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「面白い男だね」
 見送って、いたずらっ子の親玉である殿下はそう言うと、一言も喋らないでいる聖騎士に目を向けた。
「ギル、君もなにかしたらどうだい」
「私ですか。私はなにもお役に立てるような事は……」
 答えながら、ちらり、と私の顔色を伺うように見る。
 いいよ、いちいち訊かなくたって。好きにしろよ。
 私は素知らぬ顔で、お茶を飲んだ。
「聖地では魔を祓う儀式も伝わっていないのかい」
「は、そういうものもありますが」
「どんな事をするの?」
「状況によって少しずつ違いますが、ます、導師による聖典の詠唱が行われます」
「カルスティアの聖典は、たしかルクラスの書だったっけね」
「そうです」
「どの部分?」
「四章の第八節です」
「ああ、『明けの明星の沈まぬ狭間に』、だね」
「そうです。浄めの香を焚き、鐘の音を鳴らしながら巣くう魔を呼び出し、その上で聖典の八十二章第六節を読み上げます」
「八十二章六節……『豊饒なる地に流れし時の鐘が打ち鳴らされる時』、だっけね」
「いえ、『清き魂が沈まぬ太陽の如くある時、軍神オルファニアス天の軍勢を率いて』です」
「ああ、そうだった。『豊饒なる』は第二節だったか」
「はい。それを魔が降伏するまで繰り返し読み上げます」
 ……君ら、ひょっとして、なん十章あるとかいうそれを、全部、諳んじているのか? 凄いな。どういう記憶容量、持ってるんだよ? 吃驚だ。万国びっくり人間暗記王選手権上位入賞者かよ。
「それで終り?」
「いえ、魔が退散した後、百十三章第一節を詠唱し、神に感謝する聖歌の奏上を行って終了となります」
 そこまで聞いて、アストラーダ殿下は破顔した。
「いいね。君、それ、やりたまえよ」
「は?」
 三白眼が大きく見開かれた。
 にこにこしながら、殿下は言った。
「聖歌だけで良いから。歌えるのだろう? 私も聴いてみたい」
「は、しかし、私の様な未熟者ではお聞き苦しいばかりかと」
「いや、そうでもないだろう。良い声をしているし。それに、本物の儀式ではないから、練習のつもりで気楽にやれば良いよ」
 クスクス笑いながら、ね、と美麗な笑顔が私にも向けられる。
「キャスも聴いてみたいよね」
「ああ、まあ……」
 こちらの聖歌がどんなものかは分からないので、曖昧に返事をする。というか、その何も考えていません、と言わんばかりの笑顔が、逆に胡散臭い。
「ほら、彼女も聴きたいそうだよ。それに、これで君の株も少しはあげられるかもしれない。なんたって、これは彼女の為にする事なんだからね。功を奏せば、彼女も煩わしさから逃れもできるのだから、感謝もするだろう」
「は……」
 本当に悪魔払いが必要なのは殿下の方なんじゃないですか? ……ああ、いちいちこっち見るな。あからさまに狼狽えやがって。こちとら手一杯で、他人の事まで責任はもてん。
「ねえ、キャス。君からも感謝の言葉のひとつぐらいはあるだろう?」
 だが、その笑顔の持つ強制力は大したものだ。ああ、流石、王族だけあるなあ。
「感謝するかどうかは分かりませんが、聴いて好いものであれば、嬉しいですね」
 笑顔には、営業スマイルで応酬。
「ほら、ごらん。君も彼女に喜んで貰いたいよね」
 断定口調かよ……マジ、魔の司祭だ。言葉の剣使いというより、言葉のマッサージ師。ツボをぎゅうぎゅう押しながら、他人が痛気持ち良さに悶える姿を見て愉しんでやがる。
「は、では、お聞き苦しいかとも存じますが……」
 あっさり、陥落。ま、世間知らずな分、太刀打ちなんぞ出来ないだろう。いいえ、と言った所で、同じ答えに行き着くまでの手間が長引くだけだ。
「では、決まりだね。ケリー医師が戻ってきたら、早速、始めよう」
 上機嫌の愉快そうな笑みが言った。

 戻ってきた時、ケリーさんは薬品が入っているだろう瓶の他にもいろいろと抱えてきた。
「いや、こういうのは、わくわくするね」
 悪戯心を押さえきれない様子で言うと、早速、準備に取りかかる。
 取りだした擂鉢の中に入れた白い粉を、用意されたお湯で手早く溶く。と、粉はみるみる半透明のとろりとしたゲルに変わった。あれ?
「ケリーさん、それって」
「ああ、シュリアという植物の根だよ」
「食べられます?」
「ああ、大丈夫だよ」
 試しに舐めさせてもらった。味も匂いもないが、葛粉を溶かしたものに似ている。
「手に入りやすいものなんですか」
「そうだね、何処にでも生えている植物だからね。薬の調合などで用途範囲は広いから、重宝しているよ」
 よっしゃ! 今度、試しに葛湯を作ってみよう。
「これにこの薬品を混ぜると、ほら、血糊の出来上がりだ」
 ケリーさんは、得意げに言った。
 確かに見た目、本物の血液の様だ。それがゲルダさんから渡されたシーツの上にぶちまけられた。
「へえ、面白そうだね。私もやらせて貰って良いかな」
「どうぞ、どうぞ。ああ、お召し物を汚さないように気をつけて」
 アストラーダ殿下も準備に加わり、ふたりはすっかり童心に返った様子で薬品を調合し、科学と実験の初級講座みたいになり始めた。
 その横でウェンゼルさんが、私に言った。
「では、私はこの事をベルシオン卿に伝えて参ります。彼も何事かと驚くかもしれませんので」
「ああ、そうですね。お願いします」
 私の返答に頷き、ウェンゼルさんは部屋を退出していった。
 こういうところは、流石、気が利くなあ。
「貴方は平気なのですか」
 と、唐突にひとり所在なさげにしていたギリアムさんから問われた。




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