-44-
無事、ジェシュリア王子の呪いは解かれた。
備品の軽微な損害と、風にあおられ、思いがけず遠くまで飛んだ燃えたシーツが起こしたボヤ騒ぎと引き換えに。
……火事にならなくて良かった。あれには、流石に焦った。だが、まあ、庭の植木を少し焼き焦がした程度ですんだとの事。待機していたランディさん達がすぐに消し止めてくれたそうだ。よかった、よかった。
細やかに行われたパーティに、ケリーさんとアストラーダ殿下は大満足の様子。すっかり、意気投合して、『ジョン』と『クラウス殿下』と呼び合う仲になった。
ノリの悪い聖騎士だけが、最後まで釈然としない様子ではあったが、それでも殿下に促されて歌った聖歌は、意外なほどに良かった。
ちょっと感動したぐらいだ。誰でもひとつぐらいは芸があるものだな。少し見直した。あれ、レティの結婚式の時に使えないかな?
ひとり、ゲルダさんだけが、己に与えられた仕事を淡々とこなし、良いとも悪いともつかない無表情を貫き通したところも凄いと思った。
よっ、仕事人! 侍女の鑑!
そして、次の日。
見舞いと称して部屋を訪れたエスクラシオ殿下と、久々の対面となった。
殿下は、相も変わらず男前な顔をむっつりとさせて言った。
「体調は良くなった様だな」
「……お陰様で」
表情を見る限り、見舞い客らしくない。戦場にいた時の方がマシなくらい。
「昨日の件については、兄上から詳細を聞いている。おまえに咎がないよう、陛下にも伝えられているそうだ」
「はあ、」
そこで会話が途切れた。
ええと……なんだ、この妙な空気は。ひょっとして、何か怒ってる? でも、何を?
心なしか、控えているメイドさん達の雰囲気も硬い。こっちも何か怒っている様だ。
なんで、こんなに、皆して機嫌が悪いんだ? 私、なんかしたか?
「あのう」
濁った空気の壁をそっと押す様に訊ねてみた。
「何を怒ってらっしゃるんですか」
すると、
「怒ってなどいない」
と、よりムッとした返事があった。
……怒ってるじゃんかよう。
「……おまえの処遇に関しては、未だ結論が出ない。今暫くは、ここで現状維持だ」
「という事は、みだりに部屋から出てはいけないと」
「そうだ」
「アストラーダ殿下の所へお茶をしにいくのも駄目ですか」
「そうだ」
ちぇっ。
「途中経過としてのお話は」
「ない」
「どういう方向性で考えているとかも?」
「ない」
「……そうですか」
取りつくしまもない。怒っているにしても、原因が分からなければどうしようもない。たとえその原因が私にあるとしても、私に話すべきものではないらしい。とは言え、私に関係のない理由かもしれないけれど。ま、いいや放っておこう。
「あのう、それで、それに付随して、お願いがひとつ増えたんですが」
殿下が籠った怒りの切れっ端を吐き出す様に、小さく嘆息した。
「なんだ」
「どういう結論であれ、銀華月の三日に向けて、色々とするお許し頂きたいのですが」
「何をする」
「結婚式の準備です、グレリオくんとレティの。式の内容を考える手伝いを頼まれたので。私も二人には世話になったので、そのお返しを兼ねてやりたいのですが」
すると、ああ、と思い出したような返事があった。
「ユードムント家とベルシオン家のか」
「はい。出席までは望みませんので、その前準備の手伝いだけでも」
「それは、構うまい。ただし、あまり派手に動くな」
「昨日みたいな事はもうありません。ただ、幾つか調べる事もありますし、それにより多少、人の出入りもあるかもしれませんから、一応、御許可を得た方が良いかと思いまして」
「ならば、良い」
殿下は頷いた。
「だが、現状、おまえが関っているというだけで、ろくな話にはならん事を覚えておけ。大人しくしている事だ」
失礼な言い方だな。
しかし、その言い方は、なにやら面倒臭そうな話が持ち上がっている匂いを感じる。怒っているのはそのせいか。でも、メイドさん達まで何故、怒ってるんだ?
「ひょっとして、昨日の事でまた何かあったんですか」
「おまえが気にする事は何もない」
……あったんだな。
「何があったんですか」
「知る必要はない」
殿下はきっぱりとした命令口調で、再度、私に言った。
「兎に角、現状維持だ」
……へえい。
本当に愛想のない男だ。チャリオットの話は、当分、聞けそうにないな。残念。
殿下が帰って後、ゲルダさんにメイドさん達の機嫌の悪い理由をそれとなく訊いてみた。すると、
「お気を悪くされたのでしたら、申し訳ございません。私の方からも注意しておきます」
「いや、気を悪くしたわけじゃないんですが、どうしてかな、と。私になにか行き届かない点でもあったのかと」
「タカハラ様がお気にかける事ではございません」
「はあ」
何かあるみたいなのだが、『断固、黙秘』、とその顔に書いてある。まあ、そう簡単に口を割る様では、この仕事も務まらないのだろうが。
それにしても、どっちもこっちも壁が厚い。
しかし、所詮は噂だ。何も起らなければ、皆もその内に飽きて、話があった事すら忘れるだろう。それこそ、既に私は『白髪の魔女』ではなくなった事になったのだ。この噂が浸透した上で処遇が決定されれば、落ち着きもするに違いない。
私が出しゃばる事は何もない。
さ、それよりも、レティの結婚式のプランを練ろう。