しかし、だ。
「こんな所で奇遇だね、ミズ・タカハラ」
 いやん!
 人に会いたくない時に限って、どうして次から次へと遭遇してしまうのか。
 アメリカ人医師、ケリーさんが軽く手をあげて挨拶をしてきた。
「こんにちは、ケリーさん。診察ですか」
 日本人のお家芸のアルカイックスマイル発動。手に持つ特注の診察バッグを見て言った。
「そう、クラウス殿下に頼まれて、ギリアムくんのね」
 聖騎士、まだ寝込んでいるのか。
「具合、悪いんですか」
「いや、大した事はないのだが、こじらせてからも無理をしようとするから、なかなか完治とはいかなくてね。あれだけ駄目だって言っているのに、少し良くなったところで、また修業だなんだと言って薄着で動き回って、本当に世話のかかる患者だよ。他人に移す事になるって何度説明しても聞かないんだ。肺炎になってもおかしくないのに……困ったものだよ」
 まったく、あの男は! 馬の耳に念仏だな。
「頑固ですね」
「まったく。処置なしだよ。これだから、行きすぎた信者というのは厄介がられるんだ」
 それは、同感。
「依存症みたいなところもあるんでしょうね」
「そればかりではなくて、彼の場合、しっかりとした人格が形成される以前からのものだし、アイデンティティの根っこみたいになっているから、どうしようもないかもしれないね」
 と、首が竦められた。
「日課というのもあるのだろうな。陽のある内にしなければいけない儀式というものもあるそうだから」
「ああ、日が短いですからね」
 もう、午後だしな。すぐに日暮れになってしまう。だから、皆に会う確率も高かったか。失敗した。
 そうだね、とケリーさんは頷いた。
「それはさておき、君の調子の方はどうだい」
「お陰様で健康です。ケリーさんは如何ですか」
「ああ、私もいいよ。ありがとう」
「でも、ロスとは全然、気候が違うでしょ。寒いんじゃないですか」
「確かに。太陽が恋しくて仕方がない。いつでもスキーが愉しめるという点では、夢の様ではあるけれど。まるで、スイスのリゾート地に来ているかの様だね」
「スキーがあるんですか?」
 吃驚して訊ねれば、おや、と微笑まれた。
「あるんだよ。我々の世界ほどしっかりしたものではないけれど。橇《そり》もこども達の遊びで一般的なものだよ。君は知らなかったんだね」
「橇はあるだろうとは思っていましたけれど。犬ぞりがあるくらいですし」
「ああ、うん。これだけの雪だからね。スキーもあっても不思議ではないだろう? 流石にスノーボードはないが。丁度、山の西側の斜面で良いところがあってね。スキー場の様に整備されているわけではないが、なかなかのコースだよ」
 へえ。知らなかった。
「そう言えば、西側がどうなっているかなんて、気にしていませんでした」
「そうなのかい。なかなか良い感じだよ。一部は城の敷地になっていて、庭の様にもなっている。機会があれば、行ってみると良い。護衛がついていれば許可されるんじゃないかな」
「へえ、ちっとも知りませんでした」
「うん、お薦めするよ。ストレス解消にもなるだろうしね」
「ああ、でも、私は運動神経はあまりよくないので」
 スキー経験は、付き合いで行った二回だけ。それも、まともに滑れるって感じじゃない。
「そうなのかい。でも、散歩するだけでも良いだろう。離宮やら騎士の宿舎だろう建物も点在していて、それを眺めるだけでも興味深いよ」
 それに、と付け加えられる。
「意中の彼と出掛けるには、良い所じゃないかな」
 パチン、と映画に出てくるような洒落た仕草のウィンクが投げ掛けられた。
 うっひゃーっ!
「い、意中の彼、ですか?」
 問い返せば、「おや、違うのかい」、と逆に意外そうな顔をされた。
「てっきりそうだと思ったんだが」
 そんなにフェロモン垂れ流しているかっ!? ホルモンだだ漏れしているのかっ!?
「どうしてそんな風に……」
「いつもと顔つきが違うから、そう思ったんだけれどね」
 と、さらり、とした答えだ。
「どう違いますか」
「そう訊かれると、なんというか。落ち着いたというのか、迷いがなくなったというのか。そう、幸せそうにみえる」
 ……ああ。
「そうですか」
「うん。君がそんな顔が出来る理由といったら、それしかないと思ってね」
 なんか、気が抜けた。照れ臭くて、下唇を軽く噛み締めた。
「お医者様はよく見ているもんなんですね」
 そう答えると、優しく微笑まれた。
「こう見えても君の主治医だからね。でも、良い事だよ。愛する人が出来て、君も漸く、この世界に根をおろす事が出来たのだね」
 根をおろす……そうなのかも。
「また、何かあったらいつでも呼んでくれ。相談があれば聞こう。医者としてもだが、同じ世界の仲間としてね」
「有難う御座います」
 なんだか、ほっ、とした。
「良い顔だ」
 ケリーさんは私に言うと、鞄を抱えて立ち去って行った。
 エルヴィス・コステロのバラードを鼻歌で歌いながら。
 ……そっか。そういう事なのか。
 見送って、言われた言葉を噛み締める。
 宙ぶらりんだった私の足が、この地に落ち着き始めている。一人の存在が、この大地に私を繋ぎ止めた。

 ――その内、落ち着くさ。

 ファーデルシアで出会った人の言葉を、ふいに思い出した。

 ――気付けば、ちゃあんと地に足がついてたりするもんさ。下手すりゃ、根っこまで生えちまったりする。まあ、そうなっちゃあ、今度は動けなくなったりもするが、それも悪いこっちゃねぇさ。……今は辛い事ばっかりかもしれねぇが、その分、良い事もあるよ。あんたにも、きっと、この先に用意されているよ……

 今がその時なのだろうか。多分、そうなのだろう。

 ……そっか。

 今度、会うことがあれば、ヒルズさんにもちゃんとお礼を言おう。
 助けてくれてありがとう、と。
 自然と笑みが浮かんでいた。




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