食事を終えて、暖炉のある隣室へ移動。
 大きな暖炉には火が入って、部屋はぽかぽか状態だ。やっぱり、ストーブとは威力が違う気がする。時々、木の爆ぜる音も聞こえてくる。
 何の動物かは知らないが、茶色い毛皮の置かれたソファの上に落ち着く。ちょっと皮の匂いが鼻につくが、まあ許容範囲。直ぐに慣れた。
 だが、座り直して、ドレスの後ろ腰のドレープが鬱陶しく感じる。
 一見、シンプルな赤のドレスだが、ちょっと色が派手なのもなんだか。胸元も少し開き気味だし。……なんか、似合わないよなあ。
 なんとか座りを良くして、ここでは斜向かいでグラスを傾ける。召使いの人も下げられて、二人きり。
 渡されたのは無色透明の液体の入った、ワンショットグラス。
 ウォッカか、と舐めてみれば、桜餅みたいな癖のある匂いが鼻腔に届いた。ズブロッカか。
 ヨモギ系の植物もあるらしい。どちらにしてもアルコール度数は高そうで、あまり量は飲めなさそうだ。
 エスクラシオ殿下はそれを一息で空にすると、二杯目を注いだ。
 ……相変わらず、強い。ま、私は自分のペースで飲まさせて貰うさ。
 以前に、この部屋を訪れたのは、戦が始まる前の事だった。本隊より先行して出発する前日、壮行会みたいなものを開いてくれた時だった。
 あの時は、まだ自分が何をしようとしているのか、何が起きるのかも、全く分かっていなくて、やはり、こうして二人でお酒を呑みながら、冗談まじりに笑いもした。
 ……そう言えば、今日はあの時と座る位置が逆だな。どうでも良いけれど、横に広いからちょっと落ち着かない。
 傍らにあったクッションをひとつ、引き寄せた。
 暖炉の炎と蝋燭の火に囲まれて、酒をちびちび舐める。当たり障りのない話を二、三してから、訊きたい事を訊いてみた。
「あのう、前から訊いてみたかった事があるんですが、良いですか」
「なんだ、改まって」
「私の事なんですけれど」
 黙って向けられる視線に、刹那、どう訊ねたものか逡巡する。ズブロッカで唇を湿らせ、間をとった。
「最初に陛下に私の命を助けるよう進言して下さった時点で、コランティーヌ妃に命を狙われるかもしれないという危惧は抱かれていたんでしょうか」
「また、難しい事を訊く」
 視線が逸らされ、僅かに俯いた。
「……そうだな。ない事はなかった。が、確証に至るものではなかった為、さほど危険性は感じなかった」
「適度な距離を置いていれば、ですか」
 だから、最初は、一部下として、他の兵士達と変わらない待遇と場所に置かれたのか。
「その理由だけではないが」
「ある程度の自由を確保する為にですか」
 これは、前にアストリアスさんから聞いた。
「そうだな」
 ううん。
「やっぱり、猫扱いですか」
 そう言えば、くくっ、と笑う声が、「そうだな」、と答えた。しかし、その笑い声もすぐに消える。
「気をつけたつもりではあったが、おまえが狙われた時点で驚きもした。フィディリアス公の名が出た時は、まさか、と思ったぐらいだ。待遇の良い扱いをしていたと言えなかった筈なのだがな」
「確かに。女扱いはされていませんでしたね。というより、普通の兵士よりも冷たい扱いでした」
「そうだったか」
 苦笑いが浮かんだ。
「目立たせるわけにいかなかった」
「分っていますよ。女ってだけで、何も知らない他の兵士に何をされるか分らなかった事もあるでしょう」
 結局は、私自身の手で目立つ羽目になってしまったけれど。
「ファーデルシアの王城で初めて会った時の事を覚えているか」
「……はい」
 私は既に黒髪の巫女として引取られた美香ちゃんに呼ばれ、間違って神殿の前に連れていかれた。そこへ殿下がやって来た。その時の私は、この人が何者であるかを知らなかった。
 また、軽い笑い声が立った。
「あの時のおまえの顔は、猫そのものの様だった」
「そりゃあ、まあ、いきなりでしたから」
 だって、あんまり好いオトコだったから。放つ存在感やインパクトに吃驚した。
「そう言えば、なんであの時、あんなところにいたんですか」
 黒髪の巫女を引き渡せと、ファーデルシア王と会談があったのに。
 二杯目のグラスが空になった。……もう一杯ちょうだい。味に慣れれば、結構、美味しい。
「今思えば、不思議な話だが」
 と、聞こえる低い声も耳に心地良い。気分良いぞ。
 ちょっと行儀が悪いが、力を抜いてソファの背凭れに身を預ける。……クッションくれ。も、一個。
「あの時、チャリオットを見た様な気がした。いや、チャリオットに似た猫だったかもしれない」
「それを追い掛けて?」
 うん、と頷きがある。
「そうしたら、おまえがいた」
 浮かぶ微笑みに、私も笑った。
 ……肘を置くのにクッション、もひとつ。ああ、これでいいや。
「妙な話ですね」
「そうだな。今となっては、あの猫がいたかどうかも定かではないが、結果、おまえはここにこうしている」
「チャリオットのお導きかと思ったりもしたわけですか。だから、殺すのも躊躇われたとか」
「さあな。そうだったかもしれん」
 そうだとしたら、ファンタジーだ。いや、ホラーなのか?
