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「なにがですか」
「なにが、というか……これは、他人を騙す行為というのか、弄んでいるようにも私には思えるのですが」
「不愉快ですか」
 問い返せば、押し黙って僅かに俯く。
 私は言った。
「まあ、良いんじゃないですか。誰が損害を受けるわけでもなし。多少、城の備品が壊れますが」
「神は真実を見ておられます」
「前に言ったでしょう。私は神を信じていません。もし、いたとしてこれを咎められるというならば、あの世へ行ってから謝ります。でも、これは私がこれまでやってきた事に比べれば、些細なもんですよ」
 三十を超えていても、中身は中学生だな。
「良心が痛みませんか」
 思わず、鼻で笑う。
「いいえ。別に」
「何故ですか」
「貴方には、あの二人がどの様に見えますか」
 私は準備を進めるアストラーダ殿下とケリーさんを眺める。
 シーツは既に血糊やらなんだか分からない色に染まってぐちゃぐちゃだ。混ざったところは、特にエグイ色。そして、寝室から持ってきた枕も同じ様に染められている。それらを用意されたナイフで切り裂き始めていた。
「……楽しそうに見えます」
 ギリアムさんは眉根を寄せて答えた。
「私もそう思います。だから、良いんです。私を思ってくれて、私の好きな人達が楽しそうにしている、それだけで」
 私は言った。
「貴方は私を伝説の聖なる巫女にしたがっているみたいですけれど、そんな器じゃないんですよ。欠点だって一杯あるし、そう出来た人間でもない。今、目の前にあるものを守るのに精一杯です。せいぜい出来て、好きな人が喜んでいるのを喜んで、間違いを犯せば許す事ぐらいしか出来ません」
「……罪を許す」
「はい。そして、私も好きな誰かに許してもらうしかない。ただ、それだけです。神は関係ない。それ以外に誰の許しを得られるとも思っていません」
 出来るだけ多くの人に、賛同を得た方が良いのは分かっている。でも、全ての人に同じ答えを求めようなど、こどもの理想か独裁者思想だ。人はそれぞれ違う意見を持つ事で、良い面があるのだから。それに、許す、と言葉では簡単だが、実際、そうする事はこの上ない難事だ。それが出来る相手というのは、どんなに努力を払おうと、どうしても限られてしまう。その辺の懐の広さが凡人とそうでない者の分かれ目なのではないかな、と思う。
 理不尽は許されるものではない。許してはいけない。でも、罪はどこかで許されなければ、許さなければ、生きるに耐え難い……今はそう感じる。私の勝手な理屈なのかもしれないけれど。
 まあ、嫌いたきゃ勝手に嫌え、って事だ。進んで理解されようとも思わん。私を好きになってくれる、目の届く範囲で誠実である事ぐらいしか、今の私にはできん。その内、悟りが開けるかもしれんが、それまでは知らん!
 ギリアムさんはそれ以上、何かを問う事はなかった。でも、心なし、硬かった表情が柔らかくなった様な気がした。
「私からも、訊いていいですか。美香ちゃんの事で」
 どうしても、分からない事が一つあった。良い機会だから、訊いておこうと思う。
 すると、声にもならない様子で、すごく驚いた顔をされた。
「彼女を聖地で保護するという話はなかったんでしょうか」
 美香ちゃんと会った時、私は聖地の存在を知らなかった。でも、聖地ならば、彼女ひとりぐらいなら、匿う事が出来たんじゃないかと思う。そのまま、子を産んで育てる事も出来たかもしれない。しかし、そうしなかった事が、疑問だった。
 聖騎士はすぐに答えることはなく、間があいた。でも、それは答えを考える為ではなく、私から質問があった事に驚いて、だったようだ。
「……確かに、その話は何度か出ました。ですが、ミカさま御自身が拒まれました」
 答えながら瞳が伏せられ、眉根が寄せられた。
「拒んだ? 何故?」
「ジェシュリア王子がまだ生きておられる頃は、傍を離れたくないという理由で。王子が亡くなられた後は、体調も精神状態も不安定な御様子で、とても追われながらの長旅に耐えられる状態ではなかったからです。下手をすれば、母子共に危険であろうと、大聖女をはじめとする神殿の方々もおっしゃられて、それで」
