私の初めての戦は、こうして終りを迎えた。
十年後に、まさか、この時の少年兵だった男に会うことになろうとは、思いもしなかった。
ただ、この時の私は、倦怠感を伴う胸にぽっかりと開いたような虚しさを抱え、途方に暮れていた。
ただ、何も考えずぐっすりと眠りたい、とそれだけを思った。
泥のように。
初夏、私はまた大切な者たちを失った。
事実上、敗戦だった。
だが、グスカ軍にそれなりの損害――私が報復を与えたという点で、公式記録上では引き分けにされた様だ。しかし、そんな事を喜ぶ者など、どこにもいなかった。
疲れた。私はこの上なく、疲れていた。
師にも等しい叔父が戦死し、ルリエッタを失った。それだけで、一生分の喪失感を味わった気分だった。
だが、その夏はそれだけではなかった。追い討ちをかけるように、帰国した私をもうひとつの報せが待っていた。
チャリオットが死んだ。
部屋に戻ってもいない姿に侍女達に訊ねても、要領を得ない答えが返ってくるばかりだった。何処にいるのかと探す途中、それを教えてくれたのは、二番目の兄だった。
「姿が見えないというので、みんなで探したのだけれど、召使いが城の外に倒れているのを見付けてね。その時には、もう死んでいたんだ」
チャリオットは、南棟の王族専用の庭に墓をつくり葬ったと、兄は言った。
「ごめんね、ディオ」
兄は哀しそうな顔を向けて、私に謝った。
私はそれ以上話を聞くことなく、兄が言った場所へ向かった。
南棟の更に奥に王族だけが入れる専用の庭がある。花の季節を迎え、庭は色とりどりの花に埋もれ、甘ったるい匂いが漂っていた。
その隅に立つ一本の房状の紫の花をつける樹の下に、こんもりと土が盛られている箇所があった。小さな石が置かれ、上に一輪の白い花が置かれていた。
「チャリオット?」
呼びかけても実感はなく、信じることができなかった。
小さな盛り土は、その猫の大きさに合うものではあったが、悪戯に作ったものの様にも感じられた。
また、兄が私をからかおうとしているのだろう、とそんな考えも過った。
冗談だった、と後から笑うために。
でも、そんなことをするわけもない、と多くの死を目にしてきたばかりの私は、容易く受入れもする。
あっけなく、死は訪れる。
何者であろうとも。
善行をつもうが、悪業を行おうが、身分もなにも関係なく、肩を叩く気軽さで与えられる。
何故、死んでしまうのか。
本当に、おまえまで逝ってしまったのか。
雪の吹き込む厩舎の片隅で、母を亡くし、それでも必死に生きようと鳴いていたおまえ。
ルリエッタだけでなく、おまえまで。
私、ひとりを置いて。
私だけを、ひとり置いて。
黄昏の空の下、ぼんやりと小さな墓を見つめていた。
猫の鳴き声が聞こえた様な気がして振り返ったが、どこにもその姿はなかった。
私を呼ぶルリエッタの声が脳裏に響いたが、何処にもその姿を認めることは出来なかった。
咽喉が震えた。
幽霊でもなんでも良いから、ひと目、その姿を見たかった。
声を聞きたかった。
目頭が熱く、刺されたように痛かった。
何故、姿をみせてくれないのか。何故、挨拶ひとつなく逝ってしまったのか。
別れの予兆ぐらい報せてくれれば良いのに、何故、なにも教えずにいなくなってしまったのか。
私が、いったい、彼女たちになにをしたというのか。
何故、こんなに私を苦しめるのか。
なんて酷い。惨い仕打ちだ!
