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 ……と、まあ、誰が悪戯したのか、『白髪の魔女』の名は三百年経っても、こんな風に残されている。だが、もっと時が経てば、消えてなくなりもするだろう。勘違いも含めて。
 あの人との仲は、彼が想像するほどロマンチックなものではなかったと思う。
 なにせ、あの人の最期の言葉ときたら、
『おまえがいない間、暫くは静かにしていられる。だが、退屈もする。あまり長く待たせるな』、だった。
 お陰で、折角の涙も引っ込んだぐらいだ。最期の時まで、偉そうなところは、ぜんぜん変わらなかった。無茶な扱いもされっぱなしだったし、一杯、腹も立てたし、口論する事も珍しくなかった。
 陛下についても、ちょっと違う。
 実際、私達がなんとかなっても良いか、とは思っていたそうだ……最初から。
 婚約破棄以降、あんまりにも浮いた話のない末の弟を心配していたが、私に興味を持ったのを機に、その気があるならばくっつけてもいいか、と思ったらしい。王家の血筋の存続にも関る問題でもあるし。
 後から、ちらっと聞いた内容では、同情心に毛が生えたようなものからであっても、護送を途中で抜け出して、私の助命を訴え出た弟に、何かしら感じるものがあったそうだ。
 コランティーヌ妃の事はあったが、気持ちのありようは兎も角、彼女の性格などが弟の相手としてはヤバイというか、あまり良くないとは感じていた。あと、治政者としても、私を利用する方法はないか、とも考えた。それで、暫く様子をみる事にしたらしい。
 その点については、白い髪だったことが有利に働いた。
 最初の謁見は、それを判断する為の面接みたいなもんだった。そこで私は、一応の及第点を貰い、ゴーサインが出た。
 ただし、理由如何を問わず、私が途中で死ぬ事があっても、それはそれでかまわない、という条件で。つまり、私が陛下に『殺してくれ』と望めば、本気で殺されていたってことだ。
 アストリアスさんは、元から陛下の手先だった。私が知らなかっただけで、もともと陛下が殿下の側近に推挙してからの関係だそうだ。
 でも、アストリアスさんは、私贔屓であってくれたので、なんとか生かす方向で努力した。私を宥めたりすかしたり、脅したりして、エスクラシオ殿下の傍を離れないように説得を繰り返した。殿下を頼るように仕向け、機会あれば、仲を取り持つ切っ掛けを作ろうと画策した。
 女王陛下もアストラーダ殿下も、元よりそれを承知していたらしい。だから、ウェンゼルさんをつけもしてくれたし、何が何でも無事に返せ、と命じもしてくれた。有り難い話だ。
 しかし、そう考えれば、ウェンゼルさんも、随分とえらい任務を引き受けたもんだ。判断に困る事も多かっただろうと思う。ま、命令するだけの人間は、現場を知らないもんだけれどな。
 そして、私は生き残り、それまでの経緯やギリアムさんがついてきた事も含めて計画が立案され、陛下は改めて私をランデルバイアに迎え入れる事を決意した。しかし、私のポジションやらなんやかやと調整をするのに時間をくって、御沙汰までに時を要したという事らしい。
 その後も紆余曲折はあったが、まんまと計画通りの結果を引きだしたわけだ。
 知らぬは当人達ばかり。ちっ、嵌められたぜっ!
 ……殿下はなんとなく察してはいたみたいだけれど。まあ、なかなかその気にはならなかった、って事だ。それどころじゃなかったのもある。
 しかし、そんな企みの痕跡はすっかり消えてしまった。跡形もなく。そして、誤解だけが残されたってわけだ。
 それも良いんだか、悪いんだか。
 でも、私がいた名残は、彼等が気付いていないだけで、まだ残されている。
 幼い頃から耳に馴染んだ、語り部知らずのお伽噺集。
 部屋の隅に飾られている、幸運の白い猫の置物。
 或いは、部屋から独立したバスルームであったり。
 和食に似た料理も、品種改良された一部の野菜や果物も、ぜんぶ、私が関ったものだ。自分の為に、時には、自腹を切るなどもして。
 貰ったぶどう畑は、随分と役に立った。元、王様の直轄領だけあって、採れるぶどうは最高品質のもので、生涯にわたってよい収入源となった。
 ミシェリアさんに名目上の管理を任せる事で施設の収入にもなって、ちびっこ達を一人前にする糧にもなったみたいだ。一人前になったちびっこの中には、ぶどう園で働く子もいた。
 ミシェリアさんが亡くなった後は、セリーヌさんが旦那さんと一緒に後を継ぎ、そして、成長したミュスカが、その後を引き継いだ。養護施設は、今やファーデルシア地方のこども達の教育機関として発展し、機能している。
 それとは別に、ケリーさんには、こどもたちも随分と世話になった。よく病気にもかかったが、ケリーさんがいてくれたお陰で、無事、一人前に育つことが出来た。その血が彼等の中にも流れているわけだ。
 こどもたちは、まるでケリーさんを祖父であるかのように懐いて、ケリーさんも、こどもたちを実の孫のように可愛がってくれた。
 そして、彼の持つ知識はランデルバイアに限らず、他国から受入れた留学生にも広められ、今も発展を続けている。元の世界の技術には遠く及ばないけれど、それでも少しは前に進んだもののひとつだろう。
 ケリーさんは亡くなって随分経つ今でも、『医療の父』なんて呼ばれ方をされていて、肖像画や銅像にもなって尊敬を受けている。
 建築などに関しては、雑学とアイデアだけを提供させてもらっただけ。あとは、技術者の皆さんの功績だ。それでも、多少は役には立ったようで良かったと思う。
 タチアナ姐さん達が、私の目となり耳になってくれたことも大きい。会う度の姐さん達の旅物語は私の楽しみだったし、遠くの地域や他国の情報ももたらしてくれた。そこから受けたヒントも多い。
 姐さんたちとは、その後も一生涯を通じて、良い友人関係を築けた。
 レティとも同様に。レティの生んだ子の一人は、騎士となって私と私の子達を守ってくれた。
 そして、その血と関係は濃くなったり薄くなったりしながらも、いまでも続いている。
 他にも残る、こまごまとした私のいた痕跡。だが、そんなものも、いつか時代と共に変質していくのだろう。
 残るものもあれば、消え行くものもある。
 そう、例えば、私以降、何故か、『神の御遣い』と呼ばれる者がいない事とか、そんな単語自体が失われてしまった様に。
 ……でも、これはまた、いつか復活するかもしれない。先のことは分からないから。
 私の血をひく彼女が、その内、彼の前で情熱的な一面をみせる日が来るのかどうかも分からない。
 でも、ひとつだけ確かな事がある。


 誓いの言葉は守られた。


 一度は破棄する事をあの人も認めたにも関らず、その効力はいつまでも残った。
 そして、今でも。
 此処が何処なのかは、さして重要ではない。
 ただ澄んだ高い空の色を、私は見続けている。
 肉や骨、その血がこの地の土と変わった今でも、私の魂はその人の傍らにある。
 彼等と共に。
 そして、私はその人の名を呼ぶ。
 ディオクレシアス。ディオと。
 そして、時々、内緒でそっと、誰も呼ばない名で呼ぶ。
 ユリウス、ユーリ、と呼んでは、戸惑う顔を見て笑う。


 ディオクレシアス・ユリウス・イオ・エスクラシオ。
 私の空の名前。





 私は、彼の空の欠片であり続けている。






『地上の空と空の欠片』







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