「……そうなの」
「しかし、例え、無事に聖地に辿りつけたとしても、どうなっていたか……長老が、ミカさまを受け入れられたかどうかまでは」
「それは、政治的な理由で?」
「……軍に攻められても、ミカさまをお守りしようとする選択をされるかどうかまでは、私には分かりかねます」
 可能性が低い事を示唆するように聞こえた。
「そっか。そうだよね」
 聖地の存在も把握していた殿下が、見付からない美香ちゃんを追って、いずれは聖地まで追究の手を伸ばすだろう事は想像に難くない。聖地にしても、たとえ、どんな宗教的信念があろうとも、一国の軍勢相手に戦う気構えを見せるかどうかは不明だ。抵抗したところで、女こどももいるだろうし、戦い慣れていない人々の方が多いだろうから、先は見えている。それに、不可侵状態を維持し続けている体質からも、事を荒立てる判断を避ける可能性は高いと思う。
 天草四郎みたいな話もあるが、あれは特殊だろう。今のところ弾圧を受けているわけでもない聖地にとっては、信仰を守るにしても過激さは内部分裂を引き起こしかねない。それよりも、博愛の精神を表に出しての現状維持に傾くのは、当然の判断と言えるだろう。
 つまり、確証もなく、聖なる巫女の持つ奇跡の力に全面的に頼るほど強くはないし、愚かではないという事だ。大神殿の大聖女がそうであった様に。
「貴方を美香ちゃんの護衛に差し向けた取り引き内容ってなんだったんですか」
 それにも、詳しくは、と言い淀む答えがあった。
「私の推察でしかありませんが、おそらく、聖地は、戦になった際には、聖騎士らの徴兵を含む、国からの一切の要請に応じない旨を申し入れたのではないかと」
「ああ、でも、それって、故国を見捨てるって事にならない?」
「聖地としては、です。個人的に応じようとする者を引き留めるものではありません」
「ああ、そういう事ですか」
「聖地にはファーデルシアの民ばかりでなく、ソメリア、グスカ、ランデルバイアの出身の者もおりますから」
「へえ、そうなんですか。それだったら、それも頷けますね」
 ふうん、そこだけ国際化しているんだな。コミュニティというべきか。まあ、宗教って本来、そういうものであるのだろうけれど、或意味、進んでいる気もする。
「お陰ですっきりした。ありがとう」
 聖騎士に礼を言うと、黙って頭が下げられた。
「じゃあ、始めようか」
 アストラーダ殿下の呼びかけに、私は仲間に加わる。
「まず、なにからいきます?」
「そうだね。水差しからいこうか」
 浮かぶは、コウモリの羽根をもつ天使の微笑み。
「ああ、それは私に投げさせてくれ」
 医師の顔の裏側には、小鬼が棲んでいる。
「では、キャスは枕が良いかな。私はシーツか……投げにくそうではあるが」
「シーツは最後にしましょうよ。火は私がつけてあげます。ライターあるし」
 到底、祓えない魔女が私の中にいる。
「そこにあるものは全部、投げても良いそうだ。その皿なんかどうですか」
「ああ、これは良さそうだね。じゃあ、私はこれからいこう」
「殿下は、聖典の一章でも諳んじて下さらないんですか」
「それは、是非、聞きたいですね」
「やっても良いけれど、退屈なものだよ」
 良い年をした大人三人が投げる物を手に持ち、こどもみたいに笑う。
「ギリアム君だっけ? 君はやらないのかい」
「こっち来て、君もやり給え。これも社会勉強だよ。ほら、おいで」
「いえ、私は」
「今更、ひとりだけ良い子ぶるのは、ずるいぞ」
「そうだ、そうだ! 狡いぞ! やりなさい。やれ!」
「……君は、ギル相手だと口調が変わるね」
 ほとんど酔っ払い同然ではしゃぐ。
「それでは、始めようか」
 アストラーダ殿下の開始の言葉に、

 ロックン・ロール!

 アメリカ人らしく、手を鳴らす様にケリーさんが叫んだ。
 水差しが中の水を撒き散らしながら弧を描いて、青空に向かって飛んでいった。




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