春になって、各領地よりラシエマンシィに運ばれてきたのは、新しいワインだけではない。
 税として納められる作物の他物資、税金。昨秋までの各領地からあがった利益も一緒にやってきた。わぁーい!
 なんで喜んでいるかと言うと、私にとっても無関係ではないからだ。貰ったファーデルシアの葡萄畑から得られた利益が、私のもとにも届けられたから。
 利益と言っても、全額じゃない。税金として、全体の約五分の一の現金とワインで充たされた樽も十樽、納めている。そして、人件費や管理費、設備費も、当然、引かれている。これには、管理者代理人の名目として、ミシェリアさんの養護施設へ渡すお金も含まれている。で、残りが私の取り分。
 と、すると、手元に残るのは大した金額でないように思えるけれど、とんでもない! ざっと計算してみれば、なんと、日本で働いていた時の年収の数倍にも相当する金額だ。物価とか、貨幣価値の違いとかもあるが、これを喜ばずにいられようか。扱っているのが植物だから、天候によって毎年の出来が左右されるが、大体、毎年、こんなもんだと思われる。ディオに聞いてみたところ、妥当な範囲の金額だろうと言っていたし。
 因みに、ファーデルシア現地にて、実質的な葡萄畑の管理運営をしてくれているのは、アストリアスさんが推薦してくれたオルディスさん。最初、誰に任せるか、横領とかを心配する私に紹介してくれた。
 オルディスさんは、元々、アストリアスさんの部下の一人だったのだけれど、実は昨年の戦で片足を失くすという大怪我を負ってしまっていた。
 ろくな義足もないこの世界で、片足では戦えないどころか、普段の生活も難しい。でも、職業軍人が、この先、剣を持たずしてどうやって暮らしていけばいいのかもわからない。貴族で領地持ちならば食べてはいけるけれど、騎士爵だけがあったところでどうしようもないのが現実だ。爵位を返上して、新たに商売などを始められれば良し。或いは、爵位だけを抱えて、身を持ち崩すか。
 ……保険も、年金もない世界だしな。元の世界でも、アメリカとか元軍人のホームレスなんて珍しくなかったみたいだし。
 一応、戦勝の報奨金や多少の義援金みたいなもんはあるらしいが、根本的な助けにはならない。一人ならまだしも、妻子持ちとなれば、心配どころか絶望的な気持ちにもなる。オルディスさんも、そんな途方に暮れる一人だったわけだ。
 というわけで、どうかと薦められた。雪深いランデルバイアに暮らすよりも、いっそ温暖な気候のファーデルシアに移住した方が身体的にも楽だし、ってことも含めて。戦友同士、こういった紹介をするのは珍しくないらしい。
 それで、一度だけ面接したところ、まあまあ大丈夫そうだったので、年俸制で雇用することにした。ランディさんやグレリオくんもオルディスさんを知っていて、人となりについて保証してくれた。ただ、計算に関してはイマイチだったので、特訓が必要だったけれど。計算機ないし。
 なので、一ヶ月半の間、毎日、数枚に渡る手書きの計算問題を渡して採点を繰り返した。足し算、引き算、ニニンがシ、ニサンがロクから始まって。で、一応の及第点が得られたので、冬前に派遣したという経緯。
 でも、実際のところ、諸々の経費が多いか少ないかは別にして、この世界での金計算は、アバウトさが否めない。机上の書類で、一円十銭単位まできっちり合わせるなんてことは、余程、数字に強い商人でもないらしい。計算を確かめるにも、最終的にはコインを一枚、二枚と手で数えるのが常。だから、数え間違いも含めて、『大体、合っていればオッケー』、のどんぶり勘定だったりする。
 こういうところが私には少々気持ち悪くはあるけれど、『郷に入れば郷に従え』。慣れないところに、いきなりハイレベルの要求をして不満をもたれてもなんだし、徐々に、要求を引き上げて慣らしていくさ。
 オルディスさんは、頭が固い部分もあるけれど、なんと言っても努力家だしな。計算特訓、よくがんばったよ。毎日、百問から三百問の算数問題を書き続けて、採点した私もよくやった!
