凍てつく早朝、光の神であるシャスラムの登場より前に、私は温もる寝台を出る。
 すでに火の入れられている暖炉のおかげで、着替えている間もあまり寒いと感じないが、他に人気のない寝室に、どこか寒々しい印象を受ける。
 賭けの件で立腹したカスミは、食事を共にすることさえ拒んでいる。表立って部屋を訪れても、どこに行っているのか、不在ばかりだ。……人伝てに聞けば、少なくとも寝る時間には部屋には戻っているようではあるが。私の部屋に来ることもしないから、言い訳をする機会も与えらえない状態だ。当然のように、彼女の寝室に通じる扉も、鍵がかけられたままだ。つまり、私は思いきり避けられている。
 腹が立つし、煩わしくもある。出来るだけ務め以外で頭を悩ますことも、気を回すこともしたくない。しかし、こちらも悪かったと思うだけに、そう強い態度はとれない。それにしても、一体、どうしたものかと悩む。もとより、こういうことを考えるのは苦手だ。
 だからといって、放ってもおけない。カスミは、目の届かないところで何をしでかすかわからないところがある。本人の意識していないところで、無用な騒ぎを引き起こす才能がある、というべきか。今のところ笑い話ですむ程度で収まってはいるが、その内、命にかかわる危険を呼ぶのではないかと危惧も抱く。そうなる要因を彼女は持っている。護衛はついているが、限界がある。どうであれ、早めになんとかすべきだろう。
 ……そう思いつつ、すでに六日が経っている。ひとりで思案するにも限度がある。とは言え、他人に相談するのも憚られるし、癪にも障る。だれに相談すべきか、考えるのも面倒だ。これ以上、説教も嫌みも聞きたくはない。
 しかし、その前に、こなすべき日課を片付けよう。……それが現実逃避だとわかっていても。

 日中の短い冬の季節は、他の季節と日常的な行動時間がおおきく異なる。
 最も変わるのは、鍛練の時間だろう。軍のものとしては、日の長い時には午後から夕方にかけて行うそれが、陽の昇る以前と陽が暮れてからの二回に分けられる。そうしなければ、執務にかける時間が足りなくなるからだ。兵達にとっては、雪掻きをする時間が。慣れはあっても、冬の暗い中での作業は危険だ。他にもさまざまな制約が生じることから、自主的な参加形式にしてある。
 これでは、当然、怠ける者も出てくる。が、それでいちばん困るのは自身であろうから、放ってある。全体訓練が出来るようになる季節に、皆についていけなくなって脱落するか、最悪、戦場で命を落とすことになる。不名誉か、死か。どちらにしても、甘くはない。早いうちに己で気付くか、周囲の者たちに諭され心を入れ替えられた者は、幸運だ。
 私も自身も身体が鈍ることを防ぐためにも、日のどちらかの時間には、最低でも一度は顔を出すようにしている。……気分転換の為にも。都合上、朝食前の早朝になることが多い。
 廊下に出ると、計ったかのようにランディの姿があった。
「お供いたします」
「宿直《とのい》役だったか」
「はい、昨日より」
「交代の時間には早いようだが」
「はい、ですが、ウェンゼルとサバーバンドが待機しておりますので、問題はないかと」
 サバーバンドとは、たしかスレイヴの副官か。グスカから移住してきた者の中で、カスミと親しくある者のひとりだ。ウェンゼルもいるとなると、三人で一晩を通して話していたもしれない。話の内容は……自ずと知れる。
 前に立つ男からは含むものを感じられないが、何もないわけではあるまい。思わず、溜め息を吐きたくなった。
「よかろう」
 立場上、護衛の意味もあって、供を許した。

