「この国は不思議ですね」、と十年前に同じ戦場に立ち、同じ初陣の身で敵だった男は私に言った。
「外から見ている時は、ガチガチに固められたぶ厚い一枚壁の様に感じていましたが、こうして中に入ってしまうと、幾層もの壁が互い違いに重なっている様に感じます。一枚毎に強度も質も違うし、厚みもそうあるように思えない。向いている方向も一定とは言えない。だが、みっちりとひしめき合って、寄りかかったり支えたりしてそれぞれ立っているから、一枚壁よりもかえって穴が空けにくいし、倒そうにも倒れない気がします」
「面白い仮令だ」
 私室の椅子に寛ぎながら、酒を片手に私は答えた。
 しかし、最近になって交流を得たこの男――スレイヴ・ワイアット・ロウジエとの関係を、どう呼ぶかは未だ悩むところだ。こうして酒を酌み交わすようにもなったが、友と呼ぶにはいささか抵抗があるし、仲間と言うには語弊がある。
 なにせ、つい数ヶ月前まで敵としては最も手強き者のひとりであったし、こちらに与えられた被害も馬鹿にならない。数千数万のランデルバイアの兵がこの男に苦しめられ、命を奪われた。そして、私も同等かそれ以上の被害を与えていた。それは、幾度か対戦した駒をつかったゲームの勝敗にも表れている。
 しかも、カスミの求婚者のひとりで、陛下の許しがでて真っ先に名乗りを上げたのも彼だ。その頃の私は傍観者的立場を崩してはいなかったから、彼にしてみれば、カスミを横から掻っ攫われたように感じているだろうと思う。
 本来ならば、恨み言のひとつやふたつ、下手すれば、刃傷沙汰も覚悟せねばならない話ではあるのだが、今、目の前にいるこの男からはそんな言葉もなく、素振りすら感じられない。
 伯爵の身分を得はしたが、市井に育ったせいで何事にも執着しない大らかな性格かとも思ったが、そうでもないような気がする。機会があれば、未だカスミにちょっかいをかけるし、私に対しても挑戦的な態度を示す。
 なんとも、よくわからない関係だ。
「グスカとは違うか」
 そう問えば、そうだな、とスレイヴは頷いた。「ここだけの話ですが」、と言いおいて。
「グスカでは、王……前王の意志ひとつ、気分ひとつでしたからね。往々にして気紛れはあったが、欲するところは明確でもあった。ランデルバイアでも王の意志に従う事に変わりはないですが、ランデルバイア王は命じるよりも、それこそあちこちを向いている者達の調整役としての役割に重きを置いているかのように感じます。だからこそ、外部からは纏まってみえるのでしょうね。実際、陛下にはいちどだけ謁見を賜ったが、一見、人が良さそうに見えて、底ではなにを考えているか分からない怖さを感じましたよ」
「成程」
 この男の嗅覚は大したものだ。だからこそ、ここまで生き残れもしたのだろう。
「実に面白いですよ、今は味方だから言えることですが。内情を知れば、敵として対するには分が悪いとしか言い様がない。実際、グスカはそれもあって敗けもしたのでしょうが」
「ほう、戦にも陛下の存在が影響していると?」
「ああ。普通ならば、向いている方向が違っていれば、そこがつけいる隙にもなります。弱点となりえる。ところが、調整役としての陛下の絶妙の采配あって、そうはならない。私はいま、実質、貴方の指揮下にあるわけですが、例えば内部から崩そうと反乱を企んでいるとして、それができるかと問われれば、私ならば、出来ないと答えるでしょうね。成功する可能性はとても低い」
「貴公ほどの戦上手となれば、いくらでも手は考えられそうだがな」
「……貴方にそうやって褒められるのは、なかなか複雑な気分だな」
「では、言い方を変えよう。失敗すると考える根拠は?」
 単刀直入に問えば、
「ズバリと来るなあ、怖い、怖い。これだから酒を呑んでいても、気を緩められない」
 スレイヴは茶化すように笑って、グラスの中の酒をあおった。
「そうだなあ、こういうことを言うと気を悪くされるかもしれないのですが」
