――ランデルバイアの冬は長い。雪に埋もれ、厳しい寒さが続く。その中ではさして何もする事もなく、時間だけはたっぷりとあるからな……

 以前、女王陛下は私にそう言った。
 そして、ここ、ランデルバイアは、今、その季節を迎えている。
 部屋の窓から見下す風景は、白一色。
 灰色の空が一面に広がり、遠くに見える山脈もぼんやりとした輪郭でしかない。薄い光の中、影は周囲に溶けて姿を消し、全てが平面に見える。屋根という屋根、道という道は全て雪に覆われ、木も草も氷の塊でしかないようだ。
 だが、それらが眺められる内はまだましだ。降り続ける雪で何もかも真っ白で、なにも見えない事も珍しくはない。
 明るさが保たれているのは、一日の内、辛うじて六時間ほど。午前九時頃に漸く、朝になったかと思い、午後の三時ごろには、もう夜か、と思う。それすらも、吹雪になれば、さっぱり分らなくなる。陽の光など、この世にもう存在しないのではないかと思わせる。
 冬。
 雪の女王と冬将軍が支配する世界。
 冬眠しないのが、不思議なくらいの世界。
 自然の驚異の前では、人の力の無力さを知らされる世界。
 しかし、そんな事よりも、何よりも。

 さぁあむぅいぃよぉおおおおおおおっっ!!