 まだ人気の少ない城の階段を、地下まで降りる。
 階を下るごとに灯の数は多くなり、人の気配の数を増す。地下一階まで来ると、騒々しいと言ってよいほどの活気に包まれる。すでに働きはじめている者たちの声や足音が響き渡る。
 ここは真に城の生活を支える場所であり、なくてはならない者たちがいる。
 優雅さの欠片もなく、遠慮もなく、飾り気もない。人の息遣いそのままが伝わってくる。しかし、人の命を奪うことが多い身なればこそか。その音に触れるだけで、清々とした心持ちを得る。
 最下層まで降りて、雪の屋根に覆われた中庭に入った。完全な外ほどではないが、冷気の籠る狭い空間に兵士や騎士が集い、それぞれに必要な鍛練に励んでいる様子が、氷の柱を合間に見られる。
 まだ城の開門前であるから、ここにいる者はすべて、城中に暮らす者、宿直で泊まり込んだ者たちばかりだ。まだ務めについている者もいるから、それほど数は多くない。
 身体を鍛えている者、剣や槍の修練を積む者、教えを乞う者、教える者。個人であり、小隊ごとであり。声をあげ、鋼の音を響かせて競い合う。
 この場にては、身分や位にこだわるものではなく、一人一人が国を守る者として同列に数えられる。実戦で剣を取ることが滅多にない者も、この場にては関係がない。無礼講とは、また違うが。
 たまに、私怨を持ち込む者もいて小競り合いもあるが、その辺は騎士団長のルスチアーノや周囲の者たちがうまく纏めてくれているようである。他にも、どうしても己の階級にこだわり、抵抗を示す者もいて、中には行動を別にする者もいるが、一度、戦場に立てばそんなことを言っていられないと悟るようだ。運良く生きて帰れば、皆に倣うようにもなるのが常であったりする。
 とは言え、染みついた慣習は、完全に消えるものではない。私に気づいた者は動きを止め礼を取っても、大抵、進んで声を掛けてこようとはしない。私に関して言えば、そうする者は、ルスチアーノや将軍職にある者、或いは、普段から接する側近の者たちぐらいだ。
 こうして見ていても、集団を作るにしても、身分や役職がある程度近い者同士で固まる傾向にあり、それ以外の者と組むということは滅多にないようだ。それも良し悪しだと思うが。
 上衣を脱ぎ、軽く身体を解す。と、剣を手にしてランディが言った。
「久し振りに、ご指南を賜りたいのですが」
 ……断るわけにはいくまい。
 やれやれと、溜め息つきそうになるのを堪えた。

 ランディは、私が知る中でも、武の伎倆に優れた者のひとりだ。槍も弓も一通りなんでもこなせるが、剣が一番だろう。
 彼の亡くなった父親も騎士であり、叔父であるカルバドス大公の側近だった。人柄がどうであったかはっきりと言えるほどの親交はなかったが、如才のない者であったかと思う。叔父の信頼も篤く、最期まで付き従った者のひとりだ。死出の旅路まで。
 そのせいか、彼も幼少のころから、騎士になることが定められていたような節がある。私と年が近いことから、私の近習にすべく育てられたようだ。そして、その通りになった。
 幼少の頃から顔をあわせる機会も多く、私も彼のことは知っていた。幼なじみというわけではないが、おそらく、これまで最も多く、私の剣を受けた者だろう。
 刃を潰した剣を手にして間合いを取り、正面に立つランディを見る。
 立ち姿を見る限りは、武に秀でた者だと感じさせる体つきではない。高さには程よく恵まれてはいるが武骨さはなく、青年貴族らしく、社交場にあっても違和感を感じさせない印象を保っている。人当たりの良い性質でもあり、女性との付き合いもなかなかのものだったようだ。
 ただ、個人的には、最近まで人となりまで、どうこう言えるものではなかった。それほど、彼個人のことを知らなかった。知ろうとしなかった。
 理由としては、私の心的なものに起因する以外にも、立場上、私個人の感情が人事登用などに影響することあれば、権力闘争、軍内の統率に乱れを生じさせることになりかねなかったからだ。それだけ、父が亡くなって以来、この国の政は微妙な力関係の上で成立っていた。
 軍内部は実力主義と明言していたとしても、やはり、生家の派閥争いなどが影響する。または、身分による差別も。
 スレイヴの言葉を借りれば、『向いている方向も一定とは言えない』上に、倒れられるだけの大きな隙間だけは空いているような状態だった。
 だから、私は彼に限らず、他人と一定以上の交誼を持つことは避けていた。これは個人差もあるが、私に限らず王族全員に言える。
 ランディについては不足なく、忠誠心ある臣のひとりであり、剣に優れ、余計なことは言わず、大抵の任は小器用にこなす者、という程度の認識でしかなかった。
 しかし、昨年以来、その認識を改めなければならなくなった。ファーデルシアからカスミを移送した、始まりのあの旅以降。
 その真直ぐなまでの情熱。ただ一人に向けられるものではあるが、端から見ていても、その色の深さに驚きもし、言い様もない気持ちに駆られる。
 素からのものか、短き間に変わったのか。
 どちらにせよ、もっと要領の良い男だと思っていた。その剣筋が示す通りの。
 手首を返しながらの、ひゅんひゅんと音をたてる軽い剣さばきは、眺めているだけで小気味よい。人によっては、畏怖を感じるだろう。ここ暫くの間に、剣の腕が更に上がったと聞いているから、私も油断はならない。気持ちが入っているだろうから、余計に。だが、私も敗けるつもりはない。
 さて。まずは基本に従い、先手必勝といこうか。

 まったく、なんてことだ! まったく、忌忌しいことこの上ない!!
 わかってはいたことだが、カスミは厄介な者たちを多く味方につけ過ぎている!
 それにしても、これは一体、なんの祭りだっ!?