 まさか、とも思うが、含む笑みには本音が見えない。
「それにしては、随分と良い扱いをして下さいました。攫われた後、お部屋を提供して下さった時には驚きましたが」
 からかい程度の皮肉を混ぜて言えば、ふん、と鼻がひとつ鳴らされた。
「おまえが言ったのだろう」
「私が?」
 それらしいこと言ったか? 覚えがない。
「国を裏切るような真似をして助けたとして、その後の人生の面倒をみてくれるのか、と言っただろう。そこまでの覚悟がなければ助けたいなどと言うな、とグレリオに説教したのを忘れたか」
「ああ、」
 そういや、そんな事を言ったような。つまり、助命を願った時点でも、それを考えていたと?
「必要あれば、って事ですか。制約はあるにしても、いずれは、自立、自活できる様にさせるつもりで?」
 また、「そうだな」、と短い答えがある。
「……意外と律義なんですね」
「言い分としては、尤もなものだったからな」
 別に大した事ではない、と言わんばかりの口調だが、少し御機嫌を損ねてしまった模様。……話を元に戻そう。
「でも、さっきの話、務めの最中にそんな風に追い掛けるなんて、よほど、チャリオットの事を大事にしていたんですね。どんな猫だったんですか。何か特別な事でも? 血統が良かったり、珍しい種類だったとか」
「いや、ありきたりの普通の猫だ。人の言う事など聞きもしない、自由勝手な元は野良猫だ。それを拾った」
 それは、意外。もっと良い猫だと思っていた。
 ――この嫌らしい、ノラネコッ!
 コランティーヌ妃の言葉は、まんまそういう意味だったのか。
 ふ、と青い瞳の色が微かに和らぐ。
「丁度、今の季節だったか。厩舎に猫が紛れ込んでいるという話を耳にした。厨房の食物倉にも猫は数匹いたが、それとは別にどこかから紛れ込んだものだった様だ。おそらく、荷か何かに紛れ込んで入ってきたのが住み着いたのだろう、と馬丁が言っていた」
「猫もいるんですか」
「ああ、保存している食物を守る為に、鼠除けとしてな」
「へえ、そうなんですか。それで? 何故、殿下が飼う事に?」
「ああ。話を聞くに、元は母猫と一緒だったらしいが、母猫はある日、死んでいるのが見付かったそうだ。馬丁達が気が向いた時に餌などをやっていたそうだが、野良であったから、元々、弱く、寒さに絶えきれなかったのだろう、という話だった。子猫は今のところはなんとか生きてはいるが、冬を越せるか怪しいものだと言っていた。その時は別にそんな気もなかったが、好奇心からその猫を見てみる事にした。そうしたら、隅に積んであった飼い葉に埋もれる様に白い子猫がいた。まだ、掌に乗るかという大きさで、痩せた小さな猫だった。それが、私を見て必死で鳴いていた」
「それで飼う事にしたんですか」
「あまりにも、憐れな様すぎてな。よほど、腹を空かせていたのだろう。抱き上げると、震えながら私の指を噛むように吸い付いてきた」
 可愛い話。アストラーダ殿下から聞いた話では、母上を亡くされて間もなくの頃だったと言う。
 母親を亡くしたばかりの少年と子猫。
 まだ幼かったこの人は、子猫に自分の姿を重ねて見たりもしたのだろうか。
 でも、そうでなくとも、この人はそうしたのだろう。……優しい人だから。同じくらい残酷でもあるけれど。
「そんな風に簡単に抱けるなんて、随分と人馴れしていたんですね」
「ああ。母猫は殆ど人を一定以上、傍に寄せ付けなかったそうだが、子猫は馬丁達に餌をねだっていた事もあるのだろう。人を怖れる様子はなかった」
「へえ、じゃあ、それを面倒みて育てる事にしたわけですか。チャリオットにしてみれば、殿下はお母さん代わりみたいなものだったんですね」
「母親といわれるには抵抗があるが……まあ、そのまま部屋に連れ帰って飼い始めたのが最初だ」
 チャリオットとの生活の様子も、少し聞いた事がある。追い掛けたり、追い掛けられたり。チャリオットと一緒の時の殿下は笑ったり困惑したり、他になく、色々な表情をみせていたとアストラーダ殿下は言っていた。時々、猫の悪戯に怒りもしたが、最終的には、膝の上で丸くなっている猫を抱いて撫でていた、と聞いた。
 そして、戦から帰って、その猫が死んだと聞かされた時、その後の行事をすっぽかして愛猫の墓の前に行き、兄である現陛下が無理矢理に引き剥がすまで、ずっと、そこから動こうとはしなかった。その時、殿下の目は、髪の色と同じ色に染まっていたそうだ。……初めての戦場で泣き言ひとつ溢さず、重責を担わされても尚、果敢に立ち向かい、責任を果たして戦い続けた人が。
 そして、以来、表情を隠すようになったそうだ。大人になった、というべきか。
 しかし、それだけ大事にしていた愛猫と比べられるとなれば、そう悪い気はしないが、オンナに対する愛情とは違うものだ。てか、一緒だったら、困る。
「私も拾った様なもんですか」
「似たような感じだな」
 ちぇっ。そんなに憐れっぽく見えたのか?
「また、猫を飼おうとは思わなかったんですか」
「そうだな。飼ったところで、かまってやる暇もないだろう」
 白々とした表情に、やはり、なにも見えて来はしない。
 まあ、でも、そっか。やはり、この人にとっては、私はオンナではないのだな。まあ、オンナやってなかったしな。そっか……よし。




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