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「しかし、そちの場合、相手が定まったとしても、公に出来ぬ事が残念ではあるな」
王妃様の言葉に、私は首を横に振った。
「私は、ここにこうしていられるだけでも充分です」
そう。一度は死を望んで、或いは、一人で幽閉される事も覚悟していたのだから。今、こうして空の下で、好きな人達に囲まれている事が奇跡の様にも感じる。
「君のそういうところが良いところであり、残念なところでもあるね」
アストラーダ殿下が言った。
「残念、ですか」
「そう。お陰で、もっと甘やかそうとしたところで、逆に嫌がられてしまうからね」
「そうですか? そんな事はないと思いますけれど」
「でも、君の性格だと、絶対に裏があると思うだろ?」
「ああ……それはあるかも」
「だからさ」
皆が笑った。
エスクラシオ殿下が言った。
「これを思い通りにしようと思う事自体、間違っている。無理だな」
「ほう、それは、経験からのお言葉ですか」
スレイヴさんが、にやつきながら訊ねる。
と、そうだな、と頷いた。
「これが下にいる時は、常に己の器量を試されている気がしたものだ。如何様に扱おうとも、指の間を擦り抜けるかの如く逃げ出すし、機嫌良くしていると思っていても、別のところでは、何を考えているのか分からない。危険から遠ざけようとしても、気がつけば、別の危険の中に飛び込んでいたりもする。常にこちらの意を汲んでのち、更にその先を読もうとしている節が感じられ、正直、腹が立ちもする。しかし、だからこそ、傍に置いていても退屈する事はなかった。そういう意味に於て、類稀なる者には違いないだろう」
今日の空の色を映した瞳が、私を見た。ほんの微かな笑みが、その上を掠めて見えた。
なんというか、褒め言葉にはなっていない気がする。
「刺激的、という事ですか」
スレイヴさんの言葉に、
「いや、それとも違うな」、とエスクラシオ殿下は被りを振った。
「ただ、これを満足させたいのであれば、合わさせるのではなく、合わせてやる他ないであろうな」
……それって、私が、すんげー我儘、って言っている様に聞こえるんですが?
アストラーダ殿下がくすくすと笑い声をたてた。
「それこそが難しいよね。そうなってくると、キャスが誰を選ぶのか、それとも、誰も選ばないのか、興味が湧くね」
「どうなのだ」、と王妃様から微笑みながら問われる。
「そう言われましても……」
正直に言えば、この場にいる人達は皆、魅力的だ。
ランディさんもスレイヴさんも、恋人だったら大切にして貰えるだろうし、毎日が愉しいだろう。でも、旦那さんにするなら、ウェンゼルさんが良いな、と思う。ふられちゃったけれど。きっと、何があっても、面倒みて貰えそうだから。きっと、現実的に、一番、必要なところで助けてくれそうだから。陛下は……論外。好き嫌いは別にして、女王陛下と気まずくなりたくないからな。
でも、なんとなく、それでも落ち着かない気になるのは、空の色の瞳を持つ人が、どうしても目に入ってくるから。
私の本当の名前を呼ぶ、唯一の人。
あれ以来、一度も呼んで貰ってはいないが、また、その声で呼んでくれないかな、と会えばいつも何処かで期待している。
私の立場が変わったせいで、同じフロアにいても滅多に顔を合わせなくなってしまったけれど、こうして偶に顔を合わせても、以前の様な錆びた味が口に溜る事はなくなった。その代わり、鐘の下で泣いている私を抱き締めてくれた、温もりと強さが蘇る気分を味わう。
これを恋と呼ぶのか、というと、少し違う気がする。
たとえば、温もりを求めて飼い主の膝に乗りたがる猫の気分とはこんな感じかな、と想像したりする。
向こうも私に対して、何か思うところは感じるのだが、やはり、それも、手慰みに猫をかまうそれに似ている気がする。
私の事をどう思っているなんて死んでも口にしなさそうだし、コランティーヌ妃の事を思えば、自分でもよく分かっていないのかもしれない。私と同じように。
そこに情が動いているのは確かなのだが、およそ、人同士の感情とはズレた、なんだかとても変な感じだ。
ずっと、このままなのか。それとも、いつか、ちゃんと人同士が対するそれに変わっていったりするのだろうか?
よく分からない。
うーん……
首を傾げながら、秋晴れの空を眺める。
高く澄みきって、どこまでも続く空。
そこには歪みもなにも見えない。落ちてくる気配は何処にもない。
それに、私は安心する。
「次の季節を迎えれば、また気持ちも変わって来ような」
王妃様は言った。
「ランデルバイアの冬は長い。雪に埋もれ、厳しい寒さが続く。その中ではさして何もする事もなく、時間だけはたっぷりとあるからな。温もりが恋しくもなろうよ」
その言葉に周囲を見回せば、皆が、私を見て微笑んでいた。
……私が答えを出したのは、もう少し経ってから。その国で初めて迎えた季節のことだった。