「やあ、今日はまるで、雪の精の様だね。実に愛らしい。でも、このまま溶けてしまいそうな儚さに、怖くも感じる」
 相変わらず気取った言い回しの挨拶。ガーネリア国の臙脂色を基調にした騎士服もすっかり板についたスレイヴさんは、微笑みながら私の手を取り、手袋越しに形ばかりのキスを落す。……これがあるから、手袋も厚手のものを嵌められないんだ。ずっと城の中にいて、マフをぶら下げているわけにもいかないし。
「今日も寒いですね」
「ああ、この寒さばかりは如何ともしがたいよ。グスカにいた頃では、考えられない寒さだ。そんなに変わるまいと思っていたんだが、甘く見ていた。一緒に来た連中でも、こればっかりはどうしよもなく震えているよ」
 同志!
「風邪、治りましたか?」
「ああ、なんとかね。こじらせない内に治って良かったよ。君の主治医から貰った薬が効いて助かった」
「それは良かったです」
「でも、少しは悪くして、君に看病して貰えば良かったかもしれないと思うと、少し残念だね」
 ははははは。また、この人は……笑って、スルーだ。
「では、そうならないように暖い道を通っていきましょう」
 差し出された腕に軽く手を添えてエスコートを受ける。
 広い城の中でも、暖い通路と寒い通路の差は顕著だ。やはり、人の出入りの多い場所が近い通路ほど暖く、それでよりその通路を選ぶ人も多くなる。
 とは言え、私のいる殿下の私邸がある東棟の上階や陛下の私邸となる南棟になってくると、出入りできる人間も人数も限られてくるのだが、まあ、その辺は権力者らしく常に暖炉などに火が入れてあって、召使いたちが頻繁に利用する通路なんかは、その空気が回るよう暖かくする工夫がしてあるみたいだ。
「王子様方の、きょうの御機嫌は?」
「まあまあかな。今朝、侍従長に注意を受けて、上の王子が少し拗ねていたみたいだけれど」
「やんちゃ盛りだから」
「まあね。でも、王となる者はあれぐらい元気があった方が良いよ。下の王子は、ギャスパーにお馬さんごっこをねだって、一緒になって遊んでいる。あれを見ていると、時々、年がそう代わらないんじゃないかって思うよ」
 クスクスと軽い笑い声交じりに言う。……まあ、今のグスカ王が『女々さま』だったから、そうも思うか。
「サバーバンドさんも一緒に?」
「まさか、ラルは女王陛下の護衛だよ。なんだかんだと連れ回されている」
「ああ」
 サバーバンドさんはそつがないから。安心して、女王陛下の護衛も任せられるのだろう。
 彼等はグスカからの亡命組。とは言っても、一時的なもので、ランデルバイアではなく、来年から再建が本格化するガーネリア国への移住希望者だ。だから、ガーネリア王家の血筋であるロクサンドリア女王陛下と、王になられるであろう第二王子、ローディリア王子に忠誠を誓っている。とは言え、今は王子達も纏めて育てられている最中なので、自然とグラディスナータ王子にも仕える形になっている。
 この国の正嫡である、グラディスナータ王子とローディリア王子。御年、七才と五才のちびっこ。
 親が親だけに、二人とも、見た目は女の子みたいに可愛い。さぞかし将来は、と楽しみなおこちゃま達だ。だが、やっぱり男の子。一度、やんちゃが始まると怪獣なみに騒々しく、手がつけられない。
 雪掻きの仕事はない私だが、代わりに王子様方の子守りを偶にしている。最初は女王陛下の要請だったのだが、最近は、王子達、御自ら呼び出しがかかる。懐かれた、というより暇潰しの相手としては良かったようだ。
 呼び出されては、私は、彼等に私の知っているお伽噺を話して聞かせている。
 暇な時に文章に書き起こしていただけなのだが、それが陛下らの耳にも入って、書く以前のものでも聞かせてやってくれ、と御依頼を受けた。
 書くのは良いが、面白おかしく話して聞かせるのは難しい。それでもなんとか、話の面白さにカバーされる形で話したりしている。
「きょうはどのような噺を聞かせてくれるか」
 南棟三階にあるこども達の部屋。
 ゆったりとした一人掛けの椅子に腰かけたグラディスナータ王子は、王子様以外の何者でもない様子で、鷹揚に私に問う。こどもらしくない口調は生意気にも感じるが、まあ、仕方がない。
 周囲に傅くメイドさん達と、護衛の騎士達にスレイヴさん。そして、陛下の側室の一人であるテルイーリア妃とそのお付きの方々も御一緒だ。ローディリア王子はいないところを見ると、ギャスパーくんと別室で遊んでいるのだろう。
「さて、どの様なお噺を御所望でしょう」
 と、問い返せば、
「勇敢なる騎士の噺が良いな。テルイーリアはどうだ」
「私は、姫君の出るお噺が宜しゅうございますわ。可愛らしいものが良う御座います」
