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「はい、お陰様で。身に余るほどの手厚い看護を受けまして、復調致しました」
 舌をもつれさせず、なんとか答える。人目のある所でこういうのは心臓に悪い。しかし、陛下は悠然たる様子で、
「そうか。ならば、良かった。先の戦での目覚しき働き、吾の耳にも届いておる。大義であった。だが、それが仇となり、ファーデルシアの呪いを一身に受けさせる事になってしまったと聞く。呪いは解けた様ではあるが、直ぐに命を狙われては女の身にはさぞかし頼りなく、心細い思いをしたであろう。しかし、不届きを行った者には、必ず、相応の仕置きを受けさせる事を約束しよう。安心するがよい」
 なんだ? どういう事だ?
 アストリアスさんの時と違う態度は、容疑者の詳細を知らないためなのか、逆に知っていての確約なのか。どっちだ?
「勿体なきお言葉いたみ入ります。陛下の重ねての御厚意とお気遣いには感謝の言葉もございません」
「なに、気にする事はない。ロクサンドリアもガーネリアの血をひく者として、そなたには一度、直接、礼を言いたいと申しておった。その内、呼びだす事もあろうが、応じてやってくれ」
「はい、私も女王陛下よりのお心尽くしには、お礼を申し上げたいと思っておりました。お呼び戴けるのでしたら光栄にも、いつなりとも馳せ参じさせて戴きます」
「うん、だが、今暫くは、心身ともに癒すが良かろう。秘したる野バラであっても、花を咲かせる以前に萎れてしまっては、如何にも憐れ。棘《とげ》を尖らせるばかりでは、哀しくあろう」
 お得意の気障な言い回し。しかし、それが妙に似合うところが、陛下の不思議さだ。
「……そのような例えは、面映ゆう御座います。エスクラシオ大公殿下がお聞きになれば、さぞかしお笑いになる事でしょう。殿下がおっしゃられるには、同じ棘を持つでも、私はそこら中をうろついては騒ぎを起こす猫であるそうですから」
「斯様な事も申しておったな。バラの棘を持つ猫か。それも面白い。その爪は、愛でたがる者の手を片端から引っ掻くか」
 くくっ、と陛下の咽喉が鳴った。
「しかし、例えるにしてもあれの無粋さは、年々どころか、日々、輪をかけて酷くなっていくようだ。折角のそちの教えも、その点については戦場に置き忘れてしまった様だ、なあ、フィディリアス公」
 ……え?
「は、いえ、一重に私めの不足によるもの。殿下にはお詫びのしようもなく、この年になっても我が身の至らなさを痛感するばかりで御座います」
「なんの。そなたの教育係としての務めは、充分に果たされたものであろう。だからこそ、あれも一人前に軍を率いては、国の為に良き働きを残せる者になった。ただ、あれにその辺の素養が欠けていたというだけの事であろう。武門に身を置く者にはよくある事だ。そちが気にする事はない」
「お気遣い畏れ多く。されど、大公殿下におかれましては、元より、全てにおいて優れた素質をお持ちであられた方。私に出来た事と言えば、行く先を指し示す程度の事しかなく、及ばぬ面も多々ございましたでしょう」
「例えそうであったとしても、上出来には違いあるまい。あのやんちゃ者が、今は斯様な素振りを露ほどもみせず、いっぱしの顔をして人前に立っているのだからな」
 はは、と快活な笑い声が立った。
「畏れ入りまして御座います」
「それに、完璧すぎても面白みに欠ける。少々、欠けたところがあった方が、人として良き面もあろうよ。人近くにあって丹精込めて育てられたバラは美しいに違いないが、野に育つバラにも、また違った趣があるのと同様に」
「陛下の御炯眼には、このモーディン・フィディリアス、感服するばかりに御座います」
 頭を下げている為に、フィディリアス公爵の足下しか見る事が出来ないが、会話を聞いている分には、想像していたイメージとズレを感じた。陛下の前だからかもしれないが、声音からしても、尖った硬い感じはない。もっと隙のない、一ミリも遊び部分のない人かと思っていた。へりくだった口調であっても嫌みはなく、高飛車な感じもない。しかし、それすらも、完璧主義者がなせるものであるかもしれないけれど。
「しかし、花の棘の如き爪を持つ猫であろうとも、より鋭き棘《いばら》に飛び込めば、その身を裂かれる事もあろう。気をつける事だ」
 この例えは何を指すのか。単に、大人しくしていろという事か?
「……はい、御心配かたじけなく」
「うん、では、ランディ・ベルシオン、グレリオ・ユーデリヒト、花の蕾を落す事のなきよう、しかと守れ」
「はっ」
「はっ」
 ……相変わらず、分からない人だ。掴み所がないと言うのか。
 行き過ぎる足音を聞いて、頭をあげる。そして、その後ろ姿を見送った。
 問題のフィディリアス公爵は、殆ど、顔を見る事も出来なかったが、口ひげを生やしていたと思う。コランティーヌ妃がそうである様に銀髪だが、灰色に近い妃のそれよりも銀。タングステンの銀だ。癖毛なのかウエーブのかかった髪を短く整え、年齢のわりにはすらりとして、陛下とそう変わらないほどに背が高い。後ろ姿だけでも、ナイスミドルという感じがする。
 これだけでは分からないが、私の中で容疑者という印象が、若干、薄れた感じがする。それに、陛下の発言。もし、容疑者を知っていて処罰を確約したのならば、本人の前でそんな事を言う筈もないから、公爵は犯人ではないだろう。もし知らずに言ったものでも、公爵の態度に狼狽えた様子はなかった……単純すぎるか、私?
「まさか、こんな所で陛下にお会いするなんて」
 私の言葉に、本当に、とグレリオくんも僅かに頬を紅潮させて頷く。
「直接、お言葉を戴けるとは思いませんでした。しかも、私如きの名まで御存知とは。緊張しました」
「フィディリアス公爵まで御一緒だったしね」
 ランディさんも、吐息交じりに言う。
「でも、少々、お疲れ気味の様ではあったな。以前、お姿を見た時よりも元気がなかった様に感じた」
 そうだったのか?
「例の進退問題について、話し合われたのでしょうか」
 私の問いに、「そうかもしれないね」、と答えがある。
「でも、たとえ違う話ではあっても、我々には関係ない話ではあるけれどね」
「そうですね」
 ……そうとは言い切れないかもしれない。だが、『犯人に仕置きを与える』という陛下の言葉と、その後の公爵との懇意な関係を示す会話は、公爵が犯人でないと確信している様に思える。
 やはり、私の考えすぎか。
 素知らぬ顔で私は頷いて、また歩き始めた。




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