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 童話を書きだすのは後回しにして、まずはレティ達の結婚式の企画を優先させる事にした。並行して、私に関する噂の撲滅作戦も進行中だが、こちらは人任せ。
 診察というか、様子窺いに訪れたケリーさんにグレリオくんとレティの話をしたら、興味深そうだった。アメリカでは馴染みの薄い話なのだろう。
「当人同士が愛しあっていれば、簡素な式であっても充分、幸せだと思うのだが、身分制度がはっきりしているここでは、そうはいかないのだろうね」
「日本だと今はそうでもないですけれど、それでも、それなりに伝統にのっとった式にしようという人も少なくないですよ。地域性みたいなものもありますし。でも、若い当人達は宗教に関係なく教会での式をしたがりもするので、偶に親との意見の食い違いなんかもあるみたいです。アメリカはそんな事はないかもしれませんが、州法によって違うから、わざわざ違う州に行って式をあげる事もあるって聞いた事がありますけれど」
「ああ、それは、主に離婚に関するものだよ。式をあげてから離婚できるまでの期間が、州ごとに異なるからね。結婚時に離婚の事を考えるというのも変な話だが、それぞれ事情というものもあるのだろうね」
「結婚という形式自体が珍しい国もありますからね。同棲が主流になっていたり。個人の自由を尊重した結果なんでしょうが」
「カトリックでは離婚を認めない事もあるのだろう。だが、いざ結婚した途端、想像していたものとは違う事もある。というより、殆どが全く違うと言って良いのだろうがね」
「人が変わったりとも聞きます」
「ああ。兎角、結婚生活というのは難しいものだよ。そういう意味で言えば、彼女達も、今が一番、幸せな時期と言えるかもしれないね」
 経験者は語る。
 ところで、とケリーさんは言った。
「明後日の悪魔払いの儀式というのは、何かやるのかね」
 悪魔払い……エクソシストかよ。
「いえ、別に。集まって貰って、お茶会をしながら時間を潰すだけだと思います。あったらしい、と噂になりさえすれば良いので」
「なんだ、つまらない。折角なのだから、形だけでも整えて何かをした方が良くはないかね。聖典ぐらい読み上げたらどうだい」
 おーい。
「別にそうしても良いのでしょうが、身体が宙に浮いたり、首が一回転したりはしませんよ」
 雷が鳴ったり、大量の虫が湧いたり、祓った途端に城が崩れ落ちたりな。
「それは面白いね」
 ハッ! ハッ! ハッ!
 英語の笑い声が響いた。
 ……他人事だと思いやがって。アメリカ人の笑いのツボは分からん。

