コランティーヌとお茶をした次の日、私は昨日、行けなかった厩舎に行くことにした。
 春から調教にかかる仔馬の中から一頭、自分専用の馬として貰えることになったからだ。
 父上からお許しを頂いて、私はわくわくとした喜びを感じていた。これまでは、練習用としていつも違う馬に乗っていたのだが、専用の馬が貰える事は、一人前として認められたという事でもあった。
「今年は毛並みの良い馬が揃っておりますよ」
 厩舎を管理する馬丁頭は、私に言った。
「脚の早いのが良いな。多少、気は荒くても良いから」
「ああ、それならば、あれが良いかもしれません。父馬は、カルバドス大公殿下の乗られているグライヒャーで、母馬は、殿下も名前をお聞きになった事があるかもしれませんが、ルビヴァンディという名馬の血を引くものです」
「ルビヴァンディというと、ひと晩でクリスケンバーの山脈越えをしたという、あの?」
 クリスケンバーは峠が三つも続く、難所とされる山脈だ。
「さて、それは多少、大袈裟に言った話かとも存知ますが、仔馬を見るかぎり、名馬であることは間違いございませんでしょうね。その分、気位も高かったようで御座いますが」
 馬丁頭は気も良く笑うと、その馬のところへ連れて行ってくれた。
 鹿毛の馬はまだ仔馬であったが、丈夫そうな太い脚と、他の仔馬にくらべて一回り身体も大きかった。
 なかなか気が強そうな雰囲気を感じるその馬が、私はひと目で気に入った。
「これにしよう」
「では、殿下にお名前をつけて頂かなくてはなりませんね」
「そうだな。いくつかかんがえてはいるが、どれがいいだろうな。イルダーシュ、リンシュタッフ、レイディンガー、チャリオット……おまえはどれがよい?」
 上機嫌で自分の馬になる仔馬に話しかけるが、仔馬も、やはり、ぴんと来ない様子で鼻を鳴らした。
「ううん、もうひと晩、よくかんがえてみよう」
「そうなさいまし。一生にたったひとつのもので御座いますしね。良い名をつけてやって下さい」
「そうするよ」
 それからも、あれやこれやと馬の事を話しながら、厩舎内を見回った。一通り見終わって、出口に向かって歩く途中、そう言えば、と馬丁頭が言った。
「そう言えば、厩舎内に野良猫が住みつきましてね。親子らしい二匹の猫なんですが」
「猫?」
「ええ、何かの荷に紛れてついてきたのでしょうが。鼠を退治してくれるし、良いかと放っておいたんですが、この間、母親らしい猫の方が……まあ、野良という事もあって、人を近付けませんでしたから、栄養も足りてなかったんでしょう。今年の冬は一段と厳しいですしね」
「ふうん、で、子猫の方はどうなったんだ」
「子猫の方はその辺にまだいますが、母猫もいないですし、この冬越せるかどうか。子猫の方はまだ人が近付けるので、偶に気が向いた時とかに皆で餌やったりしているんですよ」
「そうか」
「いっその事、穀物庫の方で飼っているやつらと一緒にしてやった方が餌も貰えていいかな、と思ってるんですが、猫はいったん決めた住み処を変えたがらないとか言いますしねえ。どうしたもんかと思っているところです」
 馬丁頭としては、大して考えもなく口にした話なのだろう。だが、私は、その子猫のことがとても気になった。
「ふうん……どこにいるんだ、その猫は」
「大体は、飼い葉置き場のところにいますがね」
「みてみたいな」
「小汚い猫ですよ。とても殿下がご覧になるようなものでは」
「かまわない。のらなんだから、奇麗なはずはないってことぐらいはわかっているよ」
「まあ、そうおっしゃるのでしたら」
 渋々と言ったようすで、馬丁頭は子猫がいるだろうと思われる飼い葉置き場へ私を案内した。
 厩舎の隅に置かれたそこは、隙間風もあって、ほかのところよりも少し寒く感じた。隅の方には、雪が薄く積もってもいる。
 吹く風の音に混じって、ぴゃあ、ぴゃあ、とか細い高い声が聞こえた。
 どこから聞こえるのか、と視線を巡らせると、飼い葉の山がすこし動くのが見えた。干した草の間から、小さな白い毛玉が覗いた。金色の瞳が私の方を見ると、いっそう高い声で鳴き始めた。
 私には、それが助けを求めているように聞こえた。
「殿下、いけません。お手を汚します」
 子猫に近付いた私を馬丁頭が止めた。
「いい。かまうな」
 私は近付き、飼い葉の中に埋もれる小さな猫を拾い上げた。
 子猫は私の掌ぐらいの大きさでしかなかった。とても、小さかった。おそらく、生まれてそう経っていないに違いない。
 元は白いのだろう毛は薄汚れた灰色に代わって見えた。そして、胸元にだけ半円の形をした黒い毛が混じっていた。
 子猫は私の手の中でぶるぶると震えては鳴いた。弱々しく、軽く、手応えのない柔らかい感触。それでも、抱きかかえる手に、じんわりとした温もりが伝わった。
「いてっ」
 子猫は、腹も空かせているのか、私の指に吸い付くように噛みついてきた。
「殿下!」
「気にするな」
「どうぞ、それをお離しになって下さい。お手に傷が」
「かまわない」
 確かに痛いが、指先だけだ。剣の稽古をしている時にくらべれば、大したことはない。尖った歯で食付いてくる小さな猫は、必死で生きようとあがいて見えた。
「おまえも母を失ったか……」
 私は指に繰り返し歯を立てる猫に言った。そして、馬丁頭にも言った。
「これをつれていく」
 ただの気紛れに近いものだった。
「しかし、汚らしい野良猫です。殿下がお飼いになるには、」
「気にするな。これもなにかの縁だ。あわれなまま放っておいても、きぶんが悪い」
 難色を示す馬丁頭を退けて、私は部屋に子猫を連れ帰った。
 猫の飼い方などひとつも知らなかったが、侍女たちが驚いて、すぐに知る者を呼んできては猫のために色々な物が整えられた。
 温かいミルクで腹いっぱいになった子猫は、暖炉の傍に置かれた柔らかい布を敷いた籠の中で丸くなって眠った。安心しきっている無防備なそのさまが、とても可愛らしく感じた。
 猫は、そのまま私の飼い猫になった。
 私はその猫に、馬につける筈の名のひとつだった、戦車を示すチャリオットの名を与えた。名前だけでも力強いものにしようと思ってのことだった。
 因みに、馬には、ヴァンディシュライヒャーの名を与えることにした。
 ヴァンディは気が荒いところがあるが、賢く力強い、良い馬に育った。今の私が乗る馬にも、その血が流れている。




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