髪の色は父に似て、瞳の色と顔立ちは祖父に似た。
 母は美しい金髪に、濃い葡萄色の瞳をしていた。
 髪の色は姉に、瞳の色は兄に受け継がれた。顔立ちは、姉は父に似ていると言われるが、兄たちは母に似ているとよく言われていた。
 私だけ、どこも似たところがなかった。
 母はもともと身体が丈夫な方ではなく、寝室で過すことも珍しくはなかった。私も寝室に会いに行っては、母を疲れさせるななどとよく大人たちに叱られた。
 だが、母は寝台の中から笑って私を庇ってくれては、私に色々な話を聞かせてくれたり、歌を歌って聞かせてくれたりした。
 兄や姉、そして、父。ほかの者たちも、私のことをディオクレシアスと呼ぶ。或いは、ディオとも。
 母だけは、私をユリウスと呼ぶのが常だった。時々、ユーリとも。
 時には歌っているようにも聞こえる、その呼び声が私は好きだった。
 だから、二度と母が私を呼ぶことはないと知った時、私は、漠然とだが、母から受け継いだものが何一つない事が、とても残念に思った。
 私は男で、母の持つドレスも宝石も不必要なものばかりだったから。形見として持っていたいと思うものは、なにもなかった。
 大体、母がどの宝飾品が好きで気に入っていたのかも、私は知らなかった。そんなことに興味を持ったことはなかったから。
「ディオはまだ小さいから、そういう物を手元に置く意味も分からないのだろうな」
 九才年上の一番上の兄は、そう言った。
「この年で、いずれ伴侶となる娘にあげるなんて考える方が先行き恐ろしいわ。そんな事まで気が回るのはお兄さまだけよ」
 六才年上の姉は、そう答えた。
 三才年上の二番めの兄は何も言わず、私の手を握っていてくれた。
 母の柩は、とても軽かったそうだ。
 本当は、母がここまで生きられたのが不思議だったのだ、と後から聞いた。ここまで生きて、しかも、四人の子に恵まれただけでも奇跡的だったのだ、と言われた。短い生涯でも、きっと幸せだったに違いないと、人々は言いながら涙していた。
 国中の者が母の――王妃の死をいたんで、喪に服した。
 それは、私が七才の初夏の時のことだ。
 以来、私は、多くの者が好むその季節が、あまり好きではなくなった。