 鈴を振った様な声が答えた。
 テルイーリア妃は、零れ落ちそうなヘイゼル色の垂れ目の可愛らしい方で、御年二十六才と私より二つ下。常に柔らかい布を纏っているかの様な、優しい雰囲気そのものを体現したかの様な美人だ。柔軟剤でも使ったかと思うほど、見るからにふわふわして柔らかそうである。そして、性格もまあ、相応に緩い。
 ……決して頭が緩いわけではなく、性格が。『要請』と聞いて『妖精』と脳内変換をするような感じだ。ぶっちゃけ言えば、天然ボケ。優しい方ではあるし、ここまでお花畑な性格だと、突っ込む気力さえ失う。
 そして、今、そのお腹の中では、陛下の御子が育っている。あと半年もすれば、御出産の予定。
 そんなわけで、暇な時期に更に身体を気遣って暇になっている側室の方は、こうして私のお噺会に参加するようになっていた。
 お腹の子は産まれるまで性別は分らないが、姫が望まれているらしい。まあ、その方がいいだろうな。でも、男でも女でも、どちらに似ても、将来、美形になる事は間違いないだろう。
 王子からすれば、テルイーリア妃は義理の母親で、お腹の子は腹違いの兄弟姉妹にもなる関係だが、両者共に良好な関係を築いている様だ。
 実に結構。将来、跡目争いみたいな事はよして欲しい。
 因みに陛下の側室、身分的には第三妃になるフランリスカ妃は妖艶系美女で、ここぞとばかりに陛下にべったりらしい。女王陛下とは、ちょっとだけ女の戦いというのをやっているみたいだ。でも、お二方ともそれなりに『分っている』そうなので、そう激しい事にはならないそうだ。『暇潰しの戯れ』、と女王陛下は言っていた。
 そして、アストラーダ殿下の元奥方であったポリアンナ妃は、さすがにあの殿下のお妃だっただけあって、学者肌というか変わった方の様だ。ありとあらゆる生き物が大好きで、独自で生態の研究なんかもしているらしい。知的美人と言えばそう。現在、おひとりでファーデルシアに滞在して、あちらに滞在する貴族たちと交流をしながら、昆虫などの観察をしているという話だ。
 まあ、元々、政治的な理由から陛下の側室にあがられた方ということもあって、側室としての役目でも、跡継ぎを産むことよりも、アストラーダ殿下派の貴族との仲介役に徹しておられるらしい。その方が好きな研究に打込める時間もある、という面で喜んでもいるし、陛下も自由にさせているようだ。
 そういう意味で言えば、側室でもう一方、チェスタリア妃がおられるが、実はこの方はラシエマンシィにはおられない。だから、詳しい事情は分からないが、やはり、政治的な意味合いで側室にあがられた方だそうだ。
 チェスタリア妃は身体が弱く、病気療養という名目で、他の城に召使い達と共にひとりで暮らしているそうだ。
 名目の理由は、陛下とは別に好きな男性――幼なじみの下流貴族の伯爵であるらしいのだが、がいて、それを陛下は黙認されている、と女王陛下からオフレコで聞いた。……またかよ。なんかの流行か?
 妃は側室にあがったばかりの頃は、泣きはしないものの塞ぎがちの上、臥せってばかりいたらしい。陛下としても、手をつける気にもなれなかった上で、城から出したそうだ。
 まあ、こういう先例がいたから、似たような理由が原因で先に亡くなった側室相手にも強く言えなかったのもある。だが、それもそれで、なんにも役に立たない一人分の予算が王室には負担になるわけだ。
「元々、身分違いではあったが……ネリアス伯にもなにか功績あれば、それこそ褒美としてとらすことも出来るのだがな。だが、騎士でもない、下流貴族の者には難しくもあろう」
 溜息交じりでぼやかれた。これもまた、難儀そうな話だ。
 だが、これだけ個性的な女性達を嫁にしている陛下も、いろいろと大変そうだ。好きでこれだけ側室を置いているってわけでもないという事はわかった。
 ……まあ、そうだよな。いくら出来が良い男だとしても、一人でまともに相手できる人数なんて、限られているだろう。オンナはそれほど甘くはない。
 閑話休題。
 大まかにそんな感じの人間関係の中、私はよく分からない立ち位置を保持しながらのらりくらりとやっている。
 私はお二方の注文に、少し考えて言った。
「では、親指ほどの小さな剣士の話にいたしましょうか。姫君も出て参りますので」
 言わずと知れた一寸法師の物語。でも、こちらの世界風にアレンジして話す。お椀の船は、ティーカップに変わる。打ち出の小づちは、まあ、金ぴかの槌って説明にしておくか。

 ……実に平和だ。




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