「ディオ、皆、おまえを待っている。早く来なさい」
背後から、いつになく低い一番上の兄の声が聞こえた。
私は答えることもなく、小さな墓の前に立ち尽くしていた。
「ディオ、いつまでそこに立っているつもりだ。陛下や皆に挨拶をしないか」
もう、いい。放っておいてくれ。
「ディオクレシアス」
返事をする気力も、声も失った。ここにいるのは、ただの人の形をした抜け殻だ。
「いい加減にしろ!」
兄が肩を掴み、私を墓から引き離した。
「兄上!」
その勢いに詰まっていた咽喉が開き、声が出た。
兄は私を後ろ手に取り、そのまま後ろに引き摺った。
思い掛けない力だった。強く握られ捻り上げられた腕に痛みを感じた。
「離して下さい、兄上っ!」
「駄目だ。おまえには、おまえの責務があるだろう。それを果たせ」
二本の引き摺られた痕が、私のいた場所から続いていた。庭の泥が軍靴の踵に塊になってついている感触を感じた。
兄は私を引き摺りながら言った。
「哀しいのはおまえだけではないのだ」
それは、怒りよりも厳かさを感じさせる声だった。
「皆、悲しんでいる。陛下も、大公妃殿下も、そしてロクサンドリアも、ずっと泣き暮らしている。あの気の強い女が、寝台から起き上がれないほどにな」
「義姉上が……」
ルリエッタの血を分けた姉。
「せめて、あれにだけでも、おまえの口から話を聞かせてやってくれ」
そうか。
「兄上……」
辛いと言いたかった。もう、嫌だと言いたかった。二度と誰にも関ることなく生きていたいのだ、と口にしたかった。でも、出来なかった。
「離して下さい、兄上。自分の脚で歩けます」
これが、私の中にある王族の誇りというものなのだろうか。
手が離された。
「ディオ、おまえがこれから軍を牽引していくことになる。これが、公での初の仕事になる。上に立つ者として、相応しく振舞え。それが、王族に生まれた者の務めだ」
「分かりました、兄上。大丈夫です」
「頼む」
母に似ていると思っていた兄の顔が、父に重なって見えた。
「長の戦役、大義でありました、ディオクレシアス殿下。我が祖国、ガーネリアの民を救わんが為に力を尽くして下さったこと、ガーネリア王家の血を引く者として、深く感謝を申し上げます」
名ばかりの帰国を祝う宴席で、皆が見守る中、ガーネリアの代表として義姉より言葉を賜った。
化粧で隠してはいたが、その顔色は蒼く、頬は痩せ、瞼は腫れ上り、眼は落ちくぼんで見えた。快活な性格である筈のその人の上に、暗い影が落ちていた。
私はその前に跪き、頭を垂れて言った。
「いいえ。まだです。ロクサンドリア王女殿下並びにガーネリアの民が望むのでしたら、このディオクレシアス・ユリウス・ディ・ランデルバイア、身命を賭して、必ずやガーネリアの地を取り戻してみせること、ここにお約束致します」
必ず。
ルリエッタの為に。
あの明るい夏の花の様な彼女を育んだ美しい国を、取り戻してみせよう。
言葉にすれば勇ましいが、空々しくも感じる。
ただ、そう思い込むことが、唯一、私が私の形を保っていられる方法だという事を、本能的に感じていた。
「力づよき、有り難いお言葉、重ねてお礼申し上げます」
そこまで言って、感極まったように義姉は泣き伏した。そして、むせび泣きながら言った。
「必ずや、必ずや、この無念を晴らして下さいませ! そして、グスカの者共に、ガーネリアの受けた屈辱を身をもって思い知らせてやって下さいませ!」
「お約束致します。この蛮行に対し、グスカにグスカの王に死をもって償わせましょう」
「グスカに死を!」
一番上の兄が立ち上がり、盃をあげた。
「グスカに死を!」
その場にいた者が、唱和した。
グスカに死を。
本当は、そんなことどうでも良い。何をしたところで、ルリエッタは戻ってはこないのだから。
チャリオットはどこに行ってしまったのだろう?
やけに冷めた心を私は隠し、人々の繰返す声を聞いていた。