「かまうことはない。どうせ、酒の上での話だ。それに、参考にもなる」
 明日の朝まで覚えていればだが、と言い添えれば、泣きぼくろの位置がすこしだけ上へ移動した。
「では、無礼講ということで遠慮なく言わせてもらいますが、一見、統率がとれているように見えて、実際はそうでもないところでしょうね」
 例えば、と先ほどまで興じていたゲームの駒を手に取り、ボードの上に並べはじめた。
「例えるならば、グスカはこんな感じでした。表面上は、の話ですが」
 と、升目に沿って整然と一直線に並んだ白の兵士の駒を指して言う。最後尾に、王の駒が置かれた。
「対して、ランデルバイアはこうです」
 白の隣りに、黒の駒が並べられた。しかし、その並び方は真直ぐとは言えず、兵士以外の駒も間に混じる。そして、王の駒の周囲にも不規則な形で駒が並んだ。
「こうしてみると、一見、グスカの方が統率が取れている様に見えます。実際、そうだったんでしょう。王の意向、命令ひとつそのままに皆、従った。そして、王にとっても、それは都合の良いものだった。さしたる意味もなく『右を向け』と言ったとしても、皆、一斉に右を向くんですから」
 スレイヴは、並んでいた白の兵士の駒のひとつを指先で弾いて倒した。そして、空いた場所に騎士の駒をいれた。
「代わりなんてものはいくらでもいる。そして、それも、前の者と大して代わるものではない。従う方もいちいち考えずにすむから楽です。だから、国としても変わりようがありませんでした。たまに、珍しく毛色の違う駒が入ったとしても、」
 新しく入った騎士の駒が、移動してきた王の駒で弾かれ倒された。王の駒はもとの位置に戻された。
「この通り」
「なるほど」
 私は頷いた。
 だが、とスレイヴは再び空けられた場所に、もとあった兵士の駒を戻して言った。
「が、先の戦で貴方がたが仕掛けた方法が功を奏した理由のひとつは、ここにあります。対処方法すら一律であるがために、個々の柔軟性は失われていた。事が起きても、王の采配がなければ対処しようもないし、対応も遅れる」
 スレイヴは、白の兵士の駒の数個を続けざまに倒した。その勢いで、隣りあった駒も数個、巻き沿いになって倒れた。白の駒の列に乱れが生じた。
「こうして一気にできた隙間を修復する間もなく、乱れたままのところを一気に叩かれた。足並みは乱れ、隣りの兵士に助けを求めようにも、壗ならない。揚げ句に、共倒れ。或いは、逃亡。穴は更に広がり、そして、結果、王は孤立」
 残っていた白の駒は、ひとつ残らず、指先で弾かれた。
「そして、守りをなくした王も討たれた」
 最後に、白の王の駒も倒された。
 スレイヴは、どうだ、といわんばかりに私を見て首を竦めてみせた。
「ランデルバイアではそうはいかないと」
「そうですね。仮にひとつ駒が倒れたとしても、」
 黒の投石器の駒がひとつ倒された。それによって周囲の駒が弾かれて、ぶつかりあったり位置をずらしはしたが、倒れることはなかった。
 スレイヴは投石器の駒を指先で抜き取り、空いた穴を周囲の駒をずらして埋めた。
「こんな感じでしょう。大きさも形も違う駒がならんでいるから、隣りの駒も巻き沿いをくって倒れる可能性が低い。倒れ掛かっても、隣りにある駒が支えることもある。一時的に駒の間隔が開きもしても、また、別の駒がどこかかしらに増えて、いつの間にか密度も元通りになっている」
 投石器の駒が、別の間に戻された。
「その大まかな調整を担っているのが、陛下だと見ているのですが、違いますか?」
 窺う視線に、我知らず、笑みが浮かんだ。
「そうだな。大体で言えば、間違ってはいないだろう」
