戦いの中で深手を負った叔父の最期を看取った。
「後は、おまえが率いろ。おまえならば、出来る。忘れるな、おまえの背には兵たちの命があることを。感情に流されるな。憎しみに捕われるな。冷静に状況を見極めろ。王家の誇りを忘れるな。そして……必ず、生きて国へ戻れ」
 それが、叔父の遺言だった。
 戦いに慣れていた筈の主立った騎士たちの命が多く失われていたその状況で、すべてが私に託された。
 私は迷った。
 当初は勢いに乗っていたグスカ軍も、ランデルバイアとガーネリアの連合軍を相手に疲弊している様子が見て取れた。どこで退くか、と様子を窺っている節さえ感じられる。
 対する我が方は、身体こそ疲れ切っていたが、特にガーネリアの兵たちの抱える恨みや憎しみが強く、戦う意志だけは、少しも潰えてはいなかった。兵たちには、最後のひとりとなっても戦い続けようという意志が見えた。だが、それは、死に場所を求めているようにも感じた。
 ガーネリアの国境は、リーフエルグよりもその先。
 押すか、引くか。
 ここで更に押して、更なる犠牲を払ってもリーフエルグを完全に制圧しグスカ軍を退けるか。それとも、ここは撤退して、今ある命を守ることに力を注ぐか。
 おそらく、一度、リーフエルグの制圧を選べば、帰国するだけの余力は得られまいと想像がついた。砦を死守しながら、援軍を待つことになる。補給線はなんとかなるとしても、援軍が到着するまでの間、守りきれるかどうか。守ったところで、ガーネリアの国はズタズタだ。再建をするにしても、その間も常に戦いに曝される事になる。ここまで来て、グスカがそう簡単に諦めるとは思えない。
 だが、未だ分からぬルリエッタの消息が、ガーネリアの者たちにとっての希望でもあった。彼女さえ生きていれば、国は再建できる。ルリエッタこそが、心の支えであり、希望だった。それが知れない間は、退こうと言ったところで退かないだろう。
 私個人としても、彼女の見付けるまではこの地を離れるわけにはいかなかった。
 どうか、どんな形ででも生きていて欲しい。
 そう願っていた。
 その気持ちだけを拠り所に、私は戦場に留まり続けていた。
 もう嫌だ、と心の中で思いながら、退くことも前に進むことも出来ずにいた。
 そんな時、ボロボロのなりをした女がひとり、私に面会を願い出ていると聞いた。なんとしてでも、直接に会って話をさせてくれ、と兵士に泣いて縋ったと言う。その為だけに、グスカの兵に追われながら、必死でここまで逃げてきたのだと話していると聞いた。
 女は、城に務めていた侍女だと名乗った。
 私は、すぐにその女に会うことにした。
 髪を振り乱し、顔をススと泥で汚した女は、私の顔を見るなり涙を溢した。
ディオクレシアス殿下でらっしゃいますね。お眼にかかれて光栄に存じます。お目通りをお許し下さり、有難うございます。私はルリエッタさまの傍付きの侍女をしておりました者にございます」
 一拍、大きくなった鼓動に全身が揺れた。
「ルリエッタ姫の! 彼女は、今どこにいる!? 生きているのか!?」
 身を乗り出した私に女は泣きながら、青い宝石を嵌め込んだブローチを差し出した。
「これを、ディオクレシアス殿下に、と」
「姫が」
 頷きがあった。
「貴方さまに必ずお渡しするようにと、今際の際に私にお託しになられて……」
 今際の際?
「姫さまは城から落ち延び、グスカ兵に追われながらも三日の間逃げ延びておられました。が、身を潜めた先の村でも焼き打ちにあい、そこも逃げようとされて一旦は、そこを離れられたのですが、ひとり逃げ遅れた娘を助ける為に敵の前に飛び出していかれて、それで……」
 眩暈がする。
「娘とともに、グスカの兵士に剣で胸をひと突きにされ……それでも、姫さまはすぐに事切れることなく、兵士たちの眼を盗み、這って物陰に逃れ……私がお助けに参った頃には、すでに虫の息で……その時、それを私に託されたのでございます。殿下にもう一度、ひと目で良いからお会いしたかった、とそう言い残されて……」
 ばかな……何故……
「彼女の遺体は? どこに?」
「死後も獣などに穢されることのないよう、森の中に丁重に埋葬申し上げました」
 望みは完全に潰えた。
 私は、手の中のブローチを見つめた。
 銀の装飾された台座に嵌め込まれた四角い宝石は、私の瞳の色と同じ色をしていた。
「死に際は……苦しんだのか?」
 女は、首を横に振った。
「痛みはあったでしょうが、気丈にもそんな御様子はお見せにならず、微笑まれて……」
「……そうか」
 そんな事はなんの慰めにもならなかったが、それでも、どこかで良かったと思う気持ちがあった。
「ひとりにしてくれ」
 誰もいなくなった天幕の中で、私はひとり呆然と宝石を見つめた。
 見つめながら、己の咽喉から迸る声を聞いた。
 押し寄せる哀しみに胸が潰れそうになった。
 落ちる涙は止めようがなく、止める気も起きなかった。
