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 さて。

 私の話は、本来ここまでなんだが、ここからは余談だ。蛇足とも言う。
 登場人物はふたり。まだ十代の男の子と女の子。
 私は彼等の事は知らない。会った事もない。
 そして、彼等も私の事を知らない。
 当然だ。
 私が死んで、約三百年後の話なのだから。



 長い時を経ても、そこに残るものはある。
 時を重ねたラシエマンシィは、更に風格を増した佇まいで、私が暮していた同じ場所に建っている。あちらこちらに改修された跡は残るが、金色に輝くドームや、荘厳さと上品さを併せ持つ独特の雰囲気は変わらない。
 そして、その西棟二階。
 私もよく利用した図書室は蔵書の数を増やし、ランデルバイアの知識の宝庫として、今も利用され役立っている。
 その隅の窓際で、持ち出してきた本を周囲に山の様に積み上げて読みふけっている少年が一人。
 年の頃は、十代半ばぐらい。赤い髪に、幾分、柔らかさを残す整った顔立ちに並ぶふたつの瞳の色は、澄んだ水の色をしている。
 黒に銀の刺繍を施した、豪奢な騎士服に身を包んでいるが、高い身分を示すそれにも関らず床に座り込み、マントの裾に埃がつくのもかまわない様子だ。
 と、そこへ図書室の扉を開けて、一人の少女が入ってきた。
 真っ白の神殿の巫女の装束を身につけていながら、その腰には細い剣を帯びている。女聖騎士であるらしい。
 流れるような長い黒髪を揺らし、同じ色の瞳をキラキラと悪戯っぽく光らせるその表情は、生気に溢れている。本人は気に入らないみたいだが、人より少し低い鼻が御愛嬌。
 その年頃の女の子にしては、多少、大きな足取りで図書室の中に踏み入った。
「ディーノ!」
 少女は声を張り上げて言った。
「ディーノルティアス! ここ、二、三日、ずっと図書室に籠りきりだそうだな! 本の虫にでもなったつもりか? 食事中も手放さないと、侍女達が困っているぞ! その内、目を悪くして、なにも見えなくなってしまうぞ!」
「キャスリーン、来てたのか。ここにいるよ」
 本から目を上げたディーノと呼ばれた少年は、少女の呼びかけに応えた。
「でも、面白いんだよ。考え始めると止まらなくなって、また知りたくなる」
「中毒だな」
 声を辿り、少年の前に立った少女は、床に座る姿を見下して言った。
「なにをそんなに夢中になって読んでいるんだ」
 問い掛けに、うん、と少年は持っていた本の表紙を、少女に見せた。
「建国史?」
「うん、アウグスナータ一世の頃の歴史を今、調べ直しているんだ。それが、とても面白い」
「へえ、アウグスナータ一世っていうと、皇帝こそ名乗らなかったけれど、帝国の礎を築いたと言われている王か」
「そう。我が祖先にして、偉大なる名君さ。内政もさる事ながら、主に外交面で手腕を発揮し、それまで対立を深くしていた国々と同盟を結び、属国とする事で、それまで続いていた戦乱を次々と治めていった。対立国であったグスカを属国とし、ガーネリアを公国として再興したのをはじまりとしてね。今や同盟国であるソメリアとも、その時、結んだ和睦条約以降つづく関係だ。それまで国交のなかった国々とも、交流の切っ掛けを作った」
「で、それに習おうとでもいうのか。戦など滅多に起きなくなったこの治世で」
 鼻先で笑う少女に、少年は、「違うよ」、と苦笑を見せた。
「偶々、ある事を調べようとする内、不思議な事に気付いたんだ」
「不思議な事って」
「うん、我が国の歴史の転換期とも言える時代でもあるのだけれど、『伝説』が特に集中しているんだ」
 なんだそんな事か、と少女は呆れた風に言った。
「古い話に伝説はつきものだろう? 大した事のない事を大袈裟に言ったり、さほど知識があるわけでもないから、理論だって考える事も出来なかったろうし」
 それには、少年も考え深げに頷いた。