 初夏には哀しみが付き纏う。
 それを感じる時、母の葬儀後の黄昏た空の色を、いつも思い出す。

 季節が移り変わるに伴って、城中にはびこっていた哀しみがすこしずつ薄れていった。
 そして、冬の季節になった。
 雪に埋もれる季節。
 ランデルバイアの冬は深く長い。だが、それでも、王城には多くの者たちが集まってくる。
 暇潰しの祭祀や夜会、舞踏会などもそれなりの回数が行われるし、兵士たちは雪掻きで忙しい。
 雪が小降りの日などは、窓の向こうをいきおいよく雪の塊が上から落ちてくるのが見られる。そして、最下層の中庭では、雪の屋根作り作業が行われる。
「ごきげんようディオクレシアスさま」
 廊下を歩いていたら、コランティーヌに行き合った。
 有力貴族であるフィディリアス公爵を父にもつ、私よりもふたつ年下の彼女は、父親に連れられてここ王城にもたまに顔を出す。社交界に出るのにはまだ早すぎるが、貴族の子女同士の交流会みたいなものがあって、それに連れて来られるようだ。
 銀の髪に薄青い瞳をもった彼女は、同い年の貴族の姫たちの中でも、抜きん出て可愛らしいと評判だった。たしかに、こうして会えば、人形のようだといつも思ったりする。
「ごきげんよう、コランティーヌ。どうしたの、こんなところでひとりで」
 毛皮やリボンで飾った水色の外套を身につけた彼女は、色合いのせいか、寒そうに見えた。実際、マフから出した手は、すこし震えて見えた。
「父にいわれてまっています。すこし用事があるからと」
「そう、えらいね」
 髪の毛を一筋も乱すことなく礼儀正しさを保とうとする彼女は小さくて、とても頼りなく見えた。
「公爵はどこにいるの」
「へいかに呼ばれておはなしをしております」
「父上に、そう」
 私達のいる場所は中央棟の廊下だった。貴族や文官が私達の姿に足を止め、腰を深く折って礼をすると去っていく。私はそのひとりを呼び止めた。
「父上とフィディリアス公爵はいまどこに」
 名前も知らない文官らしい男は少しだけ考えて、「このお時間でしたら、接見室かと」、と答えた。
「そう、ありがとう」
 私は礼をして去っていく文官を見送って、コランティーヌに言った。
「ちょっと、ここで待っておいで。すぐに戻って来るから」
 そして、ふたりいる内の護衛のひとりにコランティーヌを任せ、接見室へと向かった。
 謁見室は入ってはだめだと言われていたが、接見室ならば、用事があれば、声をかけて良いと言われていた。
 接見室を守る衛兵に声をかける。と、扉を僅かにあけて合図をすると、中継ぎの侍従が出てきた。
「殿下、なにかご用でも」
「フィディリアス公はおられるか」
「はい。おいでになっておられますが、ただいま陛下とお話中でらっしゃいます」
「では、公に、話しているあいだコランティーヌをお茶にさそいたいが、良いかきいてくれ」
「畏まりました」
 侍従が戻ってすぐに、今度は公爵本人が姿を現した。
 公爵はとても背が高く、銀髪と一言で言っても、コランティーヌのそれよりも色濃く、鋼に近い色をしている。見た印象もそれに近い感じだ。鋭くて長い、細身の剣を思わせる。
 侍女たちが、時々、素敵などと噂話をしているのをよく耳にするが、私は公爵がすこし苦手だった。尤も、公爵と対峙しても平気と言えるこどもはいなかったと思う。礼儀作法については、私もよく注意を受けたし、大人でも叱られる者がいたようだ。
 ほかの大人たちと比べて、公爵と一緒にいると緊張を感じる。だが、それは、他の貴族に比べて正直であり、私に対してもこども扱いをしないところがあるからだ。一人前に見てくれている様で、それがすこし嬉しくもあった。
「これはディオクレシアス殿下、直々に娘にお気遣い下さったようで恐悦至極に存じます」
 高い背を腰からふたつ折りにするようにして、フィディリアス公爵は深々と礼をした。
 私は背筋をこの上なく伸ばして答えた。
「うん、じゃまをしてわるい。話はまだつづきそうか」
「はい、もう暫くかかるかと」
「ならば、コランティーヌをお茶にさそってもよいか」
「もし、殿下さえ宜しければ、光栄に存知ます」
「そうか。ならば、東棟の四階の遊戯室にいる。おわったら、むかえに来てくれ」
「畏まりました。至らぬ故、粗相もあるかと存じますが、お心広く娘のことを宜しくお願い申し上げます」
「うん、心配するな」
 そして、私はコランティーヌの所に戻ると、彼女を伴って、遊戯室でお茶をする事にした。
 案の定、部屋へ行くまでの間、コランティーヌの手を引いていったのだが、氷のように冷えきっていた。
 相当、我慢していたようだ。
 暖い部屋で、温かいお茶と菓子を食べてふたりで公爵を待っている内に、コランティーヌの白かった頬はだんだん色づいて、舌も随分と回るようになった。
 年端もいかぬ少女であるから、お喋りを聞いていてもあまり面白いものではなかったが、笑顔はとても愛らしく感じた。
 本当は厩舎に馬を見に行くつもりをしていたのだが、まあ、良いか、という気分にはなった。
 それからもコランティーヌとは顔を会わせる機会が度々あって、懐かれた。顔を見れば後をついてくる様になり、兄や姉も混じって、一緒に遊ぶこともあった。
 冬は遊戯室でゲームをしたり、春になれば、西の森にピクニックに出掛けたりもした。
 公爵も私達の様子に、大目に見ることも多かったようだ。
 そして、いつの間にか私は、皆に彼女の騎士として見られるようになっていた。




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