この虚しさ。
 それからも多くの人間の命を奪い、手を血に染めた。
 しかし、どれだけそうしようとも、心に空いた穴を埋めることはできなかった。
 私は笑えなくなった。
 泣くこともなかった。
 哀しい、という感覚がどういうものか忘れてしまった。
 そして、寂しいという感覚もどこかに置き去りにしてきたようだ。
 形ばかり取り繕って、それらしく振舞うことにも慣れた。
 ひとりでいる時が、一番、安らげた。
 それでも、眠れば、嫌な夢を見るようになった。
 戦場の夢だ。
 お陰で、酒は強くなった。
 いつからか、『死神』と呼ばれるようになっていた。

「コランティーヌは、ディオさまのお傍を決して離れは致しませんわ。ディオさまの為になら、なんでも致しましょう。どれだけでも心を尽くしましょう」
「有難う、コランティーヌ」
 コランティーヌは誰よりも美しい姫になった。
 国一番の美貌の姫と誰もが褒めそやし、その頼りなげな風情と楚々たる控えめな態度に、男たちは、誰もがその手を取りたがった。
 だが、彼女はそのすべてを振り払い、私の手を取った。そうすることが、当然のように。他に選択肢がないように。
 いじらしいほどに私の為に心を配ってくれた。どうしてか、と思うぐらいに、優しさを与えてくれた。
 ルリエッタのような明るさも、伸びやかさもなかったが、それとは別の意味で一緒にいて楽だった。
 装ったままの私を、そのまま受入れてくれたから。
 空洞のままの私に、気付くこともなかったから。
 私は彼女と婚約し、そして、破棄した。
 色々理由はあったが、多分、一番の理由は、私の心が空虚なままだったからだろう。
 戯れに他の女と肌を合わせることはあっても、コランティーヌを抱くことは一度もしなかった。

 二度と、猫を飼う気は起きなかった。

 結局、あの場で約束したガーネリアの地を取り戻し、グスカ国王を死に至らしめるまでに、十年の時を要した。

 トゥーラッ! ディオ! トゥーラッ! ランデルバイアッ!

 兵士たちの歓喜の声が、嘗てガーネリアの国であった土地にこだまする。
 あの時、私が焼き払った森は姿を消し、平原の広さは倍以上に拡大していた。
 そして、私の横には、十年前どころか一年前にもいなかった者がいた。
 神の御使いと呼ばれ、乱を呼ぶだろう黒い瞳を持つ女だ。本来は黒かったという髪の色は真っ白で、元の色がどうであったか想像がつかない。
 本来ならば、この手で殺す筈の女だった。生かしておいても、ろくな事にはならないと分かっていた。
 だが、何故かそうする気になれなかった。はじめて会った時から数ヶ月経った今でも、その理由は分からない。
 チャリオットを思わせる髪の色がそういう気にさせたのかもしれない。或いは、黒い瞳が似ていたからかもしれない。
 兵士に殴られ、すべてを諦めたようにしたその姿に同情したのか。今更?
 いい加減、人を殺すのにも飽き飽きしていた。
 嫌な夢を見るのも、女の泣き顔を見るのもうんざりだ。
 そして、見知った顔の死に顔を見るのも、苦痛に歪む顔を見るのも。
 それを減らせるものならば、利用してやろうという気になった。
 利用できると思ったからそうした。
 それだけだろう。……多分。
 今は王となった一番上の兄の許可を得て、命を守る約束で、戦を手伝わせた。戦略を考えさせ、それを実行した。
 そして、結果、大勝を得た。この十年がなんだったのかと思うほどに、圧倒的な我が軍の勝利だ。
 もし、十年前に彼女がいたならば――否、それは、考えるまい。
 私は、やっと取り戻せた約束の地を見渡した。
 見渡す限りの広い草原。馬を駆るには、良い地だろう。戦の痕さえなくなれば。
 風渡る風景に、未だ、嘗て恋した少女の言葉にあった国は見当たらない。そして、少女の姿も何処にも見えはしなかった。
 ルリエッタ、何処にいる?
 この勝利を喜んでくれているだろうか?
 そんな思いが過ったが、なんの感慨も喜びも湧いてこなかった。

 ひとつ肩の荷を下ろした気分はあるが、風が通り過ぎていく心持ちだ。
 気がつけば、隣で騎乗する女は空を見上げていた。
 遊戯室で、窓の外を眺めていたチャリオットの姿に重なった。
「何か見えるのか」、と問えば、「いいえ、なにも」、と返事があった。
 妙な女だ。
 私が知る限り、どの女とも似ていない。
 母とも違う。
 ルリエッタとも違う。
 コランティーヌとも違う。
 知っているどの女にも似ていない。
 一番、似ているのは、チャリオットだと思う。
 ランディはウサギだというが、やはり、私には、嘗て飼っていた猫が思い出されてならない。
 いつも面倒臭そうにしているところや、そのくせ敏感で、人の考えを読もうとしたり、気配を感じ取っている様子が窺える点や、なにをしでかすか分からないところなど。
 一度、攫われて戻ってきた時の様子など、埃まみれになっていたチャリオットとそっくりだった。
 余程、腹に据えかねたのだろう。なりふり構わず、公衆の面前で、威嚇の怒鳴り声を張り上げた。
 以来、彼女は魔女と呼ばれるようになった。
 どう見ても頼りないのに、存外、しぶとい。図々しささえ感じる。
 なのに、本人は素知らぬ顔をする。時には、女の顔をして躱してみせる。その場を誤魔化したり、取り繕うのが、滅法、上手い。
 仕事をさせている最中は、顔には露骨に『嫌』の文字が書いてあったし、癇癪を起こしたのか、知らない言葉を大声で喚く声を耳にもした。多分、あれは、私への悪口だったと思う。だが、次に顔を合わせた時には、しれっとしていた。
 嫌がっているに違いないのに、夜、寝る間も惜しんで命じた仕事をしていたと言う。敵国にいる友人を助ける為に躍起になっている。
 それだけ苦労を重ねた仕事なのだから、少しは達成感というものを感じさせてやろうと思って連れて来てみれば、歓びに湧く兵士たちの姿を見て、猿山の猿呼ばわりをした。
 律義なのか、義理堅いのか、そうでないのかよく分からない女だ。
 だが、分かる気もする。おそらく、私と務めに対する態度は似たり寄ったりなのだろう。
 妙な女だ。
 一緒にいると、調子が狂う。
 気がつけば、自然と笑っている自分がいる。
 そんな感情など、とうに失われていたと思っていたのに、何か欠片みたいなものを拾った心持ちにさせられる。
 妙な気分にさせる女だ。

 だが……悪くはない、と思う。

 春の季節の草原。黄昏の時間にはまだ早い。
 それとも、何かが変わりつつあるのだろうか?
 私は、指輪に形を変えた青い色を見る。
 手綱を握る指に嵌められた宝石は、今も常に私と共にある。
 が、それは何も語りはしない。

 トゥーラッ! ランデルバイアッ! トゥーラッ! ディオ!

 兵士たちの声が、いつまでも繰り返し続いていた。







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