「やはり、そうですか。細かいところでは、もっと複雑でしょうね。貴方が率いる軍とクラウス殿下をたてる貴族派閥の対立もあるようだし、その中でも、各個人派閥なんてのも幅をきかせていたりするみたいですし。全部を把握するなんて、私にはとても無理だ。陛下もわかっているかもしれませんが、手が回らないでしょう。だから、その辺の調整は、多分、貴方やクラウス殿下らが担っている。対立しているとみせかけて、裏では、がっちりと手を組んでいるわけです。それも、大したことですが」
「それは、すこし違うな」
 私は答えた。
「端から、対立などしていない。主義主張の異なる一部の貴族らが勝手に誤解をし、我らの名を使って争っているだけだ」
「おや、そうなんですか」
「ああ。それに、一時は問題になりかけもしたが、最近はそうでもなくなった。意図したわけではないが、カスミがその切っ掛けとなった」
 廊下での茶会という、なんともありえない事から。
 ああ、とスレイヴは吐息をついた。
「本当に不思議な女性だ。私が今ここに生きていられるのも、彼女がいてくれたからこそなのですから。しかし、敢えてグスカの軍人だったものとして言わせていただければ、先の戦では、キャスにしてやられた、のひと言です。敵の瓦解を促すにしても、これまでの我々の策と言えば、直接攻撃によるものだ。よもや、刃を交えることなく、風聞を利用して敵の綻びを誘うなどという遣り方は思い付きもしなかった。こうした弱点も、グスカが倒れてはじめて、私も気づかされました。まったく、大したものです」
 そして、しみじみと言った。
「私は、貴方が羨ましい」
「それは? 戦に勝ったことを指してのものか」
「そうやって、恍けられるか。勿論、それもありますが、キャスを手に入れられたことが、ですよ」
 咽喉で笑う声が否定した。
「貴公のこれまでの言い方では、勝利するために、とも聞こえるが」
 私も口元を緩めて、言ってやる。
「ああ、それよりも、個人的な意味で、と申しましょう。もし、私の方が先に彼女に出会っていれば、と何度、思ったことか。そうだったら、今頃、キャスの隣りにいたのは私だったかもしれない。彼女は、才ある上に、実に魅力的だ。高慢さはなく、一緒にいて楽しい。冗談を聞いて、馬鹿を言いあいながら、共に笑っていられる。悲しみにあえば、共に泣いてくれる。叱咤をされても、根に思いやりが感じ取れる。身分関係なく、私の友人たちとも分け隔てなく付き合える。互いに慈しみあい、笑いあい、尊敬しあえる。私にとってキャスは、そうなる可能性を感じさせる女性でした。もっと美しい女性も、可愛らしい女性も多くいるが、そんな女性は、そうそう出会えるものではない」
 強く訴えるわけではなく、そんな答えがあった。
 飾り気のない言葉は、それが本心からのものだと知れる。
「おそらく、死ぬまで戦人であろう私にとっては、生きて帰るための理由も必要なのです。貴方もそうではないですか、死神」
「……ああ」
 生きて帰るための理由。
 戦場にあって、命の価値はこの上なく低い。ともすれば、己の命すら捨ててしまおうとする局面も、珍しくはない。私も多くの兵の命を預かる身であることをわかっていながらも、そんな精神状態に陥りかけることがある。勝利のために。同胞の命を救うために。或いは、戦場こそ己の死に場所であれと求めもする。……心の奥底では、死を怖れながら。
 そうした行為は、結果はどうあれ、美談として賛えられたりもする。だが、実際は、決して褒められた行為ではない。それによって、更なる危機を呼び、より多くの犠牲を導く可能性もはらんでいる。
 戦局の見極めに必要とされるのは、冷静さと自制心。だが、それだけでは足りない。己が生きて帰るためには。命の楔といえる存在が、ぎりぎりのところで無謀な行動を押し留める。……多分、そう言いたいのだろう。
 必ず生きて帰ると誓える者の存在が、それを可能にする。
「そうだな。そうかもしれない」
 これまで私には、そういう存在はなかった。王族の一員として国の為にあれ、との教えが常に念頭に置かれていた。しかし、カスミを得た今、その考え方も変わっていくのだろうか?