 寒いっ! 死ぬほど寒いっ! いや、マジ死ぬッ! 凍え死ぬ!
 寝るな、寝ると死ぬぞ、と言いながら往復ビンタを食らわせるなんてネタは、冗談にならない。
 雪山登山だ。八甲田山だ。シベリア奥地だ。
 窓の外からは、びょうびょう風の鳴る音が響いて、常に地震が起きているかの様に窓ガラスや木戸を揺らしている。
 稀にそうでない晴れ間もあるが、朝、澄んだ青空を拝める日は、矛盾しているようだが、気温が低くなる兆候なんだそうだ。
 平均気温で、氷点下は確実。マイナス何度なんて事は分らないが、兎に角、これまで経験した事のない寒さだ。多分、北海道より寒いんじゃないだろうかと思う。
 中世ヨーロッパを思わせる、産業革命以前の電気もないこの世界で、唯一、私が頼れるものと言えば、石炭ストーブ。
 秋の終り頃に部屋に運び込まれ、以来、焚いて貰っている。でも、暖さに限度がある。足下が冷える。 炬燵プリーズ! 使い捨てカイロ! えーん、寒いようっ!
 今頃、南の暖い地域に移動してったタチアナ姐さん達が、羨ましいなんてもんじゃない。
 あと出来る事と言えば、着膨れるしかない。が、これに関しては、冬仕様のドレスとして若干、生地が密になり厚みを持った他、申し訳程度の飾りの毛皮が、裾や袖口などについた程度。下にかっちりとしたコルセットを身に着ける様にはなったけれど、ババシャツほどの効果もない。ぜい肉をぐいぐい胸に集めるぐらいのもんで、詰め物がなくなった分、寒いぐらいだ。
 一時は激痩せした身体も、秋の実りのお陰で元の体形に戻りはしたが、それにしたって寒い。
 後は、これでもかってぐらいに重ねたペチコートの重ね履きする他は、そんなに変わらない。あとは、上にケープや毛皮の外套を着るぐらいか。
 もっと重ね着をさせてくれ、と頼んでみたが、専属メイドのサリーとロイスに却下された。
「それでは見栄えが悪くなりますわ」
 この一言の内に隠されている意味は、実は深い。と、言っても、ほんの三センチほどだけれど。
 泣く。でも、マジで泣いた先から凍るので、泣かない。氷ぱりんぱりんの顔は嫌だよ。ああ、でも、汗かいてもいいから、激辛ラーメンが恋しいよう。
 実は、私はこの三ヶ月間で二度、風邪で寝込む経験をしている。
 冬のはじめの頃と、年末から新年にかけて。鼻、咽喉、熱のフルコースを経験して、それぞれ一週間、ベッドの中で過した。
 おかげで、冬の到来と共にあるという、光の神シャスラムを招き入れるという祭祀と新年を迎える祭りの両方を見逃した。くそう!
 日本にいた時は病気とは無縁で、すこしは風邪をひいて会社を休みたい、と思ったりもしたあの馬鹿さ加減が懐かしい。
 そんな理由から、暇な時間は、貰った毛糸を使って編み物をする。ゴム編みしか知らないけれどさ。こっそりと、レッグウォーマーを編んでたりなんかして……毛糸のパンツも編むべきだろうか?
 それとは別に、夜寝る時用に、特注で湯たんぽも作って貰った。
 最初、頼んだ時は変な顔をされたが、これが意外に良くて、メイドさん達にも教えたら広まり、城内で密かなブームになりつつある。
 女性の冷え性は、万国共通の悩み。皆、言わなかっただけで、足先の冷えには悩まされていたらしい。朝起きた時に、中のぬるま湯を使って顔が洗えるって所も好評だったりする。
 そんな事もあったりするが、やはり、寒さは如何ともしがたいものがある。
 聞けば、外では、金属が何もしないでも肌に張り付くんだそうだ。
「以前、癖だったんだろうね、持っていたナイフを、つい口にくわえてしまった者がいてね」
 ランディさんが、話のついでに教えてくれた。
「くわえて直ぐに『しまった!』と思ったらしいんだが、その時には既に遅くて、唇にナイフが張り付いて外れなくなってしまったんだ。そういう時は溶かして剥がすしかないんだけれど、生憎、野外で、湯を沸かす道具もない」
「どうしたんですか? まさか、ずっとそのままで?」
「いや、そうはいかない。ナイフも必要だから出したんだし。だから、意を決して、無理矢理、引き剥がす事にしたんだ。そして、実行した」
「……痛かったでしょう」
「そりゃあ、痛いなんてもんじゃないよ。口中血だらけで、直後は、まるで人を食べたかの様だったらしい。それも直ぐに凍りついたけれど。でも、傷が深くて、暫くの間、ろくなものが口に出来なかったそうだよ」
 ひぃぃぃぃぃぃっ!
「だから、ウサギちゃんも気をつけるんだよ。迂闊になんでも触ったりしたら、離れなくなるからね」
 ランディさんは、にっこりと笑って私に言った。
 そういうランディさんは、衿に毛皮のついたコートの様な厚手の騎士服。その上から全身を覆う様なマントを身に着けているくらい。外出時には、頭に毛皮の帽子を着用。
「寒くないですか」
 そう訊ねると、「慣れているからね」、と余裕の表情。
「なんだかんだと動く事も多いから、そう気にならないよ。逆に、じっとしている方が寒い」
 そうかもしれない。
 城の騎士や兵士は、寒い中でも動き回っている。その主な仕事と言えば、雪掻きだ。
 兎に角、毎日、積もる雪を総出で掻く。放っておくとえらい事になるので、延々と掻きつづける。
 ラシエマンシィの城と言わず、城壁と言わず、玄関先の道と言わず。雪に埋もれる半年近くを、掻いて、掻いて、掻きまくる。
 それでも、一度、吹雪になれば、すぐに元の木阿弥。
 最初はさらっさらのパウダースノーでも、十日も降り続けば雪の質も水分を多く含むものに変わり、それが固まると、コンクリート並の重量と堅さになる。現実、街では押し潰される家もあるそうだ。そうならなくても、傷む。だから、延々と掻く。掻き続ける。
 いっこうに成果の見えない、虚しい仕事だ。
 が、実は、この仕事こそがランデルバイア軍の強さにも繋がっていたりする。
 雪掻きの仕事は単調で、地道さが要求される上に、とても体力がいる。持久力は養われ、しかも、精神すらも鍛えられる、一石二鳥の恐るべき苦行。つまり、日々、鍛練を行っているのと同じ事になる。連帯感のおまけつきで。
 ランデルバイア軍の底力。体力の源。一枚岩とも言える意志疎通力。
 それが、この冬に培われている。降り続ける雪と共に。雪が溶ける季節まで。
 戦のない季節は穏やかで平和な時とも言えるが、それでものんびりとしているわけではない。
「姫さま、王子様方よりの使者の方がおみえに」
「分りました」
 ゲルダさんの言葉に、私は渋々、編みかけの毛糸を置いて立ち上がる。
 縁に毛皮のついた白い外套を羽織り、目深にフードを被って部屋を出発。扉を開けて廊下に出ると、そこにはすっかりお馴染になった顔がいた。




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