 ともあれ。
 結婚式については、女性の方が詳しいだろう。正式なものがどんなものかは本で調べるなりして、基礎知識はゲルダさんに訊く事にする。
「なにかしなきゃいけない決まりとかあるんですか。身に着ける物とか」
「新しい家紋を刺繍した旗を納める事でしょうか」
 私の問いにゲルダさんは淡々とした表情と声で答えた。
「新しい家紋?」
「それぞれの家には伝わる紋があり、婚姻する際、相手方の家紋にその紋を加えるのです。そうする事によって、家紋を見るだけで家々の結びつきが分かります」
「へえ」
 日本だとお嫁さんだけ違う紋であったりもするけれど、それは嫁入り道具として持ってきたものについてだけだ。基本的には相手方の家紋を使う。グレリオくんの場合は、ベルシオン子爵家の婿に入るわけだから、ベルシオン家の紋章をベースにユードムント家を象徴するなにがしかの紋が模様に加わるという事だろう。
「すると、今回の場合、ベルシオン卿の使う紋と婚礼後に妹さん達の使う紋とは、同じベルシオンの家であっても微妙に異なるという事ですか」
「左様にございます」
「ふうん、あとはないんですか。ドレスは白だとか、古いもの、新しいもの、青いものや黒いものを一つずつ身に着けるとか」
「特に決まりはございません。家によっては、代々伝わる装飾品をつける事もあるようですが」
「そうなんですか。じゃあ、幸せになるようなおまじないの類はありますか。花嫁の衣装を友人や親族が一針ずつ縫うとか」
「地域によってはある様です」
「例えば、どんな」
「私が耳にした事があるのは、クラムの小枝を身に着けるか、刺繍などの装飾として用いるというものです」
「クラム?」
「クラムの樹は生命力の強いことから、大地に根ざすが如く家を支え守る、という意味をこめてと伺いました。健康と癒しを司るフレナンディアスの象徴でもありますし」
「ああ、なるほど」
 レティやグレリオくんの家にも何か伝わっているならば、そうすべきだろう。だが、格式の違いとなるとどの辺が違うのだろう。式自体がシンプルそうだから、そう変わらないと思うのだが、宴席の方にそれを求めるという事だろうか。うわ、肩凝りそう。
 ふ、と気付けば、控えるメイドさんは皆、年頃のお嬢さんばかりとあって、皆、興味津々の様子で耳がダンボ状態だ。
「ロイスは何か知っている? 例えば、素敵な式だったって聞いた事のある式がどんな風だったかとか」
「そうですね、私が聞いた事があるのは、従姉妹の式の話でしょうか。花嫁の衣装の見事さと列席者の中には、ハウザー伯爵様がおいでになられたとかで、お祝いの品も大層なものであったと聞きました」
 小首を傾げながらの答えがあった。
「ハウザー伯爵?」
「上流貴族のお一人です」
 疑問には、すぐにゲルダさんの解説がある。
「やはり、招待客との繋がりは後々まで影響されるものですか」
「はい、死に別れがない限りは、一生に一度の式典ではありますから、招待する方もされる方も、少なからず、特別の繋がりを持とうという意志あり、と見られますので」
「……そうですか」
 思っていたよりも、貴族同士の結びつきというのは、重要なものであるらしい。
 格式は列席者の名前に影響されるものらしい。あとは、細かい所作とかの問題だろう。間違っても、花嫁のガーターベルトを口に銜えて脱がす、なんて事はさせない方が良いよな。てか、やらんだろう。
「姫さまのお国の婚礼の儀式はどのようなものなのですか」
 サリーが好奇心を顔に浮かべて問う。
「私のところは、そうだねぇ、」
 はっきり言って、知らん。やった事ないしな。
「花嫁は白の民族衣装というのか、を着て、男性は黒に家紋の入った民族衣装を着るの。それで、神様の前で、誓いの印に盃に注がれたお酒を三度に分けて呑む、って感じかな」
「誓いの言葉はなく?」
「……そうだね。二人の代わりに、宮司……司祭さまが幸せになる様にお祈りと神様に報告するって感じ。私の国では、男女の結びつきは、神様があらかじめ決めた結果って事になっているから」
 だと思う。神無月に出雲に神様が集まるのは、それを決める為だと聞いた事がある。
「変わっていますね」
 釈然としない様子でサリーが言った。
「そうだね」
 答えた私も、改めて変な話だと思う。
「でも、神が決められた運命とも言えるのでしょう。素敵だわ」
 ロイスが言った。
「ああ、まあ、そうなのかもしれないけれど」
 とは言え、離婚率はあがっているし、やっぱり、運命やら神なんてものはないのだろうと思う。
 さて。
 他人の事ながら、気持ちが昂ぶるのを感じる。
 同じ企画をするにしても、戦略を考えていた時とは、また違う気持ちだ。何もしないと言いつつ、こうして引き受けてしまうのは、大事な友人の為。だが、こういう幸せに繋がる事を考える方が、やはり、精神衛生上でも良かったりする。良心が咎める事もないしな。
「ゲルダさん、婚礼の儀式の流れみたいなものが詳しく分かる本とかないですか」
「儀式全般について書き記した書物ならば、図書室にあると存じますが」
「借りられますか」
「係の者に訊いてみましょう」
「お願いします。暫くの間、貸して下さるようお願いしてみて下さい」
「畏まりました」
 私は頷いて応える。
 この世界と離れがたくなると分かっていても。この世界と隔絶されて生きる事になったとしても、きっと、私にとっても良い事に違いない。
 少なくとも現実逃避にはなる。自分のしてきた事を思い出すたび、後悔の沼をのたうち回る辛さを、一時的にでも忘れる事が出来る。肩に伸し掛かる死霊の重さを感じずにすむ。童話を書き出す事も方策のひとつではあったけれど、それでも、やはり、没頭するには足りない作業だ。
 おそらく、嫌でも、現実を直視しなければならない時は来るのだろう。そうせざるを得ない程、他にする事がない時はやって来るに違いない。それも近い内に。
 だから、私は、今、したい事をしよう。
 考える事を。
 好きな人達が幸せを感じられる方法を考えよう。

 その後、ゲルダさんが持ってきてくれた本は、とんでもなくぶ厚く重いもので、眩暈を起こしそうになった。充分に凶器になるだろう。と言っても、内容は婚礼に限らず、儀式全般について書かれているものなので、必要な部分はほんの十数頁だけだ。
 だが、滅法難しい文章で書かれている為に閉口した。勿体ぶった言い回しで、古典文学並みの難解さだ。読み解くのに、辞書が数冊必要だった。……こんな本、誰が読むっていうんだ。もっと、分かりやすいハウツー本はないのか。漫画でわかる結婚式の仕方、とかさ。
 当然、そんなものはあるわけはなく、一頁を読むのに半日費やした。この世界でこんなに勉強をしたのは、最初に言葉を覚えようとした時以来だ。
 それでも、先は遠い。脳みそはパンパンになりつつある。でも、挫けてもいられない。
 レティの為、グレリオくんの為だ。世話になった分、ルーディにしてあげられなかった事も含めて、少しでも返す事が出来れば良いと思う。
 とまれ、次の日も一日かかって数頁を読んだところ、儀式自体はシンプルであっても、それなりに細かい決まり事がある様だ。
 司祭に対してのお辞儀ひとつ取っても、数種類あるお辞儀のいくつかを使い分ける必要がある。或いは、『花婿は花嫁に対して必ず右手を差し出す』とか、『神殿に入る時は右足から』、とか。まるで、お茶席の様だ。いや、日本でもこんなものなのだろうか? 覚えられない事はないだろうが、面倒臭そうだ。
 それでも、読んでいる内に、幾つかアイデアは出てきた。実行できるかどうかは分からないが、一応、書き留めておく。
 そんな風に過して、ケリーさん曰くところの悪魔払いの日がやってきた。




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