 スレイヴは言った。
「私も貴方も、この先も、幾度となく戦場に立つに違いない。しかし、国のため、民のために戦って来た貴方は、これからは己のためにも戦うことになる。キャスのために勝ち続け、生きて帰らねばならない。どんなことをしてでも」
「……そうだな」
「どんな戦い方をするのか、どう変わるのか、興味が湧きます」
 にやり、とした笑い顔が私を見る。
「それは、貴公もそうであろう。出会えたばかりの大切な祖母を独りにはできまい。跡継ぎも必要であろうし」
 そう言い返すと、ああ、と大袈裟に溜め息がつかれた。
「それなんですよねえ。最近は、早く曾孫の顔を見せろと、顔をあわせる度に言われる」
「仕方あるまい。ガーネリアの復興が本格化すれば、貴公も忙しくなるだろう。それまでに良き相手を見付けることだ」
「貴方が言いますか」
 ほとほと困った表情に思わず笑えば、恨みがましく睨みつけられた。
 スレイヴは、目の前の盤上の駒を並べはじめた。
「ところで、もう一局いかがですか? 今度は、ひとつ賭けを設けて」
「かまわないが、何を賭ける」
「そうですね、もし、私が勝ったならば、御令嬢のひとりを私の息子にいただく、という話では? 我が娘を御令息の伴侶にしていただくでも構いませんが」
 まだ、本人の相手も見つかっていない内から?
 それだけ、カスミと繋がりを持ち続けたいという執着の現れなのか、それとも、家名のためか。
 何故、突然、こんなことを言い出したのか。やはり、私には、この男が理解しがたくある。
「……随分と気の早い話だな。娘ができたとしても、内、ふたりは王子たちの妻になることが既に決まっているが」
「おや、そうでしたか。では、三番目の姫か御子息に、ということになりますね」
 咽喉の奥で笑う声で言う。本当に、どうかしている。
「なに、軽いお遊びです。先がどうなるかはわかりませんし、冗談みたいなものです。しかし、実現すれば、孫はさぞかし、先行きが楽しみな者になると思いませんか? 私と、貴方と、キャスの血を引いた子ですよ? 想像するだけで愉しいじゃありませんか」
 そう誘われて、面白そうだと感じてしまう私もどうかしてしまったのか。
「よかろう」
「成立ですね。では、今度は私から」
 結果、その日の勝負は一勝一敗の引き分けとなった。
 彼とはその後も形を変えて、盤上以外でも何度も対戦したが、同じ戦場に立つことはあっても、互いの命の遣取りをすることは二度となかった。
 スレイヴはそれから半年後に、ガーネリア貴族の血をひく令嬢を妻に娶った。
 伴侶となった娘は明るい瞳の、ガーネリアの者らしい気質の持ち主で、二人は兎に角、賑やかな家を築いた。子宝にも恵まれ、彼の祖母をこの上なく喜ばせもした様だ。これより、一旦は、断絶やむなしとされたロウジエ伯爵家だったが、ガーネリアの武の名門として、長く家名を留めることとなった。
 そして。
「信じられないっ!! なに考えてんですか、あんた方はっ!!」
 私は、後に賭けのことを知ったカスミに、傍にあったクッションをあるだけ投げつけられた。最後には、履いていた靴まで。
「できてもいない内から勝手にこどもの将来を賭けで決めるなんて、なんて馬鹿なことをっ!! ただでさえ、不自由な思いをさせるだろうことがわかっているのに、冗談でも性質が悪すぎますっ!! 自分のこどもをなんだと思ってんですかっ!!」
 その怒り振りはそれまでになかったもので、機嫌が直るまでに数日を要した。
 その間、二番目の兄や義姉上、他の者たちから嫌みがましい説教やらなんやらを聞かされ、何も言わないにしても、カスミ付きの侍女たちからは、そこはかとない冷遇を受けた。お陰でとても疲れたし、色々と不自由もした。
 スレイヴは、カスミに口もきいてもらえないと暫くの間、嘆いていた。仲間からも呆れられて、散々だと泣き言も聞かされた。
 結局、政治的な理由や年頃になったこどもたち自身の都合もあって、賭けの約束は反古となった。が、図らずも、ガーネリアの孫娘の一人がロウジエ家の嫡男と恋をして降嫁を許されたことを思うと、なるべくしてなったということなのだろう。
 そんな風に私たちの付き合いは、なんだかんだと言いながらも長く続いたわけだが、やはり、私には、スレイヴ・ワイアット・ロウジエという男が理解できたとは言い難く、どういう仲なのかを他人にうまく説明することはできない。
「腐れ縁って言うのよ」
 後に笑って言ったカスミの表現が、一番、近いのだと思う。……おそらく。
 だが、スレイヴは、国は違えど、私にとって近しく同じ時をすごした者のひとりとして数えられることに、間違いはないだろう。




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