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 神殿に到着した時、扉は開いていた。
 そのまま中へ歩を進めると、祭壇の前に膝をついて祈る聖騎士の姿がひとり、ぽつん、とあった。
 私達のほかに誰もいない、広々とした円形の空間で、低い祈りの言葉が滔々と流れ聞こえてくる。
 私達の気配に気付いた様子もない。
 何を祈っているのかよく分からないが、熱心な様子に、邪魔をしても悪かろうと、きりがつくまで声をかけるのは止めにする。待つ間、神殿内部を眺めて過す事にした。
 これまで何度もこの神殿に入る機会はあったにも関らず、いつも素通りしていた。控室に直行。ま、お茶菓子の方が、それだけ魅力的だったって事だ。
 しかし、こうして眺めてみると、もう少し早く見に来れば良かったと思った。
 白い石造りの壁に、ドーム型の高い天井。
 高い位置に設けられた窓も大きく取られ、入る外光も柔らかく反射して、堂内全体を照らしている。
 南突き当たりに祭壇が設けられ、中央に、顎を軽くあげて天を仰ぎ、右手の二本の指でさすタイロン神の石像が配置されている。左手は胸元まであがった右肘を支え、右足が半歩だけ引かれている。幾筋もの衣の皴が滑らかに床に落ち、繊細ながら動きのある立像だ。
 これまでも何体か見た事はあったが、男性的な力強い印象のものが多く、この様に女性的で動きを感じさせる像は珍しい。
 そして、珍しいのはそれだけでなく、私の胸ぐらいの高さから、堂内の壁に刳り貫いた様なへこみ部分が七つあって、それぞれに七体の像が飾られている事だ。
 像は一体として同じものはなく、それぞれ身に着ける衣装も手に持つ道具も違っている。顔の造りも一体ごとに個性がある。
「この周囲にある像はなんですか」
「大神タイロンに仕える使い神です」
 問えば、グレリオくんが答えた。
「使い神?」
 初めて聞く単語だ。
「タイロン神の分身である神たちだね。それぞれの司る力を持ち、大神タイロンの使いとなって、人々を導く神たちさ」
 と、ランディさんから説明があった。
「ええと、元はタイロン神の一部だったんですか。便宜上、分かれて、個別化したって事ですか」
「そうだね」
 ……アメーバーみたいだな。プラナリアとか。
「たとえば、これ。何の神だと思う?」
「これですか?」
 目の前にある像は、右斜め下を向き、右手に剣、左手には楯を持って、頭には兜を被っている。分かりやすい。
「戦いの神ですか」
「そう。軍神オルファニアス。戦の最中にこの像は、勝利や大事な人が無事に戻る事を祈って、捧げる花や供物に埋もれるんだそうだよ」
「へえ」
 歩いて次の像の前に移る。
 この像は軽く持ち上げた左手の上に瓶を載せ、胸元の右手には植物の枝。頭にはベールみたいな布を被っていた。
「これは?」
「健康と癒しの神、フレナンディアスです」
 グレリオくんが教えてくれる。
「ああ、手にしているのは、薬瓶なんだね」
「そうです。もう片方の手に持っているのは、クラムの小枝です」
「あ、それ聞いた事がある。凄く生命力の強い樹なんだってね」
「ええ。根や樹液など、薬にもされる樹なんです」
 ふうん、薬師如来みたいなもんか。そうやって見ると、面白い。
「あの像は? あれだけ前に、花やら色んなものがお供えしてありますけれど」
 一体の像の前にだけ、台座が隠れるほどに、花や中に何かが入れられた巾着袋や、金鎖の首飾りなどが置かれていた。
「なんだと思う」
 悪戯っぽい笑みを浮かべて、ランディさんに問われた。
「ええ、なんだろ」
 女性神らしい優しい顔立ちで微笑んでいる。長くうねる長い髪に花の冠を被り、掲げる右手には、洋梨に似た丸い果実。周囲を羽衣のような水の流れが立体的に取り巻き、羽根の生えた魚みたいなのもついている。トビウオか?……よくわからん。芸がなさそうな神様だ。
「水の神様ですかね」
 あてずっぽうで答えると、「はずれ」、と期待していたとばかりに、即答があった。
「女性に最も人気があって、今のグレリオにも関係する神様だよ」
 グレリオくん?
 その当人は、照れた様にそっぽを向いている。
「結婚の神様……てなわけないですよね」
 私の言葉に、ランディさんが口の中で笑った。すると、
「愛の神、サルンディーナです。聖なる黒髪の巫女も、この神の力が籠められたカルリアの実を口にした事から、聖なる存在としての力を得たと伝わります」
 背後から、響きの良い声が聞こえた。
 振り返ると、ギリアムさんが立っていた。祈りは終ったらしい。
「よもや、ここでお会いできるとは。出歩いても宜しいのですか」
「ええ。ちょっと、ギリアムさんにお訊きしたい事があって来たんですけれど」
「私に?」
「はい」
 と、頷いた途端、聖騎士の顔がとても驚いた表情になった。飛びつかんばかりに、一気に距離が縮まった。三白眼が目の前に……おい、近すぎるって! 顔が怖いぞう。
 ランディさんが慌てて、私を引っ張って引き離した。
「なんなりとお訊ね下さい。私に答えられる事でしたら、身命を賭して精一杯お答え致します!」
「いや、そんな力むほどの質問じゃないんで」
 なんだ、この燃え方は。遠赤外線ヒーター並みの熱照射だ。エコ仕様にない旧式タイプで、温室効果ガスをガンガン排出しまくっている。
 冬場ならばまだしも、今の季節は鬱陶しいばかりだ。暑苦しい。息苦しい。寄るな。うぜぇ。二酸化炭素排出規制で取り締まるぞ!
