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そして。
それから、長い年月が過ぎた。
私は同じ場所で、同じ空の色を見上げている。
私の手は皴を多くし、すっかりと老け込んだ。足も一歩すすむにも難儀するようになり、時々、節々の痛みに襲われたりもする。今や車椅子生活も慣れたものだ。
本を読もうにも字が霞んで、長くは眺めていられず、誰かに声を出して読んで貰うのが常になった。しかし、その声も時々、よく聞こえなかったりする。
物忘れも酷くなった。昔の事ばかりはっきりと思い出せるのが、嫌になる。
唯一、変わらないのは、髪の色だけだ。
私は老いた。おばあちゃんと呼ばれる年になった。……でも、まだ生きている。
あの時、私を囲んでいた人達は、誰もいなくなってしまったにも関らず。
私を守ると言ってくれたあの人も、優しかったあの人も、一緒に笑ったあの人も、父親の様だったあの人も、時折、厳しかったあの人も。可愛らしかったあの人も、そして、この空と同じ瞳の色を持つあの人も。皆、私を置いて、先に行ってしまった。
戦で命を落したり、病に倒れた人もいた。静かに眠るように逝った人も。
私はその度に見送っては、涙した。
まったく、男どもときたら、勝手なものだ。
あれほど、私をひとりにしないと言っていたにも関らず、このありさまだ。嘘吐きめッ!
……でも、仕方ないのだろう。なんたって、私は向こうの世界でも有数の長寿国で生まれ育ったのだから。この世界に生きた彼等とは根本的に寿命が違うから。
それに、彼等も、彼等の代わりとなる者を私に残していってくれたのだから、まったくの嘘というわけではない。
あれからも、色々な事があった。
怪我をして痛い思いをした事なんて、数えきれないほどある。死にそうになった事も。ギネスブックがあれば、世界で一番、死にかけた回数が多い人間として認定されるんじゃないかと思う。
まったく、酷い人生だ。こんな酷い人生は、そうないんじゃないかと思う。
それでも、こんな年になるまで生き残ったのは、彼等がいてくれたお陰だ。彼等のお陰で、私はここまで生きて来られた。そして、今、思い返してみれば、不思議にも、そう悪い人生ではなかったと思える。
結局、無難さとは程遠い、半分以上、ヤケクソで生きていた様なものだったけれど。
何度も失敗した。間違いも犯した。辛い事や哀しい事もいっぱい経験して、いっぱい泣きもした。が、それと同じだけ喜びも得た。同じ数だけ笑いもした。
充実していたとも言えるだろう。時々、元いた世界にいたならばどうなっていたかと思い返しもするが、こんな気持ちになれたかどうかは疑問だ。
この世界が、来た頃に比べて、少しはマシになったのかどうかは分からない。未だ、正義だ、誇りだ、と言っては、どこかしらで戦争や紛争を続けている。まったく、人間てのは懲りない生き物だ。
でも、それも、もうすぐ、おしまい。振り上げた拳を収める時だ。
私は犯した罪に、すこしは贖うことが出来ただろうか?
すこしは、何かを返すことが出来ただろうか?
この世界に。私を生かしてくれたこの世界の人達に。
ひとり静かに空を見上げる。
青い空。
澄みきった、どこまでも高く上っていけるような空。
あの日、見たような歪みはどこにもない。
静かだ。とっても、静か。
苦しみも、辛さもない。
楽なぐらい。
とても、良い気分。
ふ、と私を呼ぶ声が聞こえた気がした。
懐かしい声だ。
遠くから、呼んでいる。笑い声も聞こえる。
私は目を閉じた。
その声を、もっと、はっきりと聞く為に。
……それが、私の最期だ。