんこは、は、と小さく頷いて、大人しく出された茶を啜った。
 それで、と私はアストラーダ殿下に訊ねた。
「では、ジェシー王子の呪い説は定着しつつあるって事ですか」
「勿論」、と殿下は満面の笑みを浮かべて頷いた。
「特にケリー医師の熱演ぶりときたら、凄かったからね。神殿から出ていくところなんか、君に見せたかった。扉を蹴飛ばしてね。『呪いなどあるものか』、と腕を振り上げて、大声で喚き散らして。そこにいた連中の眼は彼に釘付けだったよ。いや、彼は役者の素質もあるようだね」
 ……本当にやったのか、あのおっさんは。だから、本場の人は!
「君のところの侍女達のお陰もあるよ。誰が何を訊いてもほとんど答えないところが、余計に信憑性を増しているようだ。ゲルダ夫人の采配の妙だね」
「畏れ入ります」
 殿下の視線を受けて、給仕をするゲルダさんは無表情に答えた。
 この人も、なんだかんだと協力してくれているところが、なんだか不思議。
「お陰で神殿が賑わっている。これまでになく寄進の額も増えて、各地の神殿の修繕費の足しに出来ると財務担当の者が喜んでいる。ファーデルシアの方で荒れたままになっている神殿も多かったからね」
 ……そりゃあ、良かったな。
「まあ、悪名をひとつ増やしてしまいましたが、それでファーデルシアの復興に役立つならば、ジェシー王子も少しは浮かばれもするかもしれませんね」
「うん、そうかもしれないね。けれど、私も、貴族の者達の中にも、良心的な者が多くいた事に気付かされもしたよ。なにも利権を得ようと躍起になっている者ばかりではない、とね。そういう者達は、素直に君の心配をしている。息子を無事に帰す事に尽力してくれた君が、早く元気になるように願っているよ」
「そう聞くと、なんだか良心が痛みます」
「まあね。でも、些細な事だよ。結果としては君にとって良い事に繋がるのだから、許して貰えるだろう」
「そうですね。だと良いんですが」
 でも、『白髪の魔女』がいなくなるとは、思ってもいないだろう。
 アストラーダ殿下が、くすり、と笑った。
「まあ、ディオの方でもこれを上手く利用しているみたいだから、良いんじゃないかな」
「エスクラシオ殿下が?」
「うん、主にグスカに対してなんだけれど、締めつけを強化し過ぎれば、次にはどんな呪いがかかるかしれないって風にね。徹底的に痛めつけるべしって強硬論者たちも、それで少しは退き気味にはなってる」
「ああ、なるほど」
 ランディさんのお母さんみたいな思いの人たちか。まあ、それで、多少、風当たりが弱くなるんだったら良いか。グスカの為にも。
 グスカも新政権の下、治安も含めて少しずつ落ち着いてきているそうだ。一応、国として存続する為、ファーデルシアとは違い、貴族たちの所領や財産はそのままであるそうだが、これまでの不正の洗い出し作業も進められていて、身分剥奪や財産没収などの処分を受ける者も少なからずいるそうだ。それに対する波風も起きるかもしれない分、グスカの治安安定の為にも、ランデルバイア国内の世論は静かであるに越した事はないだろう。
「それで、今日、ギルが君に会ったことで、ファーデルシア王子の呪いである事が確定されるからね。次は五日後に、ケリー医師の立ち合いの下、解呪の法を行う事になる。それで、君は魔女ではなくなる手筈だ。それで良いね」
「はい」
 アストラーダ殿下の確認に私は頷く。
「君はこの先、どうするか考えているのかい」
 その問いには俯く。
「……いえ、あとは陛下のご裁可を待つだけです」
「そうか。何かしたいと思っていても、君の場合は行動面で限られてしまうしね」
「はい」
「でも、陛下が君に対してそう酷い処置を取られる事はないと思うよ。だから、あまり悲観しないで」
「そうでしょうか」
「うん。ディオが、君があの子の下を離れる事を承認した事は、私も聞いているよ。私から見れば、君は少々、結論を急ぎすぎた感もあるけれど、仕方ないのだろうね。自ら死を望みもする真似は、二度とさせたくはないし」
「聞いたんですね。ウェンゼルさんから?」
「ディオからもね」
「そうですか」
 出来てしまった言葉の間を埋めるように、唐突に殿下は言った。
「君に、チャリオットとディオの話をしてあげよう。本当だったら、本人から聞くのが一番だろうから、今迄、黙っていたのだけれど」
 そして、私は私の上司であった人とその愛猫の話を聞いた。
 少年と猫のよくある他愛ない話ばかりではあったけれど、その話の中に、私の知らないエスクラシオ殿下がいた。やんちゃで悪戯もする、時には愛情深く他者の痛みに悲しむ、どこにでもいそうな普通の少年だった。
 そして、その話からは、殿下がどれだけ飼い猫を可愛がっていたかという事が、自然と伝わってくるものでもあった。

 その夜、私は、首に黒い毛の混じる白い小さな猫を腕に大事そうに抱く、赤い髪の少年の夢をみた。
 次の日の朝、目覚めた時、無性にエスクラシオ殿下の顔が見たくなった。
 見た夢の話をしたかった。そして、嘗て飼っていた猫の話を、その人の口から聞きたいと思った。




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