 ずい、と近付こうとするその前に、ランディさんを楯に出して私は言った。
「ただ、聖域での婚礼の儀式って、どんなものか教えて欲しいだけですから」
「婚礼ッ!?」
 興奮した大声が神殿内に響き渡った。
「契りを結ばれるのですかっ!? 何れの御方と!?」
「いや、私じゃなくて、」
「あの噂は真だったのですね!? ディオクレシアス殿下と御婚約なさるという!」
「違うッ!!」
 私は、力一杯に否定した。だが、声のでかさで負ける。
「ギリアムくん、そうではなくて、ここにいるグレリオの」
 見兼ねてランディさんが助け船に入ってくれるが、
「なんたる僥倖! なんという喜び! 聖地を離れ、一度ならず我が運命を呪いし身が、よもや斯様な慶事に立ち合える日がこようとは! この巡り合わせを与え給うた神に祝福あれ!」
 ……そうだった。こいつはそういうやつだった。他人の話をちーっとも聞きやがらねえ、パルプンテ野郎だった。あー、久し振りに腹立つわ。
「黙らっしゃい、このスカポンタン!!」
 すかぽんたん、と呟くグレリオくんの頭上には、大きなはてなマークが揺れている。おい、君も加勢せんかい!
「ああ、その時の様子が目に浮かぶ様だ。神に選ばれしお二方にシャスラムの光の御恵みは惜しみなく降り注がれ輝かんばかりであろう。知恵を運ぶカルマンドスの鳥は声高らかに聖なる調べを響かせ、フレナンディアスはクラムの枝を青々と繁らせ、長きにわたる繁栄を約束するに違いない。そして、サルンディーナの果実は、泉のごとき湧き出づる愛という名の果汁を滴らせて、御身に宿せし給うだろう。ああ、なんという歓喜! なんという慶び! 今にも神々よりの祝福の歌声が聞こえてきそうだ!」
 ……すっかりあっちの世界に行っちゃってるよ。妄想爆走族。もう、なに言っているか分からん。自分でも分かってないんじゃねぇだろうか。夜露死苦なんちゃって、ああ、うぜえ。殴って良いですかあ?
「ウサギちゃん! 駄目だよ、こんな所で靴を脱ぐなんて! はしたない!」
 片足のハイヒールを脱ぎかけた私をランディさんが止めた。……突っ込み所は、そこかい!
「不肖、このギリアム・ルイード、御身の幸せを心より願う者にて、この身を投げ打って御仕えする所存に御座います。さすれば、是非、その末席に御加え頂けますよう心より御願い奉り、」
「ウサギちゃん!」
「キャス!」
 思いきりその下腹部に蹴りをいれてやった。一瞬だったが、ヒールがピンポイントでめりこむ手応えを感じた。
 聖騎士は呻き、下っ腹を両手で押さえて床に蹲った。浅い息を繰返し、かなり苦しそうだ。
 あああああああ、とグレリオくんが、同情する様に長い声をあげた。
「ちったあ、人の言う事を聞きやがれっ!」
 私は静かになった男を見下して言った。
「勝手に妄想話を作って、べらべらと。的外れな事を言って、ひとり悦にいってんじゃないですよ。こっちとしちゃあ、単に質問に答えてくれりゃあいいんです。貴方の身なんぞ投げ打ってなぞいりません」
「し、しかし、」
「余計な事は考えずに、訊かれた事だけに答えてくれりゃいいんです」
 ランディさんから、「ウサギちゃん」、と小声で呼びかけがあった。だが、私はかまわず質問を続けた。
「聖地の婚礼の儀式の仕方ってどうするものなんですか。私は、それをお訊きしたいだけなんです」
「ウサギちゃん」
 肘が軽く引っ張られた。……なんだよう。
 私はランディさんを振り返った。
 振り返って、固まった。息が止まるかと思うほど驚いた。そして、次に背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
 ランディさんのその向こうにある、扉近くに立つその人が目に入ったから。
 作り物かと思うような、完成された美貌。騎士の憧れ。姫の中の姫。コランティーヌ妃がそこにいた。
 ……ええと、いつからそこにおいでに?
 愚問だろう。
 その顔色は紙のように白く、血の気が失せていた。ぴくり、とも、瞬きひとつせず私を凝視して、人形のように立ち竦んでいる。

 ……うわちゃーっ! やってもうた。




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