王子さまからの呼びだしを断った手前、本当はいけないのだが、いたたまれない気分に、食事の後、部屋の外に出た。
 軽く湯浴みをして昨夜の痕跡は洗い流した筈なのだが、身体の感じがいつもと違う気がする。細胞そのものが変わってしまった様な、微かな気配みたいなものが纏わりついている。
 違和感と言うのとも違っている。それは、浮ついた心がそう感じさせているのだろうか。
 とりとめのない感情ばかりが、入れ替わり立ち替わりに心の中に浮かんできては、認識する間もなく散じて消えてしまう。雪のように。
 何処に行くとは決めておらず、ぼんやりと廊下を歩く。独りになりたかった。が、何処があるだろうか?
 ふ、と窓の外を見れば、雪はやんでいた。まだらな灰色の空が広がって見える。
 と、三階に下りたところで、偶然、アストリアスさんに行き合った。雪の合間に登城してきたらしい。
 寒くても、ダンディぶりはいつも通り。元気そうだ。
「おや、この時間に会うとは珍しいね。なにかあったかい?」
 ぎくっとした。そうだ。いつもは、アストラーダ殿下とのお茶をしている頃。
「いいえ、なにもありませんが」
「そうなのかい?」
「ええ。今日はたまたま。アストリアスさんは今日は? お仕事がお忙しいんですか?」
 苦し紛れに誤魔化す。
「ああ、仕事というわけではないのだが、少々、女王陛下よりお話があってね」
 そう言って、私を見て微笑んだ。
「ところで、今日の君は一段と可愛らしく感じる。白い色がとてもよく似合うね。ランディではないが、ウサギの様な愛らしさだ」
 わあ、確かに可愛い系の恰好だけれど、そんな言われ方されると照れる。自分でも、なんとなくそんな感じはしていたが、やはり、猫よりはウサギか。
 今日は、外套も白ならば、ドレスも真っ白。高い衿首や袖や裾の他、あちこちにふわふわの毛皮の飾りがついて、それも真っ白しろ。全身、白づくめ。
「有難うございます」
「うん。いつもと違った雰囲気に見える。表情が柔らかく見えるというのか。とても、女性らしい」
 ぎくっ!
 まさか、もう知ってる?
 だが、にこにことした笑顔に、裏は感じられない。
「久し振りだから、そう感じるのかもしれませんね」
 笑って誤魔化す。
「そうかもしれないね」、と答えがあった。
「ところで、殿下にはお会いしたかい」
 ぎく、ぎくっ!
「いえ、どうかされたんですか」
 びくびくしながら訊ねれば、うん、と心持ち小首を傾げる雰囲気がある。
「いや、先ほど執務室に行ったのだが、おみえにならなくてね。この時間におられないというのは珍しいから、どこに行かれたかと思ってね」
 なんだ、そんな事か。
「さあ、今日はお会いしていませんが」
 厳密には、今朝、会ったっていうか一緒だったけれど。
「そう。君も殿下のお傍を離れて、なかなか会う機会もないか」
「ええ。でも、昨日はお食事を御一緒しましたよ」
「ああ、そうなのか。愉しかったかい」
「ええ、久し振りでしたから」
 ……それだけじゃなかったけれど。
「偶にはそういうのも良いだろう。冬は退屈であったりするものだからね」
「そうですね。殿下も滅多に外にも出られないでしょうから、お暇だったようです」
 にこにこにこにこ……営業スマイル全開で遣り過ごす。
 なんなんだ! なんかすごく微妙なところを突かれている気がするぞ。
「ああ、そうだ」、とアストリアスさんが思い出した様に言った。
「それで思い出した。その内、晴れ間もあるだろうから、その時はランディにでも言って、一度、外へ散歩に出ると良い」
「外に? 良いんですか?」
「うん。誰かと一緒ならば、良いだろう。窓から眺めるばかりでは気も滅入るだろうし、偶には、外の空気を吸う事も必要だろうしね。移動には、犬ぞりを使えば良いよ」
 うわあい。
「犬ぞりって乗った事ないです」
「そう。だったら、一度、試してみると良い」
「是非。愉しみです」
 それじゃあ、と軽く挨拶をして、別れた。
 ほっ、と一息。
 心臓に悪いっす。
 いや、同衾がバレたからってどうなるものではないし、アストリアスさんが知ったからって大袈裟にする事はないと思うのだが、やはり、男同士で片付けて欲しい話だ。……ランディさんの事も含めて。
 兎に角、何処かへ行こう。一人になれる場所。何処が良いだろうか?
 ほとほとと廊下を歩く。階段を下りて、中央棟へ。と、こういう時に限って、
「あれえ、おおい! キャスぅ!」
 廊下の端から大声で呼ぶ声があった。こっちに向かって片手をブンブン振り回している。無視しようとしても出来そうにない目立ち振りだ。現に、貴族らしき通行人が驚いて、こっちを振り返った。
「ギャスパーくん……」
 サバーバンドさんも一緒だ。思わず、顔を手で覆いたくなる。
 よりにもよって! 本当にこの世界はこんなやつばっかりだ!




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