「そういう事は往々にしてあるだろう。でも、この時の『伝説』は、他の時代のものとは少し違うんだ。わざと伝説を作っている様な、意図的に事実を改ざんしている様にも感じる」
「わざと?」
「そう、わざと。例えば、アルツグラの話は知ってる?」
「ああ、東北部で毎年、春先の雪解け水が流れ込んで氾濫を起こすツグレス川に付近の住民達は困っていて、って話だろう。それで、新しく水路を作り、干上がっていた谷――アルツグラに流し込む事で貯水池に変えて治めたって話。地理学で習ったな」
「そう。そのお陰であの一帯は、一気に開墾が進み、穀物の収穫量が格段にあがった。今や、我が国の食料庫とまで言われている」
「それがどうしたんだ? 治水法としては一般的だろう」
「そうなんだけれど、その方法がさ、『ある夜、治水方法を考えていた技師の夢まくらに、女神サルンディーナが立って方法を教えた』って事になっている」
「それが?」
「おかしいだろう。アルツグラの貯水池と水路は、我が国では治水のお手本とされるような建造物だ。思い付きにしたって、その建造の仕方まできっちりと計算されつくされているものだ。水路が壊れた時にも簡単に修繕がすむように、錆び止めを施した鉄の網で包んだ複数の石を積み上げたり、基礎をしっかりと鉄筋を入れたコンクリートで固めたり。それまでコンクリートは、せいぜい石をくっつける糊代わり程度にしか使っていなかった。それが今も現役で、大した問題も起きていない。その主たる建造部分に於ては、たった二年で作り上げたんだよ」
「それが?」
「普通、どこかに名前が残るだろう。それだけの物を作ったのならば」
「残っていないのか?」
「ない。記録をぜんぶ調べたけれど、どこにも。建造の責任者だったというネリアス伯爵の名は残っているけれど、それだけだ。しかし、彼の名はこれより先、どこにも出ていない」
 少年は溜息を吐いた。
「変だろう。もし、ネリアス伯爵が思い付いたものならば、それ以降も重用されて良い筈だ。水路に名前がついても良い。ネリアス水路とかさ。だが、それっきりだ。それだけじゃない。季節を問わず収穫が可能な、温泉を利用した作物栽培法とか、半円球型の温室とか。細々としたところで、農地開拓の基礎となったそんな話がごろごろしているんだ、この時代は。そして、それは全て、誰かの夢まくらに神が立ったり、人の姿を借りた精霊が伝えたり。そんなのばっかりだよ」
 少女は、乱暴な手で頭を掻く少年を見て、くすくすと笑い声をあげた。
「お伽噺みたいだな。そういう記録が公式文書に残っているなんて、面白い時代だったんだな」
「そうさ。だから、変なんだ。そうではない記録も沢山ある。事細かに携わった者の名を記したものもね。でも、一部だけがお伽噺めいたものなんだ。だから、変だと思って調べた」
「へえ、で、何か分かったのか」
 面白そうに笑う少女は、近くのカウンター隅に置かれたガラスの器から、キャンディーをひとつ取ると、口の中に放り込んだ。
「……キャスリーン、それ、いつのか分からないよ。おなか壊すよ」
「大丈夫だ。掃除係の侍女達がつまみ食いをしながら、こっそり足している事を知っているから」
 心配顔の少年に、少女は、にっ、とした笑みを向けて答えた。
「魔女の悪戯を避けるお呪い《まじない》だろ。巫女でもある君が、食べるもんでもないだろう」
 少年は言いながら、まあ、と呟く。
「そんなお呪いが当り前に続いていること自体、変なんだけれどさ」
「いいじゃないか。美味しいんだから。少なくとも、腹を空かせた侍女や兵士の腹立ちは押さえられる」
「まあね。でも、そう、そのキャンディーも関係あるかもしれないんだ」
「なにが?」
「伝説に。色々と調べている間に、ひとつ面白い話を見付けてね。君の敬愛するディオクレシアス大公殿下に纏るものさ」
 途端、ぱっ、と少女の顔が華やいだ。





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