 しかし、もっと儲けるために工夫できる事もあるかもしれないし、労働者たちの尻を叩くことも必要なのかもしれないが、初心者の私にはわからないことも多いので、その辺はおいおい勉強していくしかないだろう。だいたい、葡萄の栽培の仕方さえ知らないのだから。今のところ、冬場をのぞく月ごとの定期便で、帳簿内容の照会と向こうの様子を知らせてもらって、検討するぐらい。それで、気が付いたことがあれば、指示を出すことになるだろう。
 場所が離れていることもあって、絶対に不正がないとは言い切れないが、信用することを前提にしておかなければ雇用関係は成り立たないし、成り立ったとしても、双方にとって不幸な結果になると思う。私も雇われた経験しかないけれど。それでも、オルディスさんに対して、ここでは一般的な就労義務と内容にちょっとだけ手を加えて、防止に努めた。
 まあ、単に、新規雇用とか、葡萄畑の経営に関して、オルディスさんの年俸内でアシスタントなり新規雇用する場合でも、その人の身元を知らせろって事ぐらいだけどさ。……個人の雇用、『家来』ってやつが、ここではあるんだよねー。頼ってきた昔の仲間とかを、オルディスさんが、自分の裁量範囲で、能力に関係なく無条件に雇うこともあり得るわけ。日本じゃ考えられないシステムだから、面倒くさい。
 因みに、以前から葡萄畑で労働者として働いている人たちは、そのまま雇用を継続しているが、一応、全員の名前と身元は名簿にして、私の方でも把握している。労働賃金は週払いだから、演算のためにも必要。
 人事入れ替えや収穫時期の季節アルバイトなどの雇用については、オルディスさんに一任。だけど、せめて名前と最低限の身元ぐらいは、記録に残すように指示してある。何かあった時に、私も知らぬ存ぜぬってわけにいかないから。元、ファーデルシア王の直轄地だった事から、どんな人が入り込んできてもおかしくないから、というアストリアスさんの助言に従って、念のため。  そんな感じのなんちゃって領地経営。そして、私にとって、初めての個人の現金収入だ。ぜんぶ自由に使える。金貨なんて初めて見た! ヒャッホウ! お約束の、かじることはしないけれど。
 なんの不自由もなく養ってもらって、滅多に外にも出ない生活だけれど、自分の裁量で使えるお金があるのは嬉しい。欲しいものがあっても、本当に必要ってわけでもないから、どうしても遠慮してしまう部分があるし……後ろめたいって言うかさ。普通の専業主婦みたいに、家の仕事をしているわけでもないから。財布を握っているディオには、『気にしなくていい』と言われるけれど、やっぱりね……っていうのは、表向きで半分。実のところ、ヤツに頭を下げたくない半分、なんだよねーっ!
 意地っ張りと言うなかれ。
 で、そういった欲しい中で、なにが一番にあげられるかと言えば、服だ。
 ドレス? 違う。カジュアルな服! もっと言えば、インナーウエア。普段着としてのドレスは、正装よりは締め付けることのない下着も含めてまだましだけれど、ドレスはドレス。正直言ってすんげー窮屈だし、鬱陶しい。
 今更なにをと言われるかもしれないが、こっちこそ問いたい。一日中、寝る前までスーツをきっちり着て、やってられるか?
 ドレス、布、多すぎ。ジャージが懐かしい。知っている快適さを、知らなかったことにはできない。寝巻き代わりにしても支障ない楽さ加減が恋しい……ある程度、エレガントさは必要だろうけれど。ゲルダさんが青筋立てないぐらいの。
 だぶっとしたシャツと、ゆったりめのふくらはぎ丈のワイドパンツとか欲しいなあ。あと、夏に向けて、ラフなノースリーブのワンピースも欲しい。紐ストラップのやつとかは駄目かもしれないけれど、ムームーみたいなの……レースのカーディガンとかと合わせたいな。となると、ブラは無理でも、ビスチェっぽいデザインの下着とか作れないかなあ?
 ……そういうことだ。でも、ここにはそういった服が存在しないからには、作るしかない。ルームウエアさえオーダーメイドってどんだけ贅沢だって思うけれど。ま、仕方がない。
 で、どこに発注すればいいの?
 そうしたら、ゲルダさんが、
「城専属の仕立屋でよろしいでしょう」
 あ、そんな店あったんだ。当然と言えば、当然だけれど。
「きっちりしない感じのものが欲しいのだけれど、そういったものも作って貰える?」
「よほどの事がない限り、ご注文に否やとは言わないでしょう。王城出入りの自負も御座いますので」
「でも、それなりに値も張るんだろうね」
 数着は注文するからな。高すぎてもパス。収入のうち半分は、既に使いどころが決まっている。
「その辺はご相談なさればよろしいかと」
 ふうん。
「そう……それじゃあ、頼もうかな。呼んでくれる?」
「私から注文いたしましょう」
「これまでとは違う形のものだから、直接、説明したいのだけれど?」
「であれば、殿下のご許可が必要となりますが」
「えー、やっぱり?」
「はい。それに、老婆心ながら申し上げますと、奥方様の注文に際しては、別の者の名を使って行っております。お顔を見せては、いらぬ憶測や危険を呼びかねません」
「え、じゃあ、これまでの注文はどうしていたの」
「畏れながら、主に私の名を使わせていただいております」
「でも、寸法や丈が違うでしょ」
「姪に贈るという名目で」
 すんません! すんませんっ!
 でも、そういうことか。新しいデザインの服の注文にゲルダさんの名前を使うのは、不適当だろうな。ディオに仕立屋との面会許可をもらおうにもいろいろと面倒くさいし、結局、許可されないような気がする。てか、今、ガーネリアに行っていていないし。いつ帰って来るんだ、あの馬鹿野郎さまは!
 仕方ない事とは言え、他人との接触を極端に制限されている身は、こういうところが不便だ。うーん、どうしようかなあ……でも、欲しいものは欲しいんだよねえ。日常生活のささやかな快適さの為にも。んー……?
「ええと、じゃあ、他の方を介して注文するのは問題ないですか」
「どなたかお名前をお伺いしても?」
「例えば、レティシア夫人とか」
 レティだったら、相談次第で引き受けてくれると思う。ドレスのアレンジとか好きだから、不思議に思われなさそう。
「でしたら、問題ないかと。早速、お招きになられますか?」
「いいえ、今の時間だったら、ケリー先生のお手伝いに来ていると思うから、会いに行ってみます」
「そうですか。では、ベルシオン卿にお声をおかけします」
「お願い」
 服を買うのにこれだけ手間をかけなきゃならんとは……やれやれだ。




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