 ランディとの立ち合いは予想以上に長く、実戦に近いものとなった。……私の意志に反して。
 雪の屋根を支える氷柱の間を抜けるように、時には盾にも使って剣を合わせた。ランディの右、左、上、下と繰り出される剣は自在の動きをみせ、そして、早かった。腕をあげたという話に詐りはなかった。その上で、あからさまに勝ちを取りにきていた。遠慮も、躊躇いもなく。
 一瞬、姿を見失い、ひやり、としたところで、いきなりの攻撃。その剣はどこから、持ってきた!?
 いつの間にか、ランディの両手それぞれに剣が握られていた。
 二刀を同時に扱うには、一朝一夕にはいかない筈だ。それなりに修練と習熟が必要だ。慣れない者がすれば、どうしても左右の均衡が悪くなり、体裁きは一刀を扱うより数段、悪くなる。逆に力が入らず、攻撃力が下がりもする。強さはけっして、刃の数に比例するものではない。
 私はこれまで、ランディが両刀を扱えるらしいという噂は聞いたこともないし、見たこともない。が、今、受けている攻めは、付け焼き刃程度とは言えないものだ。見事なまでの平衡感覚。隙はなく、重心も安定した力の籠ったものだった。しかも、早さに衰えはない。いや、より繰り出す速度は早まっているか。
 適確すぎる急所狙いを外す。辛うじて、弾き返す。が、その後も息を吐く間も与えられない激しい攻めが続いた。正直、驚くとともに閉口した。飛び退ってぎりぎりのところで躱したが、態勢を整え直す間が必要だ。私はその場から走った。
 立ち合いで走るなど! しかし、そうでもしなければ防げないほどに、ランディは本気だ。
 お陰で、さして広くもない場所で、鍛練中の兵たちの間にまで割り込む結果となった。驚く兵たちに構っていられる余裕はなかった。
 追ってきたランディの姿を確認し、反撃に転じようとしたその時、いきなり横合いから剣が打込まれた。反射的に、これを目前で受け止めた。
「アストリアスッ!」
 何故、いるんだ!? 普段は午後に参加することがほとんどの側近に驚いた。
「なんのつもりだっ!」
 交わる鋼の向こうで、笑顔が応えた。
「いえ、今朝はたまたま早かったものですから、気紛れに覗いてみたのですが、面白そうなことをされているので、つい。是非、私もお加えいただきたく」
 たまたまだと!? 気紛れ!?
 全身を使って、アストリアスの剣を跳ねのけた。
「冗談はよせ」
「いえ、こうして殿下にお手合わせ頂く機会は、滅多にありませんので、是非とも」
 余裕を感じさせるにんまりとした笑顔が、腹立たしい。
 アストリアスも、ランディほどではないにしろ、騎士として充分に剣は使える。それだけの経験がある。
「参ります」
 いきなり横薙ぎ。
 縦に打込む。躱された。
 間髪置かず、斜め上から振り下ろされる。受ける。弾き返す。体重ののった重い剣だ。
 ところで、ランディは? どこにいる?
「余所見をする余裕があるとは、流石でいらっしゃる」
 肩先を削ぎ落とさんばかりの鋭い斬り込み。当たれば、痣だけではすまないだろう。このままでは埒があかない。身体を半回転させてよけた上で、攻めに転じた。
 アストリアスの剣筋は、善くも悪くも正攻法だ。つけいる隙はある。それにしても、容易くはないが。
 緩急織り交ぜて攻めを続けざまに繰り出し、相手のペースを乱す。
 鋼の鳴る間に、ひゅっ、とアストリアスの咽喉が鳴った。足下を滑らせ、体が傾いた。
 好機、と大きく踏み込もうとしたその時、
 ヒャッホウ!!
 奇声を発して、穂先のない槍の尖端が、脇腹すれすれのところを通りすぎた。




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