 噴き出る感情をそのままに、みっともなさを隠すことなく垂れ流した。
 だが、それとは別に、冷静にそんな自分をみつめてもいた。
 感情を吐きだすだけ吐きだした後、私の中には空虚さだけが残った。
 涙を拭い、腫れた顔を洗って冷やした。
 そして、私は、引き続き戦う事を選んだ。
 それが憎しみによるものであったかどうかは、分からない。そうする理由などすでに失われている事を分かりながら、そうせずにはいられなかった。
 全精力と能力を注いで、敵を追詰めることに専念した。
 ひとつひとつの戦いを念入りに叩いて擦り潰すように、容赦なく攻め続けた。
 次第に優勢になる戦局に士気は高まり、グスカ軍に撤退の兆しが見えてきた。兵達は昂揚し、更なる敵の血を望んだ。
 その報せを聞くまでは、私も立ち止まることさえ忘れていた。
「第三部隊、敵の反撃にあい、半数が壊滅したとの報せあり!」
 何故、と首を傾げる報だった。あと一歩のところまで追詰めていた筈だ。反撃する余力さえ残さず、徹底的に叩いて追詰めている最中だった。見逃していた余力があったのか。それとも、密かに敵の援軍が到着したのか。
「なにがあった」
 問えば、連絡兵は口ごもりながら答えた。
「それが……罠が仕掛けられていた、と」
「罠?」
「はい。殺傷力の高い……その、こどもが仕掛けるような罠が森のあちこちに仕掛けられていて、それに」
「なんだそれは」
「落とし穴や、紐にかかれば、弓矢が飛んでくる仕掛けなど、その、いろいろと、だそうです。何処に何が仕掛けてあるか分からず、それで、追撃もままならないと」
「なんだそれは!」
 戦場にそんなものを仕掛けるなど、聞いた事もなかった。
「何者だ! 敵の正体は!?」
「分かりません。分かりませんが、まだ若い、少年兵らしき姿を目撃したと」
「少年兵?」
「畏れながら、殿下とそう変わらぬ年嵩の兵たちが、敗走する敵兵士達を誘導しているのを見たとの報告であります」
「私と変わらない年……」
 経験も少ない、初陣であるかもしれない兵たちにまんまとやられた、というのか?
 そう考えて、唐突に己もこれが初陣であることを思い出した。思い出したら、急に笑いが込み上げてきた。
「……殿下?」
 何をやっているのか、私は。初陣でありながら、総指揮を執るなどという大任を手にして!
 急に、頭の中が冷えた気がした。
 森の中に罠を仕掛けた、という事は、追う気がなければ、仕掛けてくる気がないことを指している。しかも、少年兵が出張ってくるとなると、相手の兵力もそれだけで手一杯の状態か。
 考えが、冷えた私の頭の中を巡った。
「これ以上、深追いはするな。退却後、第四部隊に合流し、すみやかに森に火をかけるよう通達せよ。出来るだけ派手に燃やせ。他の隊はすべて撤退準備にかかれ。第四部隊合流後、すぐに全軍撤退を開始する」
「殿下!」
 驚いたように、控えていた古参のルイスヴェール将軍が声をあげた。威風堂々たると言われる将軍の姿も、髪は乱れ、薄汚れて酷い有り様だった。
「何故ですか! もう一歩で敵を追詰められるというのに、撤退とは!」
「これ以上、戦う理由はない」
 私は怒鳴ることなく言った。
「しかし、折角、ここまで侵攻しておきながら、ここで退いては、無駄になりますぞ!」
「無駄にはならぬ。敵兵力は極限まで削いだ。暫くの間は、我が国の国境を脅かそうとするまでの余力はあるまい」
「しかし、これではガーネリアが、」
「ガーネリアは滅んだ」
 そう、滅んだのだ。王家の滅亡は、国が滅んだのと同義語だ。
 ルリエッタも、もういない。死んだのだ。二度と会えない。
 どこからともなく吹き込んできた風が、私の胸の辺りを素通りしていった。
「今後どうするかは、国の判断を仰ぐ必要がある。それに、既に、グスカ軍では援軍要請が出されている頃だろう。到着するそれらと戦うだけの余力が、残念ながらいまの我らにはない。無駄にこれ以上の犠牲を出す必要はあるまい」
 私は、天幕内に控える武官たちを見回して言った。
「これは慈悲である。グスカ軍は、この慈悲を受けたことを後々、後悔することになろう」
 私の言葉に、武官たちは頭を下げた。
 と、ひとりビルバイア中将が鼻息荒く、声をあげた。長い髪は乱れて泥がこびりついていたが、その気迫には衰えを感じさせなかった。
「畏れながら、このビルバイアに是非、しんがりをお命じ頂きたく!」
 鼓膜が破れるかとも思える、力の籠った声だった。
 勇猛果敢で知られる中堅の武官の申し出に、私は頷いた。
「よかろう。ビルバイア中将、しんがりを任せる。敵の追討あらば、全力で退けろ」
「はっ! 有り難き幸せ!」
「早急にかかれ」
「御意!」
 私は天幕の外に出た。
 生温いキナ臭い匂いのする風が嘲笑うかのように、私の